自民党総裁に高市早苗氏が当選した。これで日本初の女性首相が生まれるのは結構なことだが、彼女は女性の権利を尊重する立場ではない。
これまで高市氏は選択的夫婦別姓に反対し、婚外子の遺産相続を否定するなど、男尊女卑の制度をもっとも強硬に主張してきた政治家である。
強制的夫婦同姓は男尊女卑の制度
今の民法では夫婦別姓を認めていないので、結婚する夫婦の95%は夫の姓に統一する。これは男尊女卑の制度なので別姓も選択できる民法改正案が1996年に法制審で答申されたが、高市氏はこれに強硬に反対してきた。彼女が選択的夫婦別姓に反対する理由は、次の3つである。
- 夫婦が同じ姓でないと家族の一体性が保てない
- 子供の姓が不安定になる
- 旧姓の通称使用で不便は解決できる
これらはいずれもナンセンスである。日本以外のすべての国は選択的夫婦別姓だが、こんな苦情は1件も出たことがない(高市氏もその証拠をあげられなかった)。通称は銀行取引にもパスポートにも使えない。
高市氏の戸籍上の本名は「山本早苗」だったが、通称は「高市早苗」だった。山本拓氏と離婚して高市に戻り、再婚して山本氏の戸籍上の姓が高市になった。さて子供の姓はどっちだろうか?
父親の姓が免許証では高市だが国会では山本で、パスポートでは両方を併記という状態のほうがよほど不安定だ。子供の姓は、父親の姓で統一すればいい(欧州ではそうしている)。
姓は夫婦の合意だけで決めるもので、国家が介入すべきではない。旧姓の通称使用などというややこしい法改正を何千本もしなくても、民法と戸籍法だけを改正すれば、今の不便はすべて解決する。
戸籍は明治民法の「家」制度の遺物
このような自明の問題について高市氏が展開する非論理的な議論は、彼女の首相としての資質を疑わせるものだが、これは表向きの理由にすぎない。
シングルマザーの産んだ婚外子の遺産相続を嫡出子と同等にする民法の改正案が、2013年12月に成立した。これは同年9月に最高裁が、婚外子の遺産相続を嫡出子の半分と定めた民法の規定を違憲と判断したことを受けたものだ。
この判決に対して高市政務調査会長(当時)は「ものすごく悔しい」とコメントし、選択的夫婦別姓にも反対して「日本の伝統を守る」と主張した。これは日本会議など自民党の岩盤支持層の迷信である。
戸籍という制度は古代中国からあり、一時は東アジア全体に広がったが、今は日本以外は形骸化している(韓国は2008年に廃止した)。現在の戸籍制度はこうした東アジアの伝統とは違い、明治時代の民法で制度化されたものだ。
その最大の特徴は、個人ではなく「家」を単位としたことである。ここでは土地や財産を相続するのは嫡出子の長男だけで、女性や次三男には何の権利もない男尊女卑の制度だった。長男が家長(戸主)とされ、正妻と妾、嫡出子と婚外子などの序列が決まった。
夫婦別姓が日本の伝統である
夫婦同姓は日本の伝統ではない。中国や韓国では夫婦別姓である。日本でも江戸時代までは別姓が普通で、武士以外は姓を名乗れなかった。北条政子(源頼朝の正室)も日野富子(足利義政の正室)も、夫の姓は名乗っていなかった。百姓は一族が同じ「屋号」を使っていたが、公式の姓はなかった。
明治以降も、1876年の太政官指令では「婦女夫に嫁するもなほ所生の氏を用ゆべきこと」として、夫婦別姓を原則としていた。同姓の原則が明記されたのは、1898年の民法が最初である。これはドイツの民法をまねたもので「古と大いに異なる所」であるとしていた。(遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』)
江戸時代までなかった夫婦同姓の制度は、明治期に家父長国家を確立し、個人を家に組み込む装置だった。ここでは社会の単位は個人ではなく家であり、家督を相続するのは長男であり、女性はそれに従属することを求められたのだ。
明治国家では天皇が「家長」だった
明治国家は日本を近代国家として組織するため、個人を国家に組み込む「家」制度をつくった。身分制度が撤廃されて「四民平等」になったので、国家の管理を逃れる者をなくして秩序を維持する必要があったのだ。
明治国家は、天皇が「日本の家長」として頂点に置かれ、それぞれの家ごとに家長を頂点とするピラミッドがあり、「新平民」と呼ばれた被差別部落民は壬申戸籍で差別され、内地人と朝鮮人は同じ日本人でも本籍で差別される、多重ピラミッド構造の家父長国家だった。
この構造を徹底するために、日本独特の続柄が戸籍に記載され、嫡出子と婚外子の区別も戸籍法で定められた。結婚しているが入籍していないとか、複数の妻をもつといった事態は家の同一性を危機にさらすので、正式の婚姻を強制することが家父長国家を維持するために不可欠だった。
戦前の「国体」を復活しようとするネトウヨ
このように自民党の自称保守派が守ろうとしているのは、日本古来の伝統ではなく、家族の一体感でもない。彼らが復活しようとしているのは、戦前の「国体」である。
明治国家の最大の目的は、帝国主義戦争に生き残ることで、このために徳川300年の平和に慣れた国民を戦争に動員する必要があった。西洋には君主を超えた神の権威があるが、明治になってかつぎ出された天皇にはそういう重みがなかったので、国体という概念がつくられ、国家神道という宗教が創作された。
明治政府の実態は藩閥政治だったが、それを隠して国民を動員するイデオロギー装置が国体だった。そこでは江戸時代のように人々は藩主の私的な支配に従属するのではなく、臣民として天皇の下に位置づけられ、みずから戦争に出陣する気概をもつ必要があった。
戸籍制度を廃止して家父長制を清算しよう
さすがに今どき国体とか臣民とは言いにくいので、保守派は「国力」とか「国柄」とか、やたらに国家を持ち出してナショナリズムをあおる。彼らは国民国家こそ西洋近代の生み出したフィクションであることを知らないのだろうか。
ナショナリズムは、日本のように組織化された宗教をもたない国で国民を統合するほとんど唯一の概念装置だが、主義主張ではなく感情である。それには理論がないので、ネトウヨでも共有できる。彼らも「在日が戸籍名ではなく通称を名乗るのは在日特権だ」というように、戸籍を差別の道具に使っている。
明治国家の戸籍は、天皇を頂点として日本人を本籍や続柄で序列化し、「朝鮮籍」を底辺とする差別の制度化だった。自民党もネトウヨも家父長主義を守ろうという点では同じであり、夫婦別姓をめぐるくだらない論争はそのなごりである。
今は戸籍がないと手続きできないのは相続と不動産取引ぐらいだが、どっちもマイナンバーカードがあればできる。こういう家父長主義を清算するために、韓国のように戸籍制度を廃止してはどうだろうか。






