政治的リスクへの感度が欠如
日本最大の鉄鋼メーカーによる米国の歴史的象徴・USスチールの買収は、ほぼ絶望的になりました。日鉄の副会長は「年内に買収完了できる」と、楽観的な見通しを語っていました。社運をかけて2兆円を投じる一方、政治的なリスクに対する備えが不足していました。
米国の歴史的象徴を買収し、日鉄の成長戦略の一角にしようとした経営計画が失敗したとなれば、経営トップは辞任し、経営責任を明確にするよう迫られるでしょう。米政権は経済的合理性に欠けていると批判できても、それが今のアメリカなのですから、日鉄は免責されません。
任期がごくわずかとなったバイデン大統領が、買収阻止の方針を改めて固めたと報じられました。今月23日が審査期限です。トランプ次期大統領はさらに強硬な反対派で、審査期限を延ばして当座をしのいだとしても、買収阻止は不可避でしょう。トランプ氏に阻止されるより、2年後の中間選挙、4年後の大統領選のことを考えれば、バイデン氏は自分の任期中に決めてのが得策と考えたのでしょう。
バイデン氏の阻止方針の報道を受け、日鉄は「政治が真の国家安全保障上の利益に勝る状態が続くことは好ましくない」とのコメントを発表しました。「真の安全保障上の利益」は考え方によって、いかようにも解釈できます。今の米国が考える「安全保障上の利益」とは何か、日本の考えとは明らかに違う。
米国では対米投資委員会(CFIUS)が外国企業による米国進出などをチェックします。国務省、財務省、国防総省、商務省など16の省庁代表が委員です。トランプ氏は閣僚のほとんどを自分の側近、支持者、身内で固めていますから、トランプ政権に移れば、買収阻止はもっと必至です。バイデン氏が「それなら自分の任期中に決めてしまおう」と考えた。
米国発のchatGPTに質問すると、「米国では安全保障、雇用問題にかかわる事案では、政治的議論に発展する。大統領選の始まる直前の昨年12月に買収計画を発表し、米国のナショナリズムが高まる時期に重なってしまったことは明らかだ。そのような時期に買収を発表するリスクを十分に考慮したのだろうか」との返事が返ってきました。全く同感です。
「① 日鉄は年度内に次期経営計画を発表したかった ②対象企業の経営状況を考えると、急いだほうがいい ③その結果、早急な決定が求められていたのかもしれない」とも、指摘してきました。USスチールは業績不振ですから、経営陣や株主にとっては、日鉄の買収案は企業救済策に映り、渡りに船のようだったのかもしれません。「政治的な影響を十分に考えずに、USスチールの誘いに乗ってしまったか」とも。
日鉄副会長らの「政治の介入を好ましくない」と、日本側の多くは考えています。日経新聞は「日米鉄鋼再編を政治化するな」(社説、3月16日)と書きました。「政治が正当な理由もなく民間企業の経営に介入してはならない。買収や合併で市場が寡占化し、競争が妨げられたり、安全保障上の危うさが生じたりする場合に限られる」とも指摘しました。
いかようにでも解釈できる「正当な理由」などという表現は、社説では使うべきではありません。そうあってほしいという「主張」と、現実はそうでなくなっているという「事実」を混同してはいけない時代です。USスチール買収はその象徴的な案件です。USスチールの本社がある州(ペンシルバニア州)はベルト(錆びついた工業地帯)であり、大統領選で民主、共和党が争う激戦州でした。
そうした選挙対策に加え、「再びアメリカを偉大な国に」(トランプ氏のスローガン)と言っている時に、米国の歴史的な象徴が外国資本の手にわたることは座視できない。
日本の各紙は、バイデン、トランプ両氏の言動を細大漏らさずに報道しています。chatGPTに米国における報道ぶりを質問すると、「控えめに報じられ、日常的なニュースにすぎない」との回答です。ほかに報道すべき重要なニュースがたくさんあるのでしょう。
日本では、国内最大鉄鋼メーカーとUSスチールという組み合わせ、政治的要因が色濃く絡みだした対米投資の行方、バイデン対トランプの闘い、国内の低迷が続く日本経済、産業の再生策としての外国企業の買収などという視点、論点があり、ニュース性は極めて高いのです。
買収額は2兆円、25年6月までに買収が完了しなければ違約金が880億円、交渉が手詰まりになると、日鉄はトランプ第1次政権の際のポンペイオ国務長官をコンサルタントに雇いました。報酬は多額でしたでしょう。ポンペイオ氏は閣僚に選ばれず、当てが外れた感じになりました。日本のメディアも、日本流の正論を踏まえた報道ではなく、国際情勢の現実を見つた感覚を持つよう、日本の経営者に求めていくべきです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。