「オーストリアの政界は一寸先は闇」と少々悲観的に書いたが、その直後、ネハンマー首相が4日、社会民主党との連立交渉から離脱を表明すると共に、国民党党首と連邦首相のポストから辞任する意向を明らかにした。驚いたのは連立交渉相手の社民党だけではない。メディアも国民も腰を抜かしてしまったのだ。何があったのか。以下、その背景を探ってみた。
先ず、ネハンマー首相が社民党との連立交渉を断念したのはある意味で理解できる。経済界を支持基盤とする保守派政党「国民党」党首として、金持ちや利益を上げた大企業への課税などを主張するバブラー社民党党首の主張を飲み込むことはできないからだ。連立交渉を重ねたとしても妥協は困難と判断したネハンマー首相は交渉を諦めたわけだ。
もちろん、ネハンマー首相は社民党の経済政策を知っているから、今更政策の相違から連立交渉を諦めた、というのでは説得力が乏しい。国民党が社民党、そしてリベラル派政党「ネオス」との3党連立交渉に乗り出した最大の理由は昨年9月29日の国民議会選挙で第1党となった極右政党「自由党」の政権発足を阻止するためだった。だから第2党の国民党が主導して連立交渉を重ねてきたのだ。しかし、「ネオス」のベアテ・マインル=ライジンガー党首が3日午前、国民党と社民党との連立交渉から離脱すると表明したのだ。同党首は3日、社民党の政策についていけないことから交渉を離脱したと示唆している。残されたのは国民党と社民党2党の連立政権発足以外に他のシナリオが無くなった。
ネハンマー首相は4日、バブラー党首と会談を再開したが、社民党左派からの圧力を受けるバブラー党首は譲歩をする姿勢を見せない。そこで、ネハンマー首相は社民党との交渉を断念するだけではなく、国民党党首、首相のポストをも辞任する意向を固めたわけだ。
同国の政治消息筋によると、ネハンマー首相に国民党内から圧力がかったからではないかという。どのような圧力かというと、自由党との連立を願う経済界からの圧力だ。社民党の経済政策を恐れる経済界は、企業への課税などを拒否する自由党のほうがやり易いという判断が働いたわけだ。
キックル党首の自由党が第1党となった直後、ファン・デア・ベレン大統領は極右政党主導の政権誕生を阻止するため、第2党の国民党に連立政権の組閣を要請した経緯がある。そのファン・デア・ベレン大統領は5日、国民党主導の連立交渉が暗礁に乗り上げたことを受け、第1党の自由党のキックル党首を大統領府に招き、政権組閣要請をする意向を明らかにしたばかりだ。大統領はその理由を「国民党内で自由党への抵抗感が少なくなったからだ」と説明している。要するに、選挙戦で自由党との連立は絶対あり得ないと主張してきたネハンマー首相や国民党だったが、「キックル党首の自由党と連立を組むほうが容易い」という現実が国民党内で支配的になってきたというのだ。
国民党は明らかに立場を変えたのだ。オーストリア国営放送は「国民党、自由党へのスタンスを180度変えた」と報じたのは当然だ。ただし、国民党だけではない。自由党主導の政権を拒否し続けてきた「緑の党」出身のファン・デア・ベレン大統領も立場を変えざるを得なくなった。すなわち、キックル党首に連立交渉を委ねざるを得なくなったからだ。
ネハンマー首相は社民党との交渉決裂を決定した直後、国民党と首相のポストから辞任すると表明したのは、同首相が選挙戦中から「国民党は絶対自由党と政権を組まない」と宣言してきたからだ。その立場上、首相は責任を取ったわけだ。
社民党との連立交渉が決裂すれば、残されたシナリオは自由党と国民党の連立政権か、議会を解散して選挙を実施するかの2通りしかない。後者は国民党としては得票率を更に失う結果となる可能性が高い。ネハンマー首相は自由党との連立交渉しかないことを知って、2つのポストの辞任を決意したわけだろう。
ファン・デア・ベレン大統領が6日、キックル党首を大統領府に招き、連立交渉を要請した。それを受けてキックル党首は国民党との交渉を開始することになる。社民党のバブラー党首は「自由党と国民党の政権が発足する」と警戒心を高めている。
ちなみに、国民党は5日、ネハンマー党首の後継者が決定するまでストッカー党事務局長を党首代行に選んだ。その結果、キックル党首とストッカー氏の間で交渉が始まることになる。
問題はストッカー氏はネハンマー党首の下で反自由党路線を展開させてきた張本人だということだ。同氏はキックル党首を「彼はわが国の安全のリスクだ」と主張し、「キックル党首は国民を結束させる政治家ではなく、分裂させるだけだ」と言い切り、議会ではキックル党首の眼前で「あなたは議会にいるべき政治家ではない」と糾弾した。そのストッカー氏がキックル党首と果たしてどのような交渉ができるか、といった懸念が囁かれている。それに対し、ストッカー氏は5日、「政治情勢は大きく変わった。わが党は自由党と連立交渉に応じる用意がある」と述べ、過去の自身の発言は大きな支障とはならないことを匂わせている。
同国の政治学者は「政治家の選挙戦中の発言とその後ではまったく違うことがある。自由党と連立交渉へ転換した国民党はその好例だ」と指摘していた。人間はカメレオンではないから、環境に基づいてその色を変えることは出来ないが、政治家は政治情勢が変われば、それに応じて変わる。
「オーストリアの政界」は様々な教訓を提供する教科書だ。いずれにしても、キックル党首主導の「自由党・国民党」連立政権の発足が非常に現実的となってきた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年1月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。