論壇チャンネル「ことのは」にて、12月13日(金)の20時より、細谷雄一先生との対談「ウクライナ戦争、『専門家』は間違えたのか?」を配信します。全2回の前半で、どなたでも視聴可能。
後半は20日に公開の予定で、そちらは有料会員限定となります。
ざっくり紹介すると、前半のテーマはウクライナ戦争は「なぜ起きたのか?」、後半は「途中で停戦できなかったのか?」。
私のセンモンカ批判は趣味でやってるわけじゃないので、きちんとした国際政治学の専門家と対面で議論できるのは、大変ありがたいことでした。貴重な企画を実現して下さった細谷さんに、なにより御礼申し上げます。
番組の中身を全部はもちろん書かないのですが、一時期言われた、NATOの東方拡大がウクライナ戦争の「原因だ」といった議論は、正確ではない。
ただ一方で冷戦の終わらせ方を、西側諸国が途中からまちがえた。結果として、米ソから米露に替わった「裏返しの冷戦」のような世界がリスタートされ、その一環でウクライナが戦場にされてしまったとは言える。――といったあたりが、だいたいのあらすじでしょうか。
細谷さんの専門は国際政治学の中でも「外交史」。歴史=プロセスを振り返る営みには、目の前の出来事に異なる評価をぶつけあうだけでは殴りあいにしかならないテーマについても、共通の理解の土壌を作るという大事な意義があります。
収録は前月で、ちょうど米英がウクライナにロシア領へのミサイル使用を容認したと報じられた時期でした。しかし期待された戦況の改善は見られず、「西側の支援抜きでは国家が存続できない」状態に陥り、責任のなすりつけあいが始まったとさえ評される現状です。
一方でそれは、「新たな冷戦にロシアが勝った」みたいなことも意味しない。ちょうどウクライナと裏腹の構図なのがシリアで、プーチンの傀儡とも言われたアサド政権は余力を失ったロシアの支援を得られずに崩壊し、ソ連時代のアフガン撤退と対照する声もあります。
ウクライナ戦争が開いたのは、米国もロシアも、ともに「前よりだいぶ弱くなり、陣営内の友邦を支えきれない」状態で対峙する、二極なのか無極なのかわからない「くずし冷戦」のような世界だった。そうした歴史の認識に立つことが、いま最低限、広く共有可能な議論の土台でしょう。
対談の際、私が手元に置いていた年表に加筆したものを、参照用の資料として掲げておきます。多くの方にご視聴いただけますなら幸甚です。
1990.2.9 ベーカー米国務長官「1インチ発言」
90.4.3 ソ連が連邦離脱法制定(用いたのはアルメニアのみ)
1991.12.1 ウクライナ国民投票、独立が多数に
91.12.8 露・ウ・ベ3国がCIS創設に合意
91.12.25 ゴルバチョフ大統領辞任、ソ連解体
1994.12.5 米英露がブダペスト覚書に調印1999.3 東欧3か国にNATOが拡大
99.3 ユーゴ内戦でNATO軍がコソボ空爆
2003.3 米英など「有志連合」がイラク侵攻
2004.3 バルト3国ほかにNATO再拡大
2007.2 ミュンヘン安保会議でプーチンがNATO拡大を批判
2008.4 ブカレスト宣言が旧ソ2か国に言及
08.8 ロシアとジョージアの間で南オセチア戦争2014.2.21 マイダン革命でヤヌコヴィッチ逃亡
14.3.16 クリミアで「住民投票」、ロシアに編入
14.4 ドンバス2州で「人民共和国」が建国
14.5.7 プーチンが「人民共和国」の住民投票に延期を勧告
14.5.11 「人民共和国」で住民投票、独立を宣言
14.5.25 革命後の大統領選でポロシェンコ当選
14.9.5 第一次ミンスク合意
2015.2.11 第二次ミンスク合意2018.4.12 ウクライナがCIS離脱を表明
18.10.11 ロシア正教会がウクライナへの管轄権を失う
2019.2.7 ウクライナ憲法に「NATOとEUに加盟」を追記
19.4.21 大統領選(決選)でゼレンスキー当選
19.10.1 ゼレンスキーが住民投票の実施に言及
19.12.9 ゼレンスキーとプーチンがパリで会談(ヘッダー写真)2021.7.12 プーチンが「歴史的一体性について」論文公表
2022.2.21 ロシアが「人民共和国」承認表明
22.2.24 ロシアが「特別軍事作戦」開始
22.3.25 ロシア軍が「東部に専念」表明、キーウ撤退
22.3.29 4度目の停戦交渉がイスタンブルで開催
22.4.3 ブチャ虐殺をめぐり議論の応酬始まる
22.4.9 英ジョンソン首相が初のキーウ訪問
22.8.9 ゼレンスキーがクリミアの「武力奪還」を示唆
22.9 ウクライナ軍が東部ハルキウ州奪還
22.9.26 ノルドストリーム爆破事件
22.9.30 プーチンが東南4州の「併合」宣言
22.11 ウクライナ軍が南部ヘルソン市奪還
2023.1.7 C.ライスとR.ゲーツ「時はウクライナ側を利さない」
23.6 ウクライナ軍が「反転攻勢」着手
23.6.23 ロシアの傭兵会社ワグネルが反乱
23.11.24 ウクライナ側から「戦争は終えられたはず」と新証言
2024.2 アウディウカ陥落、ロシア優位が鮮明に
24.8.6 ウクライナ軍がロシア領クルスクへ侵攻
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年12月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください