「一度のめり込むとどうにも止まらない性格は、彼の半ば伝説化された奇行となって伝えられている。彼が何かアイデアを考え始めると、職場だろうと自宅だろうと、それどころか同僚の家であろうと、ひたすら考え続けてしまったという。ついには出社することさえ忘れてしまうが、夕方になって突然会社にやってきて、今度は会社から帰らずに数日考え続けた。数日出社しないなどはざらであり、日給制度が未だ普通であった当時,これでは彼の給料が支払えないと困った会社側が、彼を支持する同僚の訴えを聞き入れて、彼だけ月給制にしたと言う逸話まで残っている。彼が在籍した当時の同社にはこうした奇行を受け入れる社風が存在し、彼の天才的能力を生かせるだけのメンバーが揃っていた」
これは、日本のスーパーコンピューターの父と言われ「天才、奇人、変人」の名を欲しい侭にした、富士通の故池田敏雄博士に関するウイキペデイアの記述です。
「奇人、変人」とまでは行かぬまでも、スーパーコンピューター界のパイオニアー達は、池田博士に負けない個性や強い信念の持ち主で溢れています。
世界のスーパーコンピューターの父と言われるシーモア・クレイ博士はCDCを、アムダールの法則で有名なジーン・アムダール博士はIBMを、インテルの創立者であるムーアの法則のゴードン・ムーア博士はフェアチャイルド社を夫々会社方針と対立して飛び出した経歴の持ち主です。
AMDを創立した6人も、当時のフェアチャイルド社の経営方針に不満をもって揃って飛び出した仲間でした。この事実からも、自分の信念にあわなければ未知の世界に飛び出してでも信念の実現を目指す、並外れた個性の強い人物像が浮かび上がります。
ヒューレット・パッカードのウイリアム・ヒューレットとデイヴィッド・パッカード、SGIのジェームス・クラーク博士も、夢を追って起業した個性的な人物です。
スーパーコンピューターの陰にスーパーマン有りです。これ等のスーパーマンには、アイビーリーグとか東大と言った伝統的な権威校の出身者は皆無で、既成秩序や保守的な権威への「挑戦精神」を共通項とする人々です。こうして見て来ますと、スーパーコンピューターの成功には「資金」以上に、個性的で「挑戦精神」に満ち溢れた開発者とその個性を受け入れる環境が不可欠に思えてなりません。
この例にも見られる通り、科学技術の開発には「人間の質と研究環境」が「資金」以上に重要な役割を果す筈ですが、この面からの論議が無い事も不思議です。又、およそ理性とか合理性から遠い、個性豊かなスーパーマンが求められる開発者の拠点として、「巨大官僚機構」化した「理研」が適しているのか?検証して欲しい課題です。
「日の丸スパコン」の費用対効果がこれほど極端に低いのが事実とすれば、研究開発主体を「理研」と言う巨大な官僚機構から外す事が開発の近道かもしれません。「蓮田にサボテンは育たない」事に目覚める事も必要でしょう。
「アゴラ」紙上の「日の丸スパコン」を巡る論争からは、実に多くの事を学びました。予算の査定と言う特殊な事情がある事は良く理解出来ますが、定量化の難しい科学技術投資の査定には、日本の将来に於ける科学技術の立ち位置を含めた、突っ込んだ理念論争をした上で決めて欲しいと言うのが私の感傷的な意見です。
一方、開発プロジェクトの「事実上の凍結」と言う判定結果を受け、日本を代表する9大学の学長が共同で「凍結抗議声明」を発表したと言う記事にも落胆しました。
国民が聞きたかったのは「抗議声明」ではなく、「厳しい国際競争に晒される日本の現状を踏まえ、科学技術政策全体への大学のビジョンと優先順位を示し、独自技術としてどの研究分野に重点を置き、どのような人材を養成し、日本の産業とその基盤となる基礎科学を育成していく為に、独自技術によるスーパーコンピューターを持つ事が如何に重要であるか」の説得力豊かな説明だった筈です。説明に納得すれば、国民は間違いなく味方になったに違いありません。
蛇足ですが、スパコンへの投資は例え失敗しても、天下りや渡りの官僚に支払う退職金や高速道路の無料化の様に、国民には何一つ残らない冗費と比べれば、何がしかが残る「質の良い」出費だという事も申し添えて置きたいと思います。
「プロジェクトX」の影響を受けすぎた為か、「無」に向かって挑戦する「日の丸スパコン」を応援したい気持ちを捨て切れません。
最新のスーパーコンピューターランキングを見ますと「自家製」が日本製の遥か上位にランクされています。これは、ハードの一般化が浸透した事の象徴ではないでしょうか?然も、主たるハード部品メーカーのトップクラスも殆ど米国が抑えている現状には驚かされます。システムや完成品には弱くても、部品の強さは頭抜けているのが通常の日本工業ですが、スーパーコンピューター分野では、基幹部品でも全く歯が立たない現状は、「日本丸建造」の困難さを物語っています。敢えて、この分野に強い日本メーカーを探すとすれば、東京エレクトロンが半導体製造装置で、世界を相手に2-3位争いをしている位でしょうか。
「公開」された事業仕分けは、各報道機関の世論調査を見ても国民の高い支持を受けています。国民の多くが「マニフェスト」にある個々の人気取り政策に投票したのではなく、自民党永久政権による官僚との癒着政治の不透明さに怒った国民が、強く透明性を求めていた事実がこの高い支持となって現れたのでしょう。
薬害問題、冤罪事件、核持ち込みについての日米間密約否定など、政官が徒党を組んで国民に嘘を付き続けてきました。民主党が最優先してやらねばならないことが、政治を透明にする事で、その意味でも「公開」の事業仕分けは理にかなった政治手法です。
この様な政治的背景で行われた「公開」の事業仕分けは、「広く会議を興し,万機公論に決すべし」(五箇条のご誓文)が、141年を経て初めて実行されたともいえましょう。
主計官と各省のやり取りや族議員との密室交渉、形骸化した大臣折衝儀式を経て決められた従来の予算決定方式は、国民の視界ゼロの元で行われました。この不透明な決定プロセスと比較せずに、「事業仕分けの基準が不明だ」「審議時間が短かすぎる」「仕分け人は財務省の手先」などと批判する一部マスコミのセンスのずれもこの際、修正して欲しいものです。
効率論、目的論、愛国論など傾聴に値する数々の論議に学んだ「スパコン論争」は、「人間インフラ」「透明性」「強固な信念」の有り方と大切さを考えさせられた貴重な機会でした。
ニューヨークにて 北村隆司