このブログの読者には海外在住の方も結構いらっしゃるようです。コメントはしないけれど読んでいるよ、というお声がけは当地でもしばしば頂きます。日本にお住まいの方からすれば海外なんて飯もうまくないし、温泉もないし、物価も高いし、医療も十分ではないし…とダメダメ尽くしなのになぜそこまで海外にこだわっているのか、と不思議に思っていらっしゃる方も多いでしょう。
では答えです。たった一言。住めば都。
これ以外何とも答えようがないのです。ただ、これで今日のブログを終わりにしたら「手抜き!」といわれるのでもう少し書かせていただきます。
私は日本にいた時、引っ越しは少ない方だったと思います。会社勤めしてからは西鎌倉⇒東神奈川⇒成田⇒西船橋です。ローカル採用かと思われるぐらいの移動レベルだったのはラッキーでもあり、日本の他の地域を知る機会がなかったので残念だったとも言えます。どこも住みやすかったと思いますが、今思えば東神奈川と西船橋は居住地の土地用途が準工業地帯で環境は良くなかったです。今でも覚えているのは東神奈川の貸しマンションの真ん前は国道一号線、その向こうにはJRと京急、更に京急の操車場もあったのではるかかなたまで線路ばかりという景色でした。当然、音もうるさく「住めば騒音」でありました。
それでも週末は釣竿をもって大黒ふ頭に行くとかローカルの店を探訪するなど、それなりに楽しいことを見つけていました。
そんな中でカナダに居を転じた時はさすがに慣れるのに時間がかかりました。社会のルールが全く分からなくて特に甘く見たのが車の駐車。レッカー移動とか駐禁の切符は当初よくもらいましたが、その訳は「ちょっとならいいだろう」という甘えでした。ホント3分間停めただけで駐禁切られたこともあります。いったい誰が見ているのだろう、と思ったぐらいです。
海外生活の基本は様々な人が住んでいるので成文化された法律や社会ルール、住宅のルール(管理組合)などあらゆるところに決まりがあることでした。それを人々は守るのが社会の基本で守らないと必ずペナルティが課せられ、許してもらえない社会を理解するまでには時間がかかりました。
次に人々を知ることも大事でした。今のようにSNSはない時代ですから何か集まりがあれば積極的に参加することで情報を得ると同時に自分の名を売って歩く、そんな感じでした。
私のここまでのバンクーバーライフ32年は確かに仕事中心だったのですが、今もし仕事を辞めたら日本に帰るか、と言われればNOです。理由は人々との関係が濃すぎず薄すぎない「ほどほど具合」があること。環境もよいです。緑に覆われ、山歩きしたければ車で1時間範囲には一生かけても全部踏破できないほどのトレイルコースがあります。自転車道は整備されています。それ以上に街中に様々な人種が混ざっていることでいろいろな人と接点を持つことが刺激になるのです。
エレベーターで乗り合わせた時、エレベータートークというのがあります。わずか10秒足らずの間に一コマしゃべるのです。さすが会社のエレベーターの時は少ないですが、住宅のエレベーターで乗り合わせれば4-5割の確率で何かしゃべっています。実はこの癖、当地に来たばかりの時にある気づきがあったのです。知らない人と2人で乗り合わせた場合、沈黙のまま待つのは異様に緊張するのだと。私は気にならないのですが、白人の方はしゃべることで心の壁を取り去り、相手を認知するというプロセスをとることに気がついたのです。
それからは私はしゃべることで双方の理解につながるならエレベーター以外でもしゃべることに徹するべき、と思ったのです。それでもかつて10年ぐらい仕事で付き合った白人のカウンターパートが私のことを「気持ちの中に何か隠し持っている」とずっと疑っていました。双方が手の内を見せるというのは心の中を開示し、ウソ偽りない 「I swear」の世界なのでしょう。
社会のルールがしっかりし、人々がそれに準拠し、多くの人が前向きに生きていこうとする社会にいると自分が明るくなるのです。それと多くの人はハッピーのオーラがあります。笑い、はつらつとし、声をかけあう社会は日本ではなかなか見かけなくなりました。道端で人が倒れていても「関わりたくない」と素通りする社会は異質な感じがします。
もちろん私は日本人としての誇りを持っています。ゆえに当地の人に日本人のプライドを見せたいのです。奇特な奴と思われるでしょう。しかし、そういう日本人が一人ぐらいいてもいいじゃないですか。私は金太郎飴にはなれなかった男ですから。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月25日の記事より転載させていただきました。