シリアの反体制派組織、イスラム過激派組織「ハヤート・タハリール・アル=シャム」(HTS)が8日、首都ダマスカスに侵攻し、制圧したというニュースを聞いた時、シリアに駐留するロシア軍の動向が気になった。アフガニスタンでタリバンがカブールに侵攻し、同国を再占領する直前、米軍など北大西洋条約機構軍(NATO)は即カブールから退去し、最終的にアフガニスタンから撤退したことを思い出した。
米軍がアフガンの軍事基地に残していった莫大な武器、軍事器材がイスラム過激派テロ組織の手に落ちた。米共和党は米軍のアフガニスタン撤去について、バイデン政権の大きな失策だと批判してきた。同じようなことがシリアでも起きるのではないか。今度は米軍ではなく、ロシア軍が撤退の危機に直面してきたのだ。
ロシアはシリアにフメイミム空軍基地(Khmeimim Air Base)と地中海沿岸にはタルトゥ―ス海軍基地(Tartus NavalBase)を持っている。ロシアは2015年以来、シリアの内戦に関与し、アサド政権を支援してきたが、それと引き換えに、ロシアはシリア国内に空軍基地と海軍基地を得たわけだ。そのホスト国アサド政権がHTSの12日間余りの武装蜂起で崩壊してしまった。モスクワのタス通信によると、アサド大統領とその家族はモスクワに避難し、ロシア側はアサド大統領の家族に人道的な配慮から難民の資格を提供したと報じている。
アサド政権の崩壊はロシアにとって威信喪失と受け取る向きがあるが、実際はそれ以上のダメージだ。モスクワが最も懸念していることは、フメイミム空軍基地とタルトゥース海軍基地の安全問題だ。モスクワには苦い思い出がある。ソ連軍が1989年にアフガンから撤退を強いられたことがある。そして今、ロシア軍がシリアから撤退すれば、ロシア軍の第2の撤退としてロシア軍の歴史で屈辱の出来事として記憶されることになる。名誉と威信を重んじるプーチン氏にとっては耐えられないことだ。
ロシア外務省は8日、アサド大統領が国外に退避したことを確認する一方、「シリアの内戦はまだ終わっていない。シリア国内には様々な武装勢力が存在するからだ」と述べている。ロシアにとってシリア駐留のロシア兵士の安全確保と軍事基地の維持が急務だ。
フメイミム空軍基地はシリア内戦では重要な役割を果たしてきた。同空軍基地は、シリア政府軍が使用していたバッサル・アル=アサド国際空港をロシアが改修し、2015年に正式に運用を開始した。ロシア軍のシリアにおける空軍活動の中心拠点だ。シリア内戦において、ロシアの航空支援はアサド政権の軍事的優位性を支える重要な要素となってきた。戦闘機(Su-35、Su-34など)、攻撃機、無人機、輸送機が配備され、作戦支援や空爆を行ってきた。ただし、ウクライナ戦争が激化して以降、フメイミム空軍基地から一部の部隊が撤退したと報告されている。
一方、タルトゥース海軍基地は、ロシアが1971年にシリア政府と協定を結び、ソ連時代から使用している地中海沿岸の補給基地だ。2017年には、ロシアとシリアの間で条約が結ばれ、基地の長期使用権が認められた。ロシアにとって唯一の地中海海域における海軍基地であり、戦略的な価値が極めて高い。潜水艦やフリゲート艦などが定期的に寄港し、補給・修理を行ってきた。ロシア海軍が中東や北アフリカで影響力を行使するための足場となってきた。
すなわち、シリアにあるロシアのフメイミム空軍基地とタルトゥース海軍基地は単にシリアだけではなく、中東全土への重要な軍事的足場だ。その拠点がアサド政権の崩壊でその存続の危機に瀕しているのだ。外電によると、HTSはロシア側に両基地の安全を保障したという。それが事実ならば、ロシア側もひと安心だが、シリア国内にはHTSのほかにトルコが支援するSNA(シリア国民軍)やクルド人勢力が主導する多民族混成部隊で、アメリカの支援を受けて活動しているSDF(シリア民主軍)などが存在する。ロシア側としてはHTSとの口約束だけではで十分ではないだろう。しかし、ウクライナ戦争で多くの兵力と軍事品を投入している時だけに、プーチン大統領にはポスト・アサドへの周到な準備が出来る余裕がないはずだ。それゆえに、欧米メディアでは「ロシア軍のシリア撤退も完全には排除できない」と受け取っているわけだ。
興味深いニュースは、イスラエル空軍が8日、シリア国内のアサド政府軍の軍事拠点を空爆したことだ。決して火事場泥棒ではない。ネタニヤフ首相は8日、アサド政権の崩壊を歓迎し、「イスラエルがヒズボラや武装勢力を弱体化させたことでアサド政権は急速に弱まった」と説明。アサド政権の崩壊にはイスラエル側の功績があったと強調する一方、シリア政府軍が保有している大量破壊兵器(化学・生物兵器など)が危険な武装勢力の手に渡らないためにシリア国内の軍事拠点を破壊したという。アサド政権は過去、化学兵器を実戦で使用したと報じられてきた。
なお、シリア国内には約900人規模の米軍兵士が駐留している。トランプ新政権が発足すれば、シリア駐留の米軍は完全にシリアから撤退するのではないか、といった情報が流れている。そうなれば、トルコ軍がシリアでの影響力を一層拡大することになる。
参考までに、イランにとってアサド政権の崩壊は大きな痛手だ。イランはレバノンのシーア派武装勢力「ヒズボラ」への軍事支援をシリア経由で行ってきた。その運送拠点のシリアのアサド政権が倒れたことで、ヒズボラへの支援がこれまで以上に難しくなるからだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。