富山の運河をゆっくりクルーズ

富山を旅しています。前回は富山駅から歩いて12分ほどの場所にある富山市民憩いの場、富岩運河環水公園を散歩する様子をお届けしました。

富岩運河環水公園のシンボル、天門橋。

この富岩運河環水公園はもともと神通川が蛇行していた部分を直線化した際にできた大きな池でした。その後富山湾に面する東岩瀬港とこの場所を結ぶ富岩運河ができると荷揚げ場となったほか、船溜まりとして機能した場所です。今は水運は廃止されましたが、観光船がここと東岩瀬港の間を結んでいます。

というわけで、わたしも観光船に乗って東岩瀬港に向かいたいと思います。片道運賃は1700円。約5キロの距離を1時間で遊覧します。帰りも船に乗ることもできますが、運河に沿って走るライトレールで戻ることも可能です。

10時10分に船は満員の乗客を乗せて出発しました。窓の外には水鳥が優雅に泳ぎます。この季節、越冬のために富岩運河にやってくる渡り鳥が多くいます。あちらに小さく見えるのはオオバン。シベリアなどから越冬しに日本にやってきます。

近影。ときどき水に潜り魚を捕まえます。

環水公園を離れると運河沿いに遊歩道があります。遊歩道に沿って黒く円い物体が並びますがこれは夜遊歩道を照らすライト。富山名産の万能薬「反魂丹」をイメージしているそうです。

秋色に染まりつつある木々と秋空を眺めながら船は進みます。

船は中間点で狭いプールのような場所に入りました。船の中にいるのでプール自体をお見せすることはできません。

ここは中島閘門という場所。実は富山湾と環水公園の間には2.5メートルほどの高低差があります。その高低差をスムーズに渡るために船をプールの中に入れ、水を抜くことで富山湾と同じ高さまで水位を下げて富山湾側の出口から出ていくというシステムを取っています。

こちらは2020年8月に撮影した中島閘門。
2つの門の間に船が入り、水位の高さを調節します。

※画像はお借りしました。
こちらは今回と逆、水位の高い側に渡るときの様子です。

水が抜かれ、水位が徐々に下がっていく様子をご覧ください。早送りじゃないのに目に見えて船が沈んでいくのがわかります。毎秒5トンもの水が抜かれるのでこのようなスピードで水位を下げていくことができるのです。

中島閘門を抜け、富山湾に近づいてくると沿岸は徐々に工場が多くなってきます。富山湾に面する岩瀬地区はかつて北前船の寄港地として大いに栄えた場所ですが、現代においても富山一の港である富山港が置かれておりその重要性は失われていないのです。

富山湾は沿岸からすぐに1000メートルを超える深さになるためさまざまな魚介類が取れます。ただここもさきの能登半島地震で海中の岩盤が崩れて特産の白エビなどの生息地が壊滅し漁獲高が激減しています。陸地にも海中にも大きな被害をもたらした自信を本当に恨めしく思います。

富山湾展望台(無料)

運河の幅がだいぶ広くなってきて、船に乗っていても波を感じるようになりました。大きな貨物船が停泊しており、その向こうには富山港展望台が見えます。展望台の眼下には岩瀬の街並みが、そして天気が良ければ南の方に雪をかぶった立山連峰を望むことができます。わたしはまだ登ったことがありませんが、ぜひ立山連峰がきれいに見える日に登りたいものです。

波の高い富山湾から今度は岩瀬運河と呼ばれる漁業用の運河に入ります。岩瀬の町の中を船はゆったりとすすみます。新しい住宅が並ぶ奥に古い岩瀬の街並みが広がります。

1時間の遊覧を終えて船は無事、東岩瀬港に到着しました。大勢の乗客が船を降り、岩瀬の古い街並みの観光に向かいます。

岩瀬運河は今も漁船が出入りしており、富岩運河とは異なりいまもその機能は失われていませんでした。のどかな漁村の風景が今日も見ることができます。

ここから北前船で栄えた岩瀬の古い街並みはすぐ。

ロシア語が書かれているのがこの場所の地理的特性を現します。

ただそれを語りだすと長くなってしまいそうなので今回は船旅のご紹介で終わります。

次回はその街並みや、岩瀬の地で堪能したお酒についてお話ししようと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。