偏見は恐ろしい。その感覚が偏見と知らされても、すんなり認められない。むしろ、偏見を抱く者は激しく正しさを主張するだろう。なぜなら、認知の歪みを自覚できないのが偏見だからだ。
黒人がポケットに手を入れたら銃を取り出そうとしていると、直感的に思う。これは偏見についての言い尽くされてきた例えだ。旧統一教会の誰かが何か言うときは、我々を騙そうとしている。だから発言に耳を傾ける必要なんてない。これが2022年7月以来の日本の風潮だ。ポケットに手を入れた黒人は白人に撃ち殺され、信者であるというだけで旧統一教会の人々は人権を否定された。
黒人はアメリカのそこかしこに居る。しかし信者数60万人、アクティブな信者が5万人とも8万人ともされる旧統一教会の信者と、日本国内で出会うのはなかなか難しい。5万人とは、甲子園球場を満たした観衆の人数くらいだ。
会ったこともない信者と、この人たちが信仰する宗教への偏見は、何者かが日本の社会に植え付けたものだ。では、どこで人々は旧統一教会についての知識を得たのか。マスコミの報道からだ。もし記者やジャーナリストが取材を尽くして公正な報道をしていたら、偏見を拡散させなかっただろう。マスコミは偏った情報源から、都合のよい話を選び出して報道したのだ。
その情報源の一つであり、偏見が「偏見ではなく正当な感覚」とする裏付けを与えたのが、宗教学の研究者が語る旧統一教会論だった。前置きが長くなったが魚谷俊輔著『反証 櫻井義秀・中西尋子著「統一教会」』(以後『反証「統一教会」』とする)は、アカデミアが広めて日本の社会に固定した偏見を反証した書籍だ。
2010年に初版が発行された櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』は、これまで同教団研究の決定打とされてきた。同書が洗脳、教義、献金、合同結婚式、正体隠し伝道などの「実態」や「真実」としてきたものを、魚谷氏は文献、データなどエビデンスを添えて否定し、代わりに何が実態で真実か提示して行く。
旧統一教会は我々を騙そうとしているという偏見は、『反証「統一教会」』を開いて数ページ読めば、客観的な事実をこれでもかと積み重ねてくる著者の態度によって打ち砕かれるだろう。そして同書によって、これまでの旧統一教会批判は古びたものになり、同教団をめぐる議論は新たなフェーズに入った。もちろん読者には反論する自由があるものの、マスコミ報道で得た程度の知識では太刀打ちできない。したがって旧統一教会に批判的な立場を取りたい人こそ読むべき書籍だ。
その上で正直に書くが、795ページ、重量1.3キロ、広辞苑級の威容を誇る同書は、皆に勧められる書籍ではない。安倍元首相暗殺事件後に雨後の筍のように登場した、統一教会糾弾言論のような大衆性がまったくない。しかし著者の魚谷俊輔氏が『反証「統一教会」』を書き上げて同書が世に出たことで、旧統一教会を語ろうとする者なら避けては通れない巨大な事実の山が出現したと断言できる。
魚谷氏は国際宗教自由連合の上級研究員で、UPFの日本事務総長だ。そして『反証「統一教会」』に一貫している客観性とエビデンスを重視する姿勢は、彼が東京工業大学工学部を卒業していることと関係しているかもしれない。
科学的な姿勢が貫かれた同書は、読む者の同情心を揺さぶるお涙頂戴や、怒りを誘発させる誇張された表現がない点では大衆的ではないが、余計な演出のない文体で次々と未知なる事実が提示されるので、読み進めるのがまったく苦にならない。スリリングでさえある。
私は魚谷氏と面識があり、他の旧統一教会関係者や信者からも話を聞いてきたが、『反証「統一教会」』で行われた検証作業で明らかにされた教団、教義、信仰の実態には初めて知るものがいくつもあった。
しかも現役信者への聞き取り調査を行っていない櫻井氏の著述やマスメディアでの発言と違い、魚谷氏は旧統一教会への風当たりの原因から内部の実情までを冷徹なまでに見据えている。こうした姿勢が巨大な事実の山の裾野を広くしているのだ。
『反証「統一教会」』のエピローグでは、若き日の櫻井氏が北海道大学に入学してすぐ統一原理に出会い、教会の学生部や原理研究会に出入りしていた事実が発掘されている。
櫻井氏は中立的な宗教学者と目されてきたが、ある時期から反統一教会の姿勢に転じ、洗脳をめぐる立場も変えた。これを魚谷氏は、統一教会に甘すぎるという「バッシングに対する恐怖心とトラウマに起因するものであると思われる」と指摘し、「自分が学生時代に統一教会と出会い、教会の学生部や、その友好団体・原理研究会に出入りしていたという事実を公表することなく、客観的な第三者であるかのようにふるまって研究活動を続けてき、統一教会に関する数多くの論文や書籍を発表してきた」と批判する。「不実表示」に当たるというのだ。
ここに至り『反証「統一教会」』は旧統一教会問題についての反証としてだけでなく、櫻井氏に限らぬ日本の人文系アカデミアに警鐘を鳴らす書籍となっている。なぜなら旧統一教会の立場を有利にしようとするポジショントークで埋め尽くされた著述ではなく、エビデンスを重視した客観的な姿勢が全篇に貫かれているからだ。
編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2024年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。