なぜ働いていると本が読めなくなるのか?

岡本 裕明

本をめぐる話題は多くあります。よくあるのが「最近、読んでいないなぁ」でしょうか?でも本当に「最近」ですか?昔から読んでいなかったのではないでしょうか?

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私はまずまずの本好きだと思います。受験期はあまり読まなかったのですが、大学に入ってから少しずつ読むようになり社会人になってからピッチを上げてきました。若いころは金がなかったのと邪魔になるのでひたすら図書館で借りまくりです。カナダに来てからもかつて休暇でメキシコのオールインクルーシブリゾートに毎年行くたびにバンクーバーの中央図書館から日本の推理小説を10冊ほど借りてプールサイドでひたすら読みつけていました。コロナビールを片手にリゾート地で娯楽本を読むのは最高でした。(贅沢だと思うでしょう。飛行機、ホテル、滞在中の飲酒飲食全部入れておひとり様15万円ぐらいです。お得なんですよ。)

この20年ぐらいは更にピッチを上げて年間50冊を維持しています。これ以上は難しいし、自分の与えられている時間との兼ね合いを考えればバランスも崩れるので求めていません。50冊というのは週1冊ペースですが私は通勤電車に揺られるわけではないし、骨のある本も多いので2時間で完読「ゴチッ!」というわけにはいきません。つまりなかなかタフで意識しないと読めないのです。

私の場合はノンフィクションとフィクションを交互に読むことだけはルールづけています。あと、長く読み続けている作家、司馬遼太郎と今野敏が間に入るので割と窮屈な感じですね。本屋をやっているので話題本もある程度は目を通す必要があります。「成瀬は天下を取りに行く」は圧勝の本屋大賞でしたが、直木賞系統としてよく書けています。芥川賞をとった「バリ山行」は久々にハマって寝るのを忘れて一気読みしました。

そんな中でノンフィクションの分野で少し話題になった『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)は本がテーマというより途中から働き方の話になって一般書評がどうだか知りませんが、私はやや辛口評点です。全体の3/4は社会学的見地からよく書けているのです。さすが高学歴だけあると思ったのですが、最後の1/4で突然著者の哲学論になってしまい、私からすれば「あれぇ?」でした。これは読者を惑わしたと思います。

さて、「本を読まない」のか、「本が読めない」のかニュアンス的に似て非なるものと考えています。「本を読まない」はそもそも本を読む癖や意志がないという意味合いが強い一方、「本が読めない」は読みたいのだけど物理的制約で読めないケースが想定されるのではないかと思います。

上述の三宅さんの本では会社に入ると忙しくて本が読めないという仮説をもとに話が展開しています。私はそれはどのレベルの話をしているか次第だと思います。この著者はもの凄い本好きで、あるYoutube番組で一日一冊レベルの話だと聞いていますので私の7倍もお読みの話なのです。仮に週1冊程度なら「女工哀史」「あぁ野麦峠」の時代じゃあるまいし、娯楽系の本なら2-3時間で完読できるものも多いので読む気さえあれば会社に関係なく、問題なくこなせるはずです。

本を読めないのを会社や仕事の理由にしたくなるのはわかるのですが、私から見ればそうではないと感じています。2時間という人が集中できる時間を何に配分するか、その選択肢が昔に比べ増えただけの話で読書への配分が減っただけだと考えています。つまり、わき目も触れず本に集中すれば仕事が邪魔するのは屁理屈です。大学のクラスが90分、プロスポーツ観戦が概ね2時間、コンサートや映画も2時間、テレビのスペシャル番組も2時間、混んでいるレストランのMaxも90分から2時間、そしてライトノベルの読了も2時間、つまり人が集中できる時間でその中で何を選択するか、です。(この90分から2時間の集中力は科学的に検証されています。)

「本を読まない大人」に本を読めといってもそれは苦行でしかなく10ページ読めば終わりです。不思議なものですが、読書だけは小学校ぐらいの時に癖をつけていなければ将来、厳しいと思います。今の小学生でも読み癖がある子とない子がいるようですが、ない子は残念ながら大人になっても読まないでしょう。小学生が書籍を読むかどうかは親にかかっています。家に書架があるか、そして整然と書籍が並べられ親がどんな本でもよいので読んでいるところを子供に見せているか、そこが決め手になると思います。子は親の背中を見るのです。

前述の三宅さんの書籍の中に「司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン」という項があります。これはワロタ!です。60年代に書かれた司馬の文庫本を1970年代のサラリーマンが「坂の上に上がるロマンを感じ立身出世を目指したと。そうかもしれません。私が10年以上かけて読み続け(未だ全部読み切れない)のは司馬遼太郎の歴史観に事実と創作が入り混じった独特のテイストにハマるからでしょう。三宅さんも述べていますが、『坂の上の雲』や『竜馬が行く』は8巻まであり極めて重い内容です。当時のサラリーマンの方は今よりはるかに長時間労働をしていたのですから仕事が理由で読まなかったというのは当てはまらないように感じます。

私が土建屋でサラリーマンをしていた時の会社のランチや飲み会の会話はいわゆる名著の評論も多く話題に上がりました。レベル高しです。三国志の話は特に盛り上がっていて当時は読んでいないと会話に入れなかったとも言えます。つまり読むことが必然だったのです。ところが今は誰も読まないからそんな会話にならないのです。『成瀬は天下を取りに行く』の書評話を男性と酒飲み話にするのはとても想像できないのです。

私が知る限り良い書籍は結構あります。ただ、駄作も多いし、感性に訴えお涙頂戴系の女性作家小説と論理的組み立てがある男性作家のサスペンスでは全く違います。自分がどんな書籍が好きか、まずはもう一度見極める、そして完読する癖をつけるのがよいでしょう。おおむね350ページが一つの目安。これより長いと面白くない小説は苦痛です。これに慣れれば『カラマーゾフの兄弟』の1800ページに是非とも挑戦を。まぁ7割の方は途中棄権すると思いますが。

秋になりました。読書の秋、書店に行ってみようではありませんか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年9月15日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。