氷河期世代と国民民主党(または維新)

【お知らせ】
10月27日の選挙の日の夜9時すぎ頃からTwitter(x)スペースでラジオみたいに選挙結果について雑談するイベントを予定しています。よかったらご参加ください→@keizokuramoto ”聞く”だけでももちろん良いですが、どんどん”自分も意見を言いたい”という感じのご参加をお待ちしています)

さて。

今月、x(Twitter)では「氷河期世代」論争みたいなのが巻き起こっていて、僕も一応その世代ではあるんで、「倉本さんはどう思いますか?」と聞かれたりもしました。

端的に言えば、

・他の世代では考えられないような大変な状況があった。
・日本社会の「安定性」を維持するための捨て石にされてきた。
・だから声をあげる事は大事

…という感じだと思っていて、その事をもう少し掘り下げてこの記事では書いていきますが、その上で、少し気になる事として、僕の知り合いの「氷河期世代」が今回の選挙で国民民主党に入れるって言ってる人が多いな、と感じている話について書きたいと思っています。

今回、

・自公過半数割れなるか?
・立民の躍進はありそう
・国民民主党の躍進、維新の苦戦
・その他、れいわ・参政・日本保守党…も議席を取りそう?

…という状況が予想されているわけですが、それについてどう考えたらいいのか?という話まで踏み込みます。

1. 「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」

新美南吉の「ごんぎつね」っていう童話があって(著作権切れてるので青空文庫で全文読めます)、最後に上記の台詞が出てくるのを、ネットでよくパロディされてるのを見るんですが、氷河期世代の苦労っていうのは、結構そういう感じで「日本社会の安定のための捨て石に」されてきた面があるんですよね。

それはまず、氷河期世代が就職活動していた時期の問題から、普通の国なら不景気になったら「既に働いている世代」の雇用がダメージを受けることはあっても、若い世代は「次を育てる」ことが必要なんだから、というわけでちゃんと一定数取られ続けるはずで、そんなに「ある世代だけにダメージが集中する」みたいなことはないはずなんですが…

日本の場合、「既に働いている層」の雇用は一切手を付けさせないぞ!となった結果、とにかく「氷河期世代」だけがダメージを被る結果になってしまった。

結果として、後々雇用が回復しても、どこの会社でも氷河期世代だけポッカリ社員がいなくて、ちょっと下の世代から見て「氷河期世代がなぜか会社に全然いない」みたいな異常な状況になってしまった。

当時は今よりもさらに「新卒一括採用以外のルートが存在しない」構造だったので、とにかく「日本経済の歪み」が「一つの世代」に直撃する構造になったんですよね。

一方で逆に、「アベノミクス」時代になって、強烈な金融緩和で「就職状況」自体は劇的に改善したんですが、そうすると今度は

「デフレはデフレだが消費者にとっては悪いことではなく、大学生はほぼみんな就職できるし社会の一番の話題はAKBの総選挙だし」

…みたいな「平成時代後期のまどろむような平和」の期間を、低賃金と長時間労働で支えてくれたのも氷河期世代なんですよね。

さらに、最近の人手不足時代になって、若い新卒世代の初任給とかはかなり引き上げられる傾向があるんですが、その分中堅の氷河期世代の昇給はそれほどでもなく抑えられている構造があるらしく

ここでもか!という感じの役回りになっている。

つまり、ごんぎつねの話でいうなら、

「氷河期世代、お前たちだったのか、日本をここまで平和に維持してきてくれたのは」

…という感じ。

氷河期世代の当事者が恨み言ばっかり言ってるのは他の世代からするとウザいかもしれませんが、それぐらい「氷河期世代の貢献」によって「あなたの平和な人生」は保たれてきたんだぞ、というのは一応知っておいてほしいところではあります。

2. 「氷河期世代内格差」も大きい

ただ、人によっては「百社以上受け続けてどこにも就職できなかった」みたいな話がゴロゴロあるわけですが、当たり前ですがこれは人によって全然違うところでもあります。

例えば僕個人は就職活動にそんな苦労しなかったし、その後もまあまあ好き勝手生きてきている面はあり、世代の人数がなんせ多いのでそういう人も一定数います。

以下の図は2023年段階の人口ピラミッドですが、アラフィフの一番多い世代の人数は今の20代の倍ぐらいいるので、「たとえ世代の半分だけしかマトモに就職できてないとしても、今のZ世代の若者と同数ぐらいの人数はいる」という状況なのだとご理解いただければと思います(逆にいうと、膨大な数の”語られない非常に大きな苦労を背負っている人々”が不可視化されているとも言える)。

で、氷河期世代以外の人たちから見ると、

「氷河期世代の”勝ち組”はゾッとするほど自己責任論で負け組に厳しい」

…っていうのが「定説」みたいに語られているんですが、僕はそれは「ちょっと違う」と思ってるんですよね。

まあ自分が「勝ち組」とかいうのもアレですが、少なくとも異例に困窮する立場にはなかった身として、同じ世代の「まあまあ活躍している同年代」の人たちを見ていると、

「自己責任論者で負け組に厳しい」というより、むしろちゃんと貧困問題に問題意識を持っている人の方が多いと感じています(少なくとも自分の身の回りは)。

ただそうじゃなくて、「実効性のない綺麗事をいうヤツへの嫌悪感」みたいなのはすごいあるんですよね。

3. 「フリーランチは存在しない」という信念

経済学に「フリーランチ」っていう言葉があって、要するに「無料の昼食」なんてものはないんだ、という風に使われるんですが、これは無理やり何かを優遇すると、どこかにその「ツケ」が回される形になるのだ、という概念ですよね。

氷河期世代の「勝ち組」層は、「自己責任論者で弱者に厳しい」というよりも、この「フリーランチなどない」という部分をものすごく「身を持って痛感」している面があって、そういう部分への配慮がない綺麗事に対してかなりの嫌悪感を持ってるところがあるなと思います。

それが、他の世代から見ると、「弱者に厳しい自己責任論者」に見えるかもしれないけど、でも氷河期世代は同世代にかなり貧困状態になっている大昔の同級生なんかを抱えているので、「貧困問題への問題意識」はむしろ高い面もあると思うんですよね。

でもその「問題意識が他の世代に対してリアル」な面、それに対して本気で取り組もうと思っていないような綺麗事でお茶を濁す精神に対してかなり怒りを持ってる人が多いのではないかと思っています。

それは要するに、

・上の世代の雇用死守!という言葉にも…
・アベノミクス時代の劇的な就職改善と安定した平和時代にも…
・今の人手不足時代の初任給アップにも…

その「すべての綺麗事のフリーランチ」の背後で「ドロを被ってきた」のが氷河期世代だからです。

「黙れ小僧!」という気持ちになるのがわかりますよね?

「黙れ小僧!お前に氷河期世代の不幸が癒せるのか?日本社会の他の世代が、安寧な守られた平和を過去20年間生きられるための捨て石とされてきたのが氷河期世代だ。お前に氷河期世代が救えるか?」

で!↑”こういう切実な思い”を引き受けてくれるのが、維新や国民民主党で、今回は維新が色んなゴタゴタに巻き込まれている分、国民民主党に期待が集まっているということなのかなと思うんですね。

4. 国民と維新が重要な役割を果たす流れになる理由

最近、僕のウェブ記事や本が結構広く読まれるようになって、国会議員の勉強会みたいなのにも呼ばれることがあるんですが、今年の7月に日本維新の会の勉強会に呼ばれて話した時に、政調会長の音喜多さんが、

全体として「自民的なもの」が緩やかに票数が落ちていく先で、立民は最左翼層とくっついている限り現実の舵取りは絶対できない。そうすると「足りない票数を補える現実的な政党が必要になる。そこでどこかのタイミングで自分たちを高く売れるタイミングが来るので、そこでキャスティング・ボートを握って政権に参加する。

…みたいな将来戦略を明確に述べていて、今回の選挙はまさに「そういう状況」に近づきつつあるということなのかなと思っています(慧眼でしたね!と言いたいところだけど、その役割は国民民主党が担うことになるかも、というところだけが誤算ですねw)。

ただし、玉木さんは「連立には参加しない」と明言したそうですが、「部分連合」には含みをもたせたらしく、もし自公で過半数割れをすると、欧州では時々ある「少数与党」時代が日本でも来るのかもしれません。

欧州の「少数与党」ってどんな感じでやってんの?ってChatGPTに色々聞いてみたんですが、どうやら「完全に与党内」に入ってしまうよりも「高く売りつけられる」作戦みたいなところがあるみたいですね。

「自公」の「公」みたいに抱き込まれると、まあ基本的には与党案がそのまま通るよねって話になりますが、「自公」だけでは法案通せない、首相も選べない状況になって、

いや〜我々は与党じゃないですけどね。でも良い政策、良い総理なら賛成するにやぶさかではないですよ

…みたいな態度を取ると、その自分たちの議席分を「最も高く売りつける」ことが可能になる、みたいなことなのかな。

「自公国」の固定でないとすれば、場合によっては維新が賛成票を出してくれることで通せるようになるという感じが法案によって是々非々に決まるということなので、まあ良く言えばチェック&バランスが効いている、失敗すればほんと大混乱の政治・・・というデリケートな道をこれからの日本は歩いていくことになるのかも。

5. 国民民主党に期待する氷河期世代の強い思いの源泉は何なのか?

なんか、「国民民主党に騙されるな!」っていうハッシュタグがxで出回ってましたし、国民民主党って結構なんだかんだ流れ次第の勢いで吹っかけたことを言いがちな面があって、そこがなんだか信用ならないと感じている人も多いと思います(僕も結構そういう気持ちはある)。

ただ、例えば社会保障改革で現役世代の負担減をなんとか実現したい、みたいな方向でちゃんと踏み込んでくれてるのは、維新と国民しかないんで、その一点だけでも期待感は高まってるところはありますね。

で、ここで「玉木さんとか音喜多さんとか」は、

「世代間対立を煽り、老人世代に厳しく、社会保障改悪をゴリ押ししようとする骨の髄まで冷血なネオリベで、自分たち若者もいずれ老人になるってことを忘れているアホ」

…に見えている他の世代の人もいると思うんですが、氷河期世代からすれば「全く違う風景」が見えているってことが、この記事をここまで読むとわかってくれるのではないでしょうか。

氷河期世代からすれば、

・そうやって綺麗事で一切の効率化を許さずに上の世代は社会保障を使いまくり、そのうち自分たち氷河期世代が老人になった時に破滅的な改悪がやってくるに違いない
・むしろ丁寧に効率化を行い、持続可能な制度に刈り込むことで、自分たちが老人になった時にあまりにも破滅的な改悪が起きないようにしてほしい

↑こういう『切実な願い』があるんですよね。

で、国民民主党とか維新の一部が言ってることに対して、ただただ「綺麗事」の観点から「弱者切り捨て」だとか言ってるヤツに対して、「本当にそれが誠実な態度と言えるのか?」っていう強い疑念が、氷河期世代にはあるのだ、ということを、理解していただければと思います。

6. 日本の医療制度には何らか真剣な取り組みが必要なのは明らか

そもそも、日本でこういう議論をしはじめると、「あの輝かしい欧米諸国は邪悪な日本政府よりも圧倒的に素晴らしい政策を行っており、我々は邪悪な自民党に投票し続ける劣等民族だからこんなに低レベルのサービスを受け続けているのだ」という強固な「妄想」が蔓延っているのがかなり歪んでるんですよね。

まずその時点で間違っていて、医療関係者の多くが口を揃えていうように、日本みたいに高レベルな医療を安価に、田舎でも貧困層でも受けられるシステムを整備している国はそうそうありません。

アメリカが、結構な裕福層でもちょっとした病気で破産する事があるような制度になっていることは有名ですが、一方で「欧州は医療が無料だっていうじゃないか」といいますが、その場合はなかなか予約が取れず、重要な手術でも数ヶ月とか半年待たされる例も多いです。

「医療制度のトリレンマ」という言葉があって、「安価さ」「アクセスの容易さ」「質の高さ」のうち、全部を同時に満たすことは不可能であり、どれかを諦めなくてはいけないという状況について説明しています。

日本は、「無料ではないにしろ世界的に見てかなりの安価さ」「相当な田舎でも高度医療を受けられる上、”コンビニ受診”的に気になったらすぐ見てもらえるアクセスの容易さ」「世界最高とは言わないもののかなりの質の高さ」をすべて実現しようとして、天井知らずの医療費を税金で補填し続けている状態にある。

その為に一部のお医者さんは他国ではありえないレベルの過重労働を強いられていますし(それが理由で私立医大の女子配点問題なども発生した)、あまりに厚労省が薬価を無理やり引き下げようとするので、治療に必要な普通の薬の供給システムが崩壊しかかり、手に入らない薬剤が出てくるという笑えない事態にもなっているし、元々ある程度高い技術を持っていた日本の医療技術関連の会社が、最先端技術競争から脱落しつつある原因にもなってしまっている。

そうやってかなりの「無理」を重ねに重ねている現状にも関わらず、それでも医療費の『爆増』っぷりは本当にすごくて、ついこないだまでは「たしか40兆円ぐらいだったかな?」と記憶していたのが、ふと調べるたびに兆円単位で増え続け、2021年には45兆円の大台に乗ったかと思えば2023年には47兆3000億円にもなっています(ちなみに日本の”国家予算総額”が年間”たった112兆円”でしかない事を考えると、いかにものすごい額なのかがわかると思います)。

さらに恐ろしいことは、この数字はもちろん少子高齢化でも増えていきますが、これから一件5000万円とか一億円とかする最新高度医療が続々と普及することでもさらに急激な増加が見込まれているのです。

ここまで読んで、バトル系少年漫画で「あれだけ苦戦した中ボスの後にもっと圧倒的に強いラスボスが出てきた」ような恐ろしさを感じていただければ幸いです。

「集団自決発言の成田悠輔」は「ナチスの再来」とか言って「論破」しているだけでなんとかなる問題じゃない。

はっきり言って、成田氏の言ってることをただ批判しているだけで具体的なことは何も考えていない人たちが言っていることは、いわゆる『竹槍でB‐29に戦いを挑むようなもの』です。全く現実性がない。

本当に、誰かが真剣になんとかする方法を具体的かつ必死に考えないと、どこかで破滅的な制度改悪が行われるのは目に見えているような状況なんですよね。

しかしもちろん、そこでどうしたら具体的な解決策が見つかるのかを必死に考えている人たちも一部にはいます。

例えば、理化学研究所の元研究者で今は株式会社ビジョンケアという医療技術ベンチャー経営をしておられる高橋政代氏は、x(Twitter)で「自賠責保険」と「任意保険」が分離して両立している自動車保険のような制度をうまく組み合わせるべきだという提案をされていました。

あまりに高額で特殊な高度医療を使いたい人は「月数百円の掛け捨て保険」でカバーできるようになれば、公的保険の負担額は減りますし、なんとか「高度医療化と国民の平等の両立」の道が見えてくるかもしれません。

これに限らず、真剣な課題意識を持って医療省人化・低コスト化・集約化・その他の工夫を全力でやって、”コンビニ受診”的なものも少し諦めてもらって、貧困層以外のご老人には3割負担までは認めてもらって…というあらゆる具体的な打ち手を真剣に打っていくことで、なんとかアメリカのように「金持ちと貧乏人で受けられる医療が全然違う」という国に将来にわたってならないようにする道が見えてくる。

そこで単に「成田発言はナチス!決して許されないのだ!」と”言うだけ”で終わるのか、それとも、高橋氏のように「現場で真剣に具体的な方法を考えている人」のところに取材に行って、話を繋げていって社会的に適切な対策を打っていける流れを後押しできるのか?

それが、「氷河期世代の切実な願い」にちゃんと応えてもらえるのか?という分水嶺になってるんですね。

7. 「氷河期世代型責任感」がクサビを打ち込む情勢になれば

選挙の時には生煮えに色々と叫ばないといけない面もあるから、現時点で玉木さんがこう言ったとか、末端の党員がこう言った…みたいな話を全部真に受けて検討すると、不安になってくる面はあるんですよね。

それは僕も個人的には「ちょっとこの発言は…」「ちょっとこの政策は…」と不安に思ってる点は沢山ある。

ただ、ここまで書いたような「議論の内容」について、そもそもいっさい話に踏み込んでくれないのが自民・立民・れいわその他…ってところがある事に、氷河期世代のある層はかなり絶望していたというところがあるのだと思います。

「成田発言」に対して自分は反対だし、そんな言い方すると余計揉めるだろうが、という怒りもあるけど、一方で、現状のままでは維持不可能なのは明らかな制度に対してなんとか「維持可能」な状態に持っていこうとする努力について、既存左派政党が何も踏み込まずにいることにも、「同じぐらいの怒り」を持っている層が多いのだと思います。

それが放置され続けることが「世代間憎悪」を余計に焚きつける面もある。

音喜多さんはしょっちゅう辻立ち(街頭演説)してるらしいですが、老人しかいない平日のスーパーみたいなところでも、こういう話題をちゃんと取り上げなきゃ!と思ってよく話してるそうです。

「3割負担」と言い出すと物凄い負担に感じるが、「9割引き」だったのを、若い世代のために「7割引」にしてもらえませんか?という演説をすると納得してくれる人も多い

…みたいな事を言っていて、「こういう配慮を積み重ねよう」としている人たちについて、「単なる弱者切り捨てのネオリベ野郎だろう」という評価はちょっと間違ってるんじゃないかと思います。

で、「現時点で言ってる事」にはかなり無理矢理な事が含まれてると思うけど、でも彼らなら、実際に着地点を模索する段階になるとあと一歩デリケートな部分に配慮して政治を動かしてくれるんじゃないか?という期待は一応ありますね。

自民党だけでやってると、どうしても「利権的な構造があって変えられない部分」というのが残るので、国民か維新がそこにキャスティング・ボートを握ることで、「適切な効率化」を行ってくれるのを期待したい。

それによって、僕ら氷河期世代が老人になった時に、破滅的な改悪が待っている…みたいな状況にならないようにしてくれたらと思っています。せめて高額医療費制度は残して、アメリカみたいに貧富の差で受けられる医療があまりに違うみたいな分断は起きないようにしてほしい。

…という期待も込めて、たまたま今回うちの小選挙区に国民民主党の候補がいたこともあって、僕は期日前で比例も両方国民に入れてきました。

さいごに

「国民民主党に期待する氷河期世代」っていうのは、別に「弱者切り捨て」をしたいのではなくて、「単にツケを別のところにツケ回すだけの綺麗事」にはウンザリしていて、イデオロギーじゃない現実的な制度改革を求めているのだ…ということがご理解いただければと思います。

ってこういうことをわかってる立民の議員も自民の議員も沢山いると思っているんですが、「20世紀型イデオロギー論争」に巻き込まれて現実的な話ができなくなっちゃってる状況について、「キャスティング・ボートのクサビ」を打ち込んだ維新か国民が影響力を発揮していってくれたらと思っています。

音喜多さんは僕とほぼ同世代でガチの就職氷河期ですが、玉木さんも一応「就職氷河期の最初の年」ぐらいの世代みたいなんですね。

玉木さんは僕のTwitterフォロワーが3000人ぐらいだった10年前ぐらいにいきなり「ファンです」ってTwitterDM送ってきてくれた事があって、僕は自分の事結構すごい人だと思ってるのでそういう事があっても当然だと思っていましたが(笑)、うちの奥さんが「それって良く考えるとすごい感度が高いってことなんじゃ?」って言われてそうかも???という気持ちになったりして。

確かに現時点では色々と「信頼できない」部分がどうしてもあるとは思いますが、こういう感じの「問題意識」を共有してくれてるという実感があるのは、音喜多さんとか玉木さんなんだな、ということに、今回同世代の色んな人達が気づいて投票先に選びつつあるのを感じています。

選挙の日のTwitterスペースへぜひ!『新しい中庸の共有』が見えてきてるかも?

とはいえ!選挙はまだまだわかりません。

ただ、

・「自公で過半数割れ」
・「立民は共産党と距離を置く保守派野田路線で勢力を伸ばす」
・「自民の最右翼層と、最左翼勢力は分離していく」
・「結果として維新・国民が重要なポジションに」

というのは、「全体としてみれば」、あらゆる意味での「中道派」の人には悪くない情勢と言えるのではないでしょうか?

まさに僕が10年前から言ってる「M字から凸字へ」っていうか、この動画の最初の10分で語ったようなことの延長線上にちゃんと動いていってる感があるというか。

そのあたりについて、色んな人のお気持ちやご意見を聞きながら、「混乱の先の新しい風景」がどういうものなのか考えるイベントを、選挙の日にやりたいと思ってます。

選挙の日10月27日の夜9時ごろから、そのあたりも含めて、x(Twitter)スペースで色々と話したいですね。

@keizokuramotoをフォローしておいてくれれば通知がいきます。

お相手してくれるのは元ファインダーズ所属で今フリー編集者の神保勇揮さんで、彼はかなり左翼で立憲民主党支持者なはずなので、今回の記事のような視点だけでなく色んな方向性から議論をしてみたいと思っています。

「ラジオみたいに聞きに来る」だけでもいいですが、我こそは!という感じで発言側に回ってもらった人から色んな党に投票したナマの声をお聞きしながら、今この状況を日本人がどう受け止めているのかを考えていきたいと思っています。

ぜひ、「自分も発言する」つもりで参加していただければと思います!

選挙結果は夜8時から徐々に明らかになっていきますが、神保さんが「ZAZEN BOYS」の日本武道館ライブに行ってるらしいので(笑)、だいたい夜9時かもう少し遅いぐらいのタイミングから始めたいと思っています。

よろしくお願いします!

長い記事をここまで読んでくれてありがとうございました。

ここ以後は、最近発表されたノーベル経済学賞の「ダロン・アセモグル」氏の研究結果を、今の日本の情勢に当てはめて考えてみる、みたいな話をしたいと思っています。

まずは、さっきも書いたですが、

・自公で過半数割れ
・立民は、共産党との連携でなく保守寄り野田代表で党勢を伸ばす
・結果として、国民・維新といった勢力の重要性が増す
・れいわ・参政・日本保守党などが極小勢力として伝統的な政治派閥から分離する

…というあたりの現象が、まさに僕が10年前から言ってきた「M字から凸字へ」の「中庸路線への大きな合意形成が徐々に取れつつある」という現象を表しているのでは?という話がまずあるんですよね。

以下の動画の最初の10分で言ったような話をさらに推し進めた結果になるってことなのかも?ってことについて、もう少し分析的に踏み込んで考えてみたいと思っています。

で、こういう「新しい中道の誕生」みたいな展開が、国家の繁栄について制度の面から経済学分析を行ったアセモグル氏の研究とちょっと響き合う部分があるんじゃないか?という話を以下ではしています。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。