アサド政権崩壊後のシリア:アフガニスタン化かリビア化か?

8日、シリア内戦勃発以来、13年間にわたり持ちこたえたアサド政権が突如、崩壊した。先月27日より攻勢に出ていたイスラム主義勢力がダマスカスに突入し、これを占領したのである。アサドは既に脱出しており、抵抗らしい抵抗もなかった。今後のシリアはどこへ向かうのか、展開を占いたい。主に考えられるのは、アフガニスタン化かリビア化のシナリオだ。

バッシャール・アル=アサド大統領インスタグラムより

今回の攻勢を主導したのは、イスラム主義勢力・シリア解放機構(Hayʼat Taḥrīr al-Shām、略称HTS)である。内紛が多く分裂しがちなシリア反体制派勢力の中では、比較的統制がとれており、それゆえ高い作戦遂行能力を誇る。

HTS指導者・ジャウラニ氏

HTSの狙い

HTSはしばしばシリアのアルカイダと非難される。かつてはアルカイダに属するヌスラ戦線と名乗っていたからである。イスラム国の台頭とともにアルカイダが埋没し利用価値が無くなると、テロ組織のイメージ脱却をはかり現在の組織名に変更した。アルカイダ自体ももはや存在しないに等しく、反HTSのプロパガンダの言辞以上の意味はない。ただ、アメリカ政府は未だ、アルカイダの関連組織とみなし、指導者ジャウラニに1000万ドル、日本で約15億円の懸賞金をかけている。

HTSはシリアで一度壊滅したムスリム同胞団に起源を持ち、アサド政権下で押さえつけられてきたイスラム主義運動を代表する組織である。シリアは、中東有数のクリスチャン人口を有する、また、アサド一家のアラウィーやドルーズなどが入り組む宗教・民族のモザイク国家だ。ムスリム同胞団はかつて蜂起した際、クリスチャンやクルド人など数万人を虐殺した。ジャウラニは、少数派迫害のイメージを払拭しようと躍起になっている。

ジャウラニは攻勢の真っただ中の6日、CNNの独占インタビューに応じ、その中で少数派の保護を名言した。その言葉より、インタビューの絵面が何よりHTS統治のあり方を雄弁に物語っていた。アメリカ人女性記者はヘジャブをさせられていたのだ。それゆえ、結果的に世俗国家シリアの終焉を予感させるものとなった。

シリアはアフガニスタン化するのか?

レッテル貼りに過ぎない「アルカイダ」も、諸外国からの承認の上でハードルになる。HTSがシリアを統治することになれば、タリバン政権と同様になると推測される。これがアフガニスタン化だ。

だが、これはあくまでHTSが、シリアを統一できた場合の話である。そもそもシリア反体制派は、内戦当初の2012年の時点で不協和音に満ちていた。カタール首都ドーハで開かれた会議は紛糾し、”100年かかっても合意は不可能”と揶揄された。果たしてHTSに反体制諸派をまとめる能力はあるのか。

HTSは、これまで反体制派最後の砦、北西部イドリブ統治の主体となってきた。住民の抗議運動や他の武装勢力との衝突が度々伝えられており、地域に展開するトルコ軍の介入を招くこともあった。イドリブすらまとめられなかったのに、急に手中に転がりこんできた政権側地域を掌握できるのかはなはだ疑問だ。

また今回、アサド政権崩壊の大きな一助となったのは、南部スワイダなどからの反体制派の進撃である。スワイダは、アサド政権が反体制派にほぼ勝利した後も反政府運動が根強く残った地域である。ドルーズなど少数派が多い土地柄ゆえ、イスラム主義一色じゃないのも特徴だ。HTSがイスラム法統治を敷こうとすれば、抵抗するだろう。

アサド政権とも反体制派とも距離を置いてきた第三勢力、クルド人の東部自治当局は、今やシリアの領土の40%を支配している。これを武力で打倒するか、交渉で取り込む必要がある。ただ、その背後にはアメリカが控えており、軍事的に征服するのは不可能で、”アルカイダ”の政府に参加することもあり得ない。

一番あり得そうなシリアのリビア化

こうした諸条件の中でよりあり得そうなのが、リビア化である。

リビアではカダフィ政権崩壊後、一旦は軍も崩壊したが、ハリーファ・ハフタル将軍の下で再結集し、イスラム主義統治に反感を持つ層の受け皿となった。東部を根拠地にして西部に攻勢をかけ、一時は暫定政府を崩壊寸前にまで追い込んだ。

シリアとリビアの位置関係 外務省HPより

今回、アサド政権を支えるシリア・アラブ軍や国民防衛隊は、ほぼ戦わずに崩壊した。SNS上で拡散された動画には、兵士が抵抗するなと命じられたと証言するものもあった。重火器など装備は放棄されたものの、兵力自体は温存されている。今後、HTSの統治が多くの混乱を生めば、リビア同様、有力な将軍の一声で残党が糾合する可能性がある。そうなれば結局、内戦は再燃する。

アサド政権の崩壊は、シリアの自由と民主主義の始まりではなく、新たな混乱の幕開けに過ぎない。