陸路と水路の交差点:長崎街道・塩田宿を歩く

2月11日、佐賀県をドライブしました。

以前、テレビで紹介されて興味を持った宿場町があったのですが、当時は静岡に住んでいて佐賀県はさすがに遠くなかなか行くことができませんでした。図らずも2月から福岡に赴任することになったのでこれはチャンス!と九州初ドライブでこの宿場町を訪ねたのです。

川のほとりには荷揚げ用のクレーンの跡も残る。

その宿場町とは佐賀県嬉野市にある塩田宿。小倉から長崎に向かう「長崎街道」の宿場が置かれ、鎖国時代唯一外国と門戸を開いていた長崎と江戸を結ぶ重要な街道の一端を担っていました。塩田宿は有明海につながる塩田川に沿うように形成されています。川港もあって荷揚げ場として水運も栄えた場所でした。

現在この場所は塩田津と呼ばれていまが、「津」は船着き場の意味を持っており、塩田川の川港があったことからつけられたものです。塩田宿は陸運と水運両者の交差点となっていました。

※佐賀国道事務所HPより。

御蔵浜とよばれる荷揚場の跡。

塩田津では有明海の大きな干満を利用した水運が行われており、多くの船がここを行き交っていました。ここで陸揚げされるものは薪などが多かったのですが、天草諸島で採石された陶土も多くありました。陸揚げされた陶土はここから有田、伊万里、波佐見などに運ばれ良質な磁器が生産されました。塩田津は磁器産業を運送の面から下支えしていました。

そんな特性を持つ塩田宿は今でのその両方の痕跡を併せ持つ街並みになっています。

そんな中で旅館の史跡ももちろんあるのですが、

国の登録有形文化財、杉光家。

杉光家の三の蔵。

目立つのは廻船問屋や蔵などの貯蔵庫の跡。1855年に建てられた大型町家の杉光陶器店は陶磁器の卸売業として財を成しました。通りに面した三の蔵は一時金融機関としても利用されました。現在はリノベーションされ、カフェになっています。

こちらは杉光家と双璧を成した西岡家。江戸時代末期に廻船問屋として財を成し地元の豪商となりました。その後陶石販売などの事業を行って生計を立てていましたが、現在は空き家で嬉野市が管理しています。

ここは土日も開館しているので休日でも中の様子をのぞくことができます。今は通り抜けはできませんが家の裏側が川に面していて、そこから船の荷物を上げ下ろししていました。土間もかなり広くなっていますがこれも船からあげられた荷物を保管しておくための場所です。

※広角レンズのため歪んでしまっています。

宿場町は街道の奥まった場所に寺社があるところが多いのですが、塩田宿にもいくつかの寺があります。本應寺の山門前には二体の仁王像が立っています。多くの仁王像は山門の建物の中にいますが、こちらは外で構えるスタイル。この仁王像は塩田石とよばれる石で安山岩の一種です。この近辺の狛犬や仁王像などの石像、敷石や水路に広く用いられました。塩田が発展したのは河口に便利な石があったことも大きく影響しています。

ちりめんの吊るし飾りも。

2月中旬から3月にかけて、廻船問屋の建物の中では雛人形が飾られて伝統的な建物に花を添えています。一般の方が飾っていた雛人形で使われなくなったものを譲り受けたもので10年ほど前から飾るイベントを続けているそうです。3月30日まで行っているそうですので、興味のある方は訪ねてみてはいかがでしょうか。

消防団の建物は明治末期のちょっと洋風な建物。

長崎街道の宿場町、そして水運の町として栄えた塩田宿。古い建物が多く残り、嬉野や武雄などの温泉地の近くにありながら観光客は少なめで静かに街を歩くことができました。温泉に浸かりに来た際にふらっと立ち寄って往時の繁栄を偲んでみるのもいいのではないかと思いました。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年3月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。