深圳事件:王毅発言の「行間を読む」

上川外相は23日(日本時間24日未明)、ニューヨークの国連本部で王毅中国共産党政治局員兼外相と会談した。『環球時報』(『人民日報』傘下の英字紙)は24日、会談で王毅氏が広東省深圳で日本人男子児童が刺殺された事件について次のように発言したと報じた。

深圳の事件(incident)は、中国が法に基づいて調査し、処理する単一の事件である。中国はこれまで通り、法に基づいて中国国内の全ての外国人の安全を守っていく。日本側はこの問題を政治化したり拡大したりするのではなく、冷静かつ理性的にこの件に取り組むべきだ。

記事原文のキーワードを()書きしたが、通常「incident」は(1回だけの)出来事や(偶発的な)事件を指す一方、(警察などの公的機関が捜査すべき)事件や事態は「case」という。つまり、王毅氏はこの残酷極まる殺人事件を、「偶発的な、単一の出来事」として、日本が政治問題化しないよう、上川氏に釘を刺したのである。

王毅外交部長と会談する上川陽子外務大臣
中国外交部HPより

「行間を読む」という語がある。「文章(や発言)に直接表現されていない筆者(や話し手)の真意をくみ取ること」との意だ。

この発言の行間を読めば、王毅氏には、中国が対日関係を政治化して来たこと、そして今後も同様の事件が容易に起こり得ることの自覚がある。それゆえ事件を偶発的なものとして矮小化したいということだ。

判り易い証拠がある。深圳事件の翌19日23時過ぎに『産経電子版』が<独自>と銘打ち、「日本産水産物、中国の輸入停止撤廃へ最終調整 IAEAの枠組みで監視体制を拡充」と報じた。IAEAの枠組みの下、中国を含む第三国が参加できるモニタリング(監視)体制を拡充し、これを受けて中国側が措置を見直す方向であり、岸田首相とグロッシ事務局長が20日に電話会談し、監視拡充で合意するとの内容だ。

翌20日の『産経』は、無論各紙もだが、「中国、日本産水産物の輸入再開へ 岸田首相が正式発表 『事務レベルで認識を共有」』との見出し記事で、岸田首相の以下の発言を報じた。

中国と事務レベルで協議し、一定の認識を共有するに至った。日本側から処理水について追加的なモニタリングを行う用意がある旨、伝達し、中国側は輸入規制措置の調整に着手し、基準に合致した日本産水産物の輸入を着実に回復させることとなった。

だが同じ日に、『環球時報』はこの件に関する2本の記事を掲載した。14時過ぎの1本目の見出しは「中国と日本、福島原発汚染水の海洋放出で合意(agreement on ocean discharge of Fukushima nuclear-contaminated water)」、17時過ぎの2本目のそれは「中国と日本、福島原発汚染水放出の長期国際監視で合意(agree on long-term international monitoring of Fukushima ・・)」である。

1本目は中国外務省発表の記事で、合意した4項目が記されている。2本目は同紙スタッフの記事だ。が、両方の見出しには『産経』にあるような「日本産水産物の輸入再開」の文言はない。

記事を読んでも、「中国はIAEAの枠組み内での長期国際監視に実質的に参加し、参加国による独立したサンプリングとその他のモニタリング活動(independent sampling and other monitoring activities by participating countries)が実施された後、科学的証拠に基づいて関連措置の調整を開始し、規制要件と基準を満たす日本産水産物の輸入を段階的に再開する」とあるに過ぎない。

毛寧外務省報道官も、合意に達したからといって中国が直ちに日本産水産物の輸入を再開する訳ではないと強調、「我々は日本と技術協議を行い、中国の要求に完全に合致するという前提で、基準を満たす日本産水産物の輸入を段階的に回復する。協議の結果と政策調整は速やかに公表される」と述べている。

19日の『産経』の<独自>記事には、「IAEAの枠組みの下、中国を含む第三国が参加できる監視体制」とあるが、『環球時報』は「参加国による独立したサンプリングとその他の監視活動」と「independent sampling」と書いている。「IAEAの枠組みの下」とはいえ、中国が独立してサンプリングした資料のデータを「信じろ」と言うのか。つまり、相変わらず中国の胸三寸なのである。

そこで上川・王毅会談に戻れば、総裁選活動を中断してまで米国に出張った上川氏が、深圳事件の原因究明と再発防止策をギリギリと王毅氏に迫るべきところに、処理水放出絡みの合意が飛び込んできたお陰で、会談の多くの時間がこちらの問題に割かれ、深圳事件が薄まってしまった感が拭えない。冒頭の『環球時報』記事も8割方がこれで、深圳事件は2割ほどだ。

それも「即時全面解禁」とでもいうならまだしも、報道官が「合意に達したからといって中国が直ちに日本産水産物の輸入を再開する訳ではないと強調」する様な話である。なぜ岸田首相は20日にグロッシ氏に電話してまで、これを急いだのか。有終の美を飾ろうと、投げられた解禁という餌に焦って食い付いたのではないのか。

福島沖も東シナ海も海は繋がっている。中国漁船が福島沖で漁をしているのも周知のことだ。つまり、この禁輸は、中国側も振り上げた拳の降ろし所、あるいは中国国民を理解させるための説明、に苦慮する類の問題なのだ。折も折、深圳事件が発生したのだから、被害児童とご遺族に報いるためにも、処理水の話は事件の真相解明と再発防止がなった後で良い、となぜ言わない。

斯くて切り札は中国に握られ続け、水産業者には、この先解禁されたとしても、台湾産品の様にいつまた禁輸されるか判らない、という中途半端な状況を強いることになるのである。

最後に日本人学校について述べる。筆者は、13年4月から1年間、輪番で高雄の日本人会長を仰せつかり、オブザーバー参加を含めて10数回、日本人会月例会の一環で開催される学校委員会(「委員会」)に参加した。というのも、海外に90数校ある日本人学校の多くは、地域の日本人会または日本商工(工商)会によって運営されているからだ。

深圳の事件では日本商工会会長がインタビューに応じた。サイトを見ると商工会の運営だ。台湾に3校ある日本人学校は、台北・台中・高雄それぞれの日本人会が「委員会」を通じ運営に当たっている。「委員会」メンバーは、日本人会の会長・事務局長、校長・副校長、PTA会長、交流協会(大使館に相当)職員など10名ほどが、ボランティアで役割をこなす。

筆者のいた頃の高雄日本人学校は生徒の減少(ピーク時250名⇒100名)による赤字対策で、現地小学校の一棟を借りて、そこに移るという大イベントの最中だった。筆者の在勤中に校長の尽力で現地校借用の目途が付き、引っ越しは帰国後だった。が、知り合いの保護者から、給食やスクールバスの経路などのことで、しばらく相談を受けた。

給食問題は、主に約3割を占める台湾人ママの重要事だった。多くが専業主婦の日本人ママは弁当作りが容易い。が、台湾人ママには有職者が多いので、現地校の給食仲間に入るのは大歓迎。ところが日本人ママには台湾給食の味付けや調理法に懸念を示す方がいて、結局、弁当継続となった。

徒歩通学は皆無なのでスクールバスの経路も課題になった。こちらはほぼ全員車を運転する台湾人ママには大きな問題ではないが、スクールバス頼みの日本人ママには重大事だった。委員会で数ヵ月揉んだ末、何とか収まったと聞いた。高雄の治安は良好だが、保護者は主に「誘拐」を恐れていた。

筆者は台湾在勤前の90年代後半からの10数年間、即ち「バスに乗り遅れるな」の時代、中国には工場立地や子会社支援などで20回余り渡航した。主に上海、蘇州、広東省東莞市だったが、香港から東莞への通り道の深圳にも何度か寄った。その度毎に高層ビルが増える様子に眼を見張ったものだった。

当時、東莞市の常平駅駅頭には「物乞い」がおり、顔にケロイドのある子供を連れた親子を何度か見かけた。が、シュレーダー東独首相の訪中をホテルのTVが報じる頃(00年前後)には見掛けなくなった。経済成長の賜物だったのだろうが、昨今の経済不況が30年前に逆戻りさせつつあるかも知れぬ。