1000人を超える「財務省解体デモ」が話題になっている。
おいおい解体は行き過ぎだろ~。彼ら・彼女らも役割の中で一生懸命頑張っているのだから、問題を単純化しすぎだよ~、財務省ができることって限定的だし、問題解決の方法はそこではない!と正直なところ思う。
しかし、デモの人たちが主張するように、生活が苦しく、感情的に文句を言いたくなる、立ち上がりたくなる気持ちもわかる。
YouTuberのヒカルさんが言うように(デモ批判者は)国民の感情をわかっていない!というのもわかる。民主主義はデモの有用性があり、国民の声を示す行動としてはとっても良いのではないかとは思っている。わざわざ自分の時間を削って立ち上がって、行動を起こしたからだ。
しかし、ホリエモンが言うように「民間企業にいったら年収2000万、3000万も稼げる人たち(財務省官僚)が年収800万で頑張って働いている」というのもわかる。
みなさんそれぞれに正しい。そして、それぞれにそれぞれの事情があり、デモを巡って様々な意見交換がされる状況はメディア環境としても正しい。
この騒動の発端となってしまった、デモを報じなかったメディアのみが正しくなかったのかもしれない(メディアの財政研究会担当の記者の利害が優先されたのだろうか?)。
しかし、デモの前に、国民が問うべきなのは政治家の業績責任だろう。なぜか。

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官僚に矢を向けるのはどうなのか?
財務省は、総理大臣、財務大臣の下、それぞれの政権に大きな方針のもと、利益団体をバックにした与党をはじめとする政治家からの圧力を受け、いなしつつ、落としどころを見つけて対応する。各省庁の時には「なんじゃこりゃ!」と思えるような予算要求に対して冷静にコミュニケーションをとり、査定をする。様々な人の利害をうまく収め、めちゃめちゃ苦労して難易度の高い調整活動をしているのが主計局を中心とした財務省である。
そのほかにも、いろいろな基金を運用したり、中には税金を払いたくない、ちょろまかしたいという企業団体・個人からしっかり徴収したり、しっかり財源確保に昼夜奮闘している省庁でもある。
戦後変わらない政治体制の中で、右肩上がりの経済の時は確かに「大蔵省」としての権勢を誇った時期は確かにあった。予算をどこに配分するのか、政治家さえひれ伏す権力がそこにはあっただろう。しかし、そんな時代は過去のことでもある。
財務省のミッションは「納税者としての国民の視点に立ち、効率的かつ透明性の高い行政を行い、国の財務を総合的に管理運営することに より、健全で活力ある経済及び安心で豊かな社会を実現するとともに、世界経済の安定的発展に貢献すること。」だ。

出典:税関HP
国の財務を総合的管理運営することがメインで、家庭のお財布でいうと、収入がどれくらい入るのか、どれくらい出ていくのかをきちんと厳しく管理する役割なのだ。
予算案は作るとはいえ、予算を決め、決算審査をして、そして税制度や各種制度を決めるのは政治家さんたちだ。財務省の皆さんは自分たちの生きる世界や価値観の中ではあるが、「日本国のため、国民のため」頑張っていることも確かなのだ。
苦しい生活で感情を発露したいのもわかる
財務省解体のデモをする人は様々な主張をしているが、まとめると
- 増税反対
- 積極財政支持
- 消費税廃止
などの意見で構成されているようだ。
日本の経済状況が悲惨であり、「失われた30年」「日本病」に陥ってしまったこともあり、
- 1人あたりGDPは22位
- 平均賃金は韓国以下、OECD25位
- 労働生産性はOECD30位
- 世界競争力ランキングで世界64カ国中、35位
- Fortune500で上位を席巻していた(1995年では1位が三菱商事、2位が三井物産、3位が伊藤忠、4位が住友商事、6位が丸紅、9位が日商岩井、11位がトヨタ自動車、13位が日立製作所など上位20社で11社だった)が、現在では9位のトヨタ自動車のみで100位以内に4社のみ
という状況である。
賃金はあがらない状況が長く続いた。少し変わりつつあるとはいえ、物価は上がり、国民の暮らしは苦しいし、未来は見えない。そういう感情をぶつけたくなる気持ちは非常にわかる。不満を何か大きなもののせいにしたい、ぶつけたいという気持ちは人間として自然な感情でもあろう。
ベクトル・方向は政治家に向けないと
しかし、どう考えても今の政権、そして、現役の官僚さんたちに責任を問うのはなかなか厳しすぎる。だって、政権を担って半年もたってないし、財務省官僚だって上司(総理大臣、財務大臣)の命令のもとで仕事してきただけなのだから。
我々が苦しい状況は、過去のお偉い政治家さんたちにそこそこの責任があるはず。
なので、筆者の意見は、財務省前でデモをやる前にすべきことがあるというアドバイスをしたい(上から目線で偉そうですみませんが)。
まず第一に、国民の代理人である政治家にアプローチすること。中にはメールしても聞いてくれないし、無視されることもあるだろう。けど、根強く伝えることが必要だ。その際、こちらの感情的に意見を伝えても意味がない。礼節をわきまえつつ、自分の主張を冷静に整理して、根拠を示して提示する必要があるだろう。
相手が納得しないなら、「おかしい」「不満」という声を伝えるだけでも十分だ。選挙の時だけは駅前にはいるが、なかなか会う機会がないものだから、地元の国会議員に会うには事務所を訪問すればいい。
第二に、過去の総理大臣、財務大臣にメールや手紙、質問状を送りましょう。皆さん口々に「政治責任がある」というのだから、主権者に対して説明する責任はあるはずです。
第三に、裁判を起こす。法治社会なのだから、法律で戦う、責任を問えばいい。政府の政策判断がいかに間違っていたかという仮説があるなら、情報を収集し、勉強し、仲間を集め、専門家の力をかり、検証し、その意思決定が以下に正しくなかったのか、政治家が乱発する「政治責任」を問いましょう。
政治家さんの政治責任を問う活動が政治に緊張感を生む
みなさん、「失われた30年」がスタートした1995年からの財務大臣(武村正義さんからになる)が、どういった扱いをされているのか知っています???
旭日大綬章、勲一等旭日大綬章、正三位・・・・凄い凄い、勲章のオンパレードなのだ。
副大臣、大臣政務官、そして、総理大臣も同様である。正直のところ、こうした勲章をもらえるほど「業績」「成果」を出せたのかい?と思うのだ。
国民をなめるなよ、そんなに国民は甘くないよと示す必要があるはずなのはわかるが、その矛先は財務省ではなく、過去の政治家に向けるべき。そうすれば、今の政治家さんたちにも緊張感が生まれ、少しは状況が好転することにつながるかもしれない。