【検証】能登ウヨ記事:災害と被災者を政治利用する毎日新聞が放つ堪え難い腐臭

毎日新聞記者井上英介氏は、たった1人の証言から能登ウヨなるものが存在すると言い出し、被災地に能登ウヨが登場する原因を、保守的で卑劣かつ陰湿な能登または石川県の政治風土にあると断定した。

独善と退廃にまみれた主張

1月11日、毎日新聞に『オピニオン 井上英介の喫水線 被災者を背後から撃つ者』が掲載された。「能登は見放されている」と語る被災者と連絡を取り合っていた井上英介記者が、同地を訪ね取材した報告記だ。

井上記者は1週間も被災地に滞在して取材したにもかかわらず、コラムで紹介されたのは前述の人物だけ。それにもかかわらず、

「(取材対象を批判または攻撃する)こうした被災者たちを、一部でネトウヨをもじって『能登ウヨ』と呼ぶ」
「その奥に『おかみに文句を言わず、ひたすら感謝すべきだ』という意識が見え隠れ」
「馳氏を支える森喜朗元首相のお膝元で、保守的な土地柄なのか」

と決めつけた。

井上記者が保守的な土地の能登ウヨとレッテルを貼る人々だけでなく、中立的な立場の人々の声さえ紹介されていない。発見できなかったのか、それとも探さなかったのか。

私はさらに見つけにくい陰謀論集団神真都Qの構成員や宗教の信者を取材してきたが、複数の異なる立場から証言が集まるまではマスメディアはもちろん、noteのような媒体にも記事を書かなかった。サンプル数1では証言者の経験や考えはわかっても、集団や団体や地域などを語れないからだ。井上記者は大胆なことをしたものだ。

サンプル数1の証言からオピニオン(主張)を捻り出すのは、持論をもっともらしいものに見せかける手法であり禁じ手と言ってよい。井上記者は「能登ウヨ」という蔑称を発見して、被災地能登または石川県全体を保守的な卑劣で陰湿な土地と言いたかったのではないか。

ところが、毎日新聞オピニオン編集部専門記者鈴木英生氏は「記事中の「能登ウヨ」は被災地内部の対立を反映した言葉には読めませんでした。」と井上記者を弁護した。記事を批判する人々は、コラムから本質を読み取れず誤解しているというのだ。

そこで私は『被災者を背後から撃つ者』全文を形態素解析と呼ばれる手法で分析して、客観的な数値から何が書かれているか明らかにすることにした。

形態素解析とは、意味を持つ最小の単位「形態素」まで文章を分解して、品詞、変化、それぞれの結びつきなどから文章の構造や文意を解明する手法だ。このような言語解析は学術研究や市場調査、企業のクレーム処理等で使用されている。

結論を先に書くなら、このコラムは「馳氏を支える森喜朗元首相のお膝元]を[保守的な土地柄」と主張するため、様々な逸話を紹介しながら「能登ウヨ」なる突出して特徴的な名詞を持ち出した文章だった。これを模式図化すると以下のようになる。

「被災者を匿名で背後から撃つ『能登ウヨ』の卑劣と陰湿」という表現は、能登または石川県の様子と解釈されて当然だ。もし意図は別物と言うなら、文章が下手くそすぎて毎日新聞の社内にしか真意が伝わらないだけである。

井上記者は保守的な土地に「能登ウヨ」という卑劣で陰湿な人々が跋扈していると、何ひとつ客観的な証拠を示さないまま願望を全国紙に書いたのだから被災者から批判されて当然だ。

かつて朝日新聞の『天声人語』で深代惇郎記者は、「役所や企業は、消費者や新聞が批判する。しかし、批判する新聞を批判する強力な社会的な仕組みはない。批判されない社会組織は、当事者がいかに善意を持っていても、独善と退廃の芽をはぐくむ。」と自戒した。

さて毎日新聞はどうだ。

『被災者を背後から撃つ者』は独善と退廃そのものである。

毎日新聞が災害や事故を政治利用したのは、能登半島地震が初めてではない。井上記者は2011年に『検証・大震災:福島第1原発事故、収束作業 覚悟の苦闘、黙々と続く』を他の執筆者とともに担当したが、原子力災害報道からALPS処理水を「汚染水」と連呼した報道まで、毎日新聞は都合のよい証言や身内の言い分だけ採用するなど偏向どころか歪曲が甚だしかった。
卑劣かつ陰湿な腐臭を放つ存在は、毎日新聞に他ならない。

データから読み解く毎日イズム

感情分析

結論を先に書いたので、ここからは毎日新聞がいかに卑劣かつ陰湿な腐臭を放つ存在かデータをもとに明らかにしていく。

その前に形態素解析そのものではなく、形態素解析を利用した感情分析の結果に触れておく。単語の意味に応じて喜怒哀楽のタグ付けをした辞書を用いて文章を評価するのが、感情分析だ。

『被災者を背後から撃つ者』を文頭から文末まで10のセクションに分け、各セクションで使用された単語のポジティブ、ネガティブ、中立の比率を表したのが以下のグラフだ。なお元々感情的に中立的な単語がほとんどなので、どのような場合も中立の比率が高めになる。

深刻な話題ながらポジティブな要素があったのは第5セクション「能登避難所では4月になっても弁当が不足し」の辺りまでで、以降はポジティブな要素がほぼ消え去っている。消え去る転換点となったのは「スマートフォンに2度、3度と無言電話が」かかってくる第6セクションだった。そして「馳氏を支える森喜朗元首相のお膝元で、保守的な土地柄」は第7セクション、「能登ウヨ」が登場するのは第8セクションだ。

まず、この文章はネガティブな逸話を立て続けに紹介するばかりで、感情面での両論併記や建設的な提案がないのがわかる。

続いて極めてインパクトのある無言電話の描写によって、読者に不安感や憤りといった共感を芽生えさせようとしている。この負の感情をもとに、読者は土地柄や能登ウヨについての記述を読む構成になっている。

そして土地柄と能登ウヨの話題以降、井上記者は中立的な立場を取るが、ポジティブな単語がまったく使用されていないことでわかるように、中立性はポーズにすぎない。

『被災者を背後から撃つ者』は論理で復旧や復興の状態を説くのではなく、不快な印象を与えるできごとを紹介して読者を感情的に煽り立てる内容と言える。

品詞と単語の使用実態から

形態素解析は、意味を持つ最小単位に文章を分解したあと、以下の画像のように品詞ごとに整理する。この段階で文章の特徴が浮かびあがる場合もあるが、『被災者を背後から撃つ者』では、使用頻度が高い名詞と、印象に残る名詞の違いが気になった。

以降、続きはnoteにて。


編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。