2000年代に入ってから今日までの中国の20数年の流れをごく簡単に思い出してみましょう。
2001年12月WTO(世界貿易機関)に加盟した中国は文化大革命、天安門事件のしがらみから目覚め、「世界の工場」を標榜し飛躍的な経済成長を遂げ、世界経済で大きなウエイトを占め、世界の名だたる企業は中国進出を目指します。その象徴は08年北京五輪と10年の上海万博の成功であり、ここから先は中国が世界の常識や枠組みから外れるような強硬な世界進出を図ります。また国内経済は地方都市が融資平台のスキームのもと、民間業者と持ちつ持たれつで市場の需給を無視した無謀な住宅供給を、中央政府レベルも鉄道を含めたインフラ投資に傾注します。更に国際舞台では一帯一路政策、アフリカや一部新興国への多額のタイドローン(紐付き融資)で焦げ付けばその港湾の使用権を得るなど札束でほっぺたを叩く剛腕ぶりを示します。
それを強く主導したのが2013年に最高指導者となった習近平氏であります。
トランプ氏が大統領に就任し2017年1月以降、米中間の貿易を含む関係の緊張化は中国をより頑なにします。国内で発展していたビッグデータビジネスや教育(学習塾)、海外不動産や海外投資などへの規制を含め中国共産党の絶対的支配がより強化されます。それはコロナにおける封鎖社会でより顕著な形として表れ、国民はひたすら耐え忍ぶ状況になります。が、期待したコロナ後の社会はそれ以前の社会とは風景が違っていた、これが中国の今日で今、各地で起きている社会問題そのものではないかと考えています。
浦島太郎、約3年間の封鎖社会を経て社会を見渡したら仕事がない、不動産市況は悪化するなどかつてない経済的試練に出くわします。「我々の知っている世界ではない」。これが一般的な中国人の素直な気持ちではないでしょうか?
その激しいストレスを飲み込み、耐え忍べる人ばかりなら何ら問題はありません。14億人もいる社会においてどれだけ規制されている社会とはいえ、そのほころびはあちらこちらで見えてくる、これが今の中国の一般社会だと認識しています。
1週間余りで3件の無差別殺人事件が発生しました。それぞれの連関性はないものの理由はストレス、自暴自棄と言えるでしょう。中でも広東市では離婚調停に不満を抱えた犯人が車を暴走させ35人を死亡させたのをはじめ、江蘇省では専門学校で元学生が8人を殺傷、湖南省では小学校前で児童らが車にはねられる事件が起きています。
中国ではこれらを「報復社会」と称しているそうですが、報復の対象を社会にぶつけているように見えます。その報復をする可能性がある人を「五失人員」と呼んでいます。この意味をあえて中国語辞典で調べてみると投資失敗人員、生活失意人員(人生に挫折した人)、心理失衡人員(精神バランスが崩れた人)、关系失和人員(調和の取れない人)、精神失常人員(精神を病んだ人)となっています。
私の解釈はあるべき期待値、安定、計画が崩れ、元の状態に戻すのが極めて難しく、夢も希望も復活するためのチャンスすら見いだせない状態にある人とも解釈できます。
悪いことに中国は閉鎖社会であるがゆえにそれらの蔓延した悪い空気が「換気」されず、更に「精神衛生的の空気汚染」が進行している状況にあると言えます。もちろん、共産党の縛り上げる政策がそうさせているわけですが、中国社会形成に何か独特の理由が潜んでいるような気がしてなりません。
私は中国研究家ではないのでその「独特の何か」が学術的にこうだ、というのができないのですが、個人的には20年強の間に社会が急変しすぎたことに原因を見出すことは可能ではないかと考えています。
冒頭に中国の20年強の変化ぶりについてあえて立ち返ってみたのはここにあります。あまりの変化と刺激は通常スピードより2倍、3倍の早回しの状態とも言え、大多数の国民は表層的な近代化を享受したのです。ところがモノの本質論、労働とその対価の意味や社会の価値観、教育とその育成、人間力については1倍速である20数年の時間軸のまま進んだのです。すると「人間としての基盤」と「社会の進化や変化」の間にギャップが生じ、国民がこれを吸収できなくなるのです。「五失人員」のような問題が起きた時、人間の本能的回復力で未然に防ぐことができないのではないか、という仮説を考えています。
このような問題は中国に限らず、アメリカでも日本でもあります。アメリカでの無差別に銃を撃ちまくる事件や日本の通り魔殺人はその一例でしょう。懸念されるのはその潜在爆発性が中国でより高まっていやしないかという懸念があります。
このような中国はどこに向かうのでしょうか?正直想像がつきません。1週間に3件程度の殺傷事件はほんの入り口に過ぎないのではないか、という気がしてなりません。理由は共産党が国民をロボットのようにすることで個性を抜き去ろうとしたのに対してそれが機能せず、人間たる中国人が暴発し始めたということであります。現在の報復社会の動きは個人レベルですが、必ず集団化するときが来るでしょう。その時、警察が力づくで抑え込むことで更なるストレス社会を作り出す悪循環に陥ってもおかしくはないでしょう。
厳格なる権威主義国家の行く末がどのような形になるのか、案外判明するのはさほど遠くない時期なのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年11月28日の記事より転載させていただきました。