30年目迎えた「デイトン和平協定」の危機

ボスニア・ヘルツェゴビナは1995年のデイトン和平合意後、ボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」(RS)の2つの主体から構成された国家だ。和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面はNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当した後、欧州部隊が継続、3民族間の共存を促進してきた。ところで、和平協定から今年12月で30年を迎えるが、ここにきてスルプスカ共和国のボスニア離脱の動きが出てきたのだ。

ボスニア連邦裁判所は26日、スルプスカ共和国のミロラド・ドディク大統領に対して、ボスニア上級代表事務所(OHR)を無視して独自の法令を施行したとして、1年の禁固刑を言い渡し、6年間の政治活動の禁止を命じた。ドディク氏は判決を拒否し、控訴する見込みだ。ドディク氏とボスニア・セルビアの官報の責任者ミロシュ・ルキッチ氏は、2023年7月、クリスティアン・シュミット上級代表(OHR)の決定を無視した罪で裁判にかけられていたが、ルキッチ氏は無罪判決を受けた。

ドディク氏は当時、ボスニア憲法裁判所の決定がボスニア・ヘルツェゴビナ内のセルビア人主体の構成体であるスルプスカ共和国内では適応されないこと、シュミット上級代表の決定も無視できることを明記した2つの法律を署名し、公布した。
ロシアのプーチン大統領の友人としても知られるドディク氏は、判決が下される前から、「もし有罪となれば、スルプスカ共和国は中央政府の司法機関や軍などの多くの機関から撤退する」と強調している。

ドディク氏は「スルプスカ共和国議会は中央政府の司法機関、警察、情報機関の活動をスルプスカ共和国で禁止する法案を提出する」と発表している。

一方、シュミット上級代表は25日、サラエボで「国際社会は引き続き平和と安定に向けた断固たる姿勢を貫く」と述べ、「ボスニア・ヘルツェゴビナの領土一体性は交渉の余地がない」と明言し、RSのボスニアからの離脱の動きに警告を発している。
なお、シュミット代表はボスニア・ヘルツェゴビナにおけるロシアの影響力の拡大を警戒する発言をしており、ドディク氏の「反欧州的な態度とプーチン氏との密接な関係」を非難してきた。

3年半以上にわたって3民族(セルビア系、クロアチア系、ボシュニャク系)間の紛争を続け、戦後欧州最悪の民族紛争となったボスニア紛争では20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した。1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。

ボスニアの複雑な政治システム、選挙システムは1995年のデイトン和平協定から生まれたものだ。国連安全保障理事会は、和平合意の実施を監督する上級代表を任命し、ボスニアの統治を監督してきた。現在、ドイツ人のクリスチャン・シュミット氏は2021年以降、そのポストを務めている。上級代表は、法律の制定や廃止、選挙で選ばれた政治家の解任などの権限があり、和平合意の履行を監視している。
シュミット上級代表は選挙法を改正し、ボスニアの政治停滞を打破し、連邦機能を改善し、3民族間の政治的、経済的共存メカニズムを促進させたいところだが、選挙法の改正には強い反対がある。

今回の裁判は、スルプスカ共和国の政治にも大きな影響を与えている。年末年始には、同地域の議会が「政治的動機に基づく裁判」が終わるまで、ボスニアのEU統合に必要な法改正を阻止する決議を採択した。シュミット氏はこの決定を違法とし、「すべての人が法律の下にあることを理解しなければならない」と強調した(オーストリア国営放送のヴェブサイドから)。

デイトン和平協定後、民族間に境界線が引かれ、分断は固定化された。ボスニアは2022年12月に欧州連合(EU)加盟候補の地位を得、24年3月に加盟交渉が開始されたが、ブリュッセルとの間で加盟交渉はまったく進展していない。
デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然見えず、RSのデイトン和平協定から離脱する動きが出てきているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年2月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。