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日米同盟と日米安保
日米同盟の原則に立ち返る発言で、いつか、アメリカ大統領からこの言葉が出るかも知れないとは、日米間の歴史と事情に詳しい人の間では、以前から囁かれていた。

終戦後、日本の治安維持の為、サンフランシスコ講和条約と共に旧日米安保条約が締結されたが、これは米軍駐留を容認し日本自身の防衛義務を明記しない一方的なものだったけど、吉田首相は、現時点で現実的な選択だと表明した。
1960年安保の時、岸信介首相は米軍駐留と相互防衛義務が明記され、日米同盟は新たな時代に突入した。政治生命を賭けた岸信介首相は暴漢の襲撃に遭いながらも日米安保条約の強化に踏み切った。
70年安保の時は、60年の岸アイゼンハワー間で締結された条約の枠組みは維持された。
日本の経済力が大きくなる一方、日米同盟は強固になったとは言っても、では日米安保の枠組みが従来のままで良いのか?という議論は根強かったよね。
第二次安倍政権になり、この点は新たな枠組みに入ったと言えるんじゃないだろうか?私は、安倍元総理の政治家としての外交手腕を高く評価してるんだけど、その核心が、この日米安保の枠組みと日本とアメリカの新たな日米防衛協力ガイドラインの推進だと思う。
新たな日米安保
安倍元総理は、モリカケ問題で国会で厳しく追及されても、結局、決定的な証拠も何も出てこなかったし、総理を退いた後、会見で「十分な説明が出来なかったことは反省している」と述べ、この問題についての自分の立場を明確にしている。
では、安倍元総理が退いた後、モリカケ問題を騒ぐ人たちはどうなった?結局、安倍元整理への追及はなし崩しになったどころか、国会で激しく追及してた議員の幾人かは議席を失ったじゃない。これって、追及自体が国益にも国民生活に資するものではなかったから落選したんでしょ。
むしろ、多くの国々が評価したのは、戦後70年総理大臣談話と2015年に制定された平和安全法制じゃないだろうか?
この平和安全法制が足掛かりとなり、というか国内法が制定されたことで、東アジアとインド太平洋の枠組みについて、日本の立場が明確になった。
トランプ大統領はこの時の安倍元総理の取り組みを引き継ぐものだという見方も出来る。平和安全法制により日本は集団的自衛権の限定行使が可能になったことを受け、日米防衛協定ガイドラインの改訂が行われ「グローバルな日米同盟」とは何か?が明確になった。このガイドラインの改訂が無かったら、ミサイル防衛もサイバーセキュリティ強化策も打ち出されることは無かったわけだ。
そしてこの日米安保が新たな段階に入ったことで、国際的な日本の立場も明確になった。日米同盟はグローバルな視点で強化されることが国際社会の誰もが分かる形で変わったと理解されたとも言えるんじゃないか?これって、当時、日本の誰もがその意味について深く理解していたとは言えないよね?
2015年以後、日本が打ち出した外交政策、というか国際社会における重要性には三つの柱があった。
・法の支配と航行の自由
・経済的繁栄(インフラ整備やEPA /FTA推進)
・平和と安定(海上保安能力支援など)
中でも、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」は、関係国へ大きな影響を与えた。結果、FOIPを具体化する取り組みとして日米印豪の戦略的対話(クアッド)がスタートした。ASEANでは東アジア包括的経済連携(RCEP)というアジアでの動きが始まったのも、結果的に日米同盟の強化が背景にあるのは間違いない。これまで日米の二国間における安保状況が、点と点が面に広がりを見せたからこそ、FOIPやRCEPの動きに繋がった。
これ、非常に高度な外交戦略の話なんですが、この背景をあまり詳しく説明する人がいないような気がする。もし、誰か明確なこれらの背景を説明してるなら、是非、教えて欲しい。
日米安保の新たな段階へと進んだことで、それらが大きく周辺国に影響が出た。2000年代に入り、アジアや太平洋の周辺諸国にはこのような経済と安全保障を両立させる提言がオーストラリア、韓国、ASEANから出されましたが、残念ながら、それらの提言には裏付けと担保するだけのものが無かった。これは肌で実感してきた人も多いだろう。
ところが、第二次安倍政権以後、日米の連携強化とそれらをベースに新たな平和と安定の枠組みの具体化が大きく進展したのは事実じゃないだろうか?
これらを再確認した上で、今のトランプ大統領の外交手法を見ていると、安倍元総理がやってきた政治力による外交との違いを感じる。
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以後、
・トランプ大統領の本音
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。