医師の言葉が奪った希望:医師の倫理とは何か?がん告知の在り方を問う

kuppa_rock/iStock

母が亡くなった。まだ心の整理がつかない。人生において、これほど悲しい出来事は初めてで、後悔の念にさいなまれている。

母は腰の痛みを訴え、東京警察病院(東京都中野区)の整形外科を受診した。精密検査の結果、圧迫骨折と診断され、リハビリをすれば治るでしょうと言われた。しかし、痛みが消えないため、念のため数週間後に再受診した。そこで膵がんステージ4と診断された。

問題はここからである。当日は、私と父も同席していたが、担当医は本人や家族の同意なく、突然次のように切り出した。

担当医:「精密検査をしていませんが、私なら診断を確定できます。間違いなく死にます。1カ月もたないと思います。膵がんステージ4、肝転移の可能性もあります。間違いなく死にます!」

母はショックのあまり、その場に倒れ込んだ。圧迫骨折だと思っていたのに、

「1カ月で間違いなく死ぬ」

と言われたのだから当然である。

この医師は自分の両親にも同じことが言えるのだろうか?

「ステージ4のガンでもう助からない。1カ月もたない、間違いなく死にます!」

と言えるのだろうか。

膵がんは進行が早い。ベストな治療を選択しても死は避けられなかったかも知れない。しかし、大きな精神的ショックを与えなければ、ここまで短時間で死に至ることはなかっただろう。

「心の準備ができて家族に看取られる1カ月」
「心の準備もないまま苦しみぬく1カ月」

その差はあまりに大きい。

生まれたからには、誰もがいつかは必ず死を迎える。医師に求められるのは、患者がその日までどのように生きるか、そしてそれをどのように支援するかを考えることではないのか。死を避けられないなら、残された時間をどう過ごすかを考えて欲しかったが、この医師にはその意識が欠落していた。

生きる気力を失った母は急速に衰弱し、「もう死ぬのだから殺してくれ」「痛いのは嫌だから安楽死をさせてくれ」が口癖になった。母も苦しかっただろう。しかし、残された家族にとっても耐え難い日々であった。

診察後、母はショックで立ち上がれなくなり、入院させられることになった。入院手続き後、担当医と部長が病状の説明と治療方針について説明をしたいという。

私は告知義務違反ではないかと抗議した。

すでに、母は話を聞ける状態ではなかったため、父から代わりに話を聞いてくるように委任を受けた。これは看護師にも伝えており、医師にもその旨が伝えられた。しかし、医師は私との面会を拒否した。「母の同席が必須」とのことで、「私には会えない」との一点張りだった。

看護師が間に入っても堂々巡りを繰り返すだけだった。

母が同席すれば有耶無耶にできるとでも思ったのだろうか。母はショック状態で泣き崩れている。そんな母を同席させることなどできるはずもなかった。同席すれば私が静かにしているとでも思ったのだろうか。

結果的に、病室で3時間以上待ったが医師は出てこなかった。最後は面会時間が過ぎているとの理由で強制的に帰宅を余儀なくされた。

そのときの様子を録音しているので一部を公開したい(妹の声も入っている)。

※看護師に抗議している会話を録音したもの。

アゴラには医学に詳しいオピニオンや私と同じような経験をした読者も存在すると考えている。この担当医の対応は正しいものだったのか、また、問題がある場合、どのような対応が可能なのか?ご意見をいただきたい。

※ 恐れ入りますが、本稿のコメント欄に書き込むか、「[email protected]」までメールをいただければ大変ありがたく存じます。

当初は、民事訴訟はもとより、医師会への懲戒請求、病院の倫理委員会への告発など、あらゆる手段を考えていた。しかし、葬儀が終わり、一旦は矛に収めるつもりだった。争っても母は喜ばないからである。

しかし、美容外科医が検体画像を笑顔で投稿した非常識な報道を目にしたことで、医師の倫理観について問いたくなった。

医師の一言が、取り返しのつかない影響を患者と家族に与えることを、真摯に考えるべきである。医師の氏名等の公表は現時点では控えるが、いずれ事態が進展した段階ですべてを明らかにしたい。医師の倫理観について、世論の判断を仰ぎたいと考えている。

尾藤 克之(コラムニスト・著述家)

2年振りに22冊目の本を出版しました。

読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)