医療問題を考える:「自己負担3割」でおこっていることは?

X(ツイッター)では、医療制度の問題がしばしば話題になります。

今後、人口動態からますます医療費が増大になると予想される中、現役世代が徴収されている社会保険料が上がり続け、もう限界だという声が上がっているのです。

私(藤丸)もたまに医療制度についてのツイートをしますが、数年前よりも、明らかに賛同をいただく数が増えています。

しかし、Xでは、あまり長い文章を書きにくいこともあり、短く断定的な文章になりがちです。

たとえば、以下の私のツイートについてです。

このツイートで、

「税金を、医療機関と患者に『補助金』として制限なしにバラ撒いているだけ。」

という部分がわかりにくいと思いますので、今回の記事で書いてみたいと思います。

日本の医療制度は非常に複雑です。制度の細かい部分ではなく、その本質について、「3割負担(もしくは1割、2割もさらに)は、補助金と同じ」ということにフォーカスして書きます。

日本の医療は、その売上の大部分が公金から賄われています。

病院は、患者(顧客、消費者)に医療サービスを提供する(診察や治療をする)ことで、その対価(診察代や治療費)をもらい、利益を得ています。

しかし、その診察代や治療費は、その患者さんが全額支払うのではありません。患者さんが支払うのは、自分の診察代の「3割」です(高齢者は1〜2割。生活保護の場合は0割、つまり患者は一切支払いません)。

残りの7割は、公費(社会保険料や税金)によって後で病院に支払われます。

これは、普通の店(たとえばラーメン屋)とはまったく違う仕組みです。

私がラーメンを食べたら、私はその料金を全額ラーメン屋に払います。

例えば、私は塩ラーメン(800円)と、チャーシュー麺(1200円)のどちらを食べようか迷ったとき、本当はチャーシュー麺のほうが好きだけど、お財布と相談して、塩ラーメンで我慢することが多いです。

K3/iStock

どっちを選ぶ?

塩ラーメン:800円
チャーシュー麺:1200円

ここで、架空の世界を考えてみましょう。

ラーメン屋が病院と同じように、「自己負担3割(残りは公費が負担)」だったら、どうなるでしょうか?

私が店に支払う金額は、塩ラーメンは240円(800円×0.3)、チャーシュー麺は360円(1200円×0.3)になります。

「自己負担3割(残りは公費)」の架空の世界
どっちを選ぶ?

・塩ラーメン:800円   →客が支払うのはその3割の240円
・チャーシュー麺:1200円  →客が支払うのはその3割の360円

240円か360円です。120円しか差がなく、何より大好きなチャーシュー麺がたった360円で食べれるなら、私はチャーシュー麺を注文します!

さらに、食べる予定のなかった餃子(600円)も自己負担3割なら、たった180円です。そんなに安いならと、餃子も追加で注文するかもしれません☺️

ここで整理しましょう。

・通常の場合
塩ラーメン(800円)を注文し、店に800円支払った。

・架空の世界(自己負担3割)の場合:チャーシュー麺(1200円)と餃子(600円)を注文し、店に540円(360円+180円)を支払った。

「自己負担3割」の制度は、私(客)にとっては最高ですね!好きなものを安く、たくさん食べることができました!

そして、店(ラーメン屋)にとっても最高ですね!通常ならこの客は塩ラーメンを注文するので、売上は800円だけでしたが、「自己負担3割」の場合、売上は1800円(チャーシュー麺1200円+餃子600円)です。

客も店も最高なんて、win-winじゃないか\(^o^)/

と思うかもしれませんが、そんなうまい話はありません。

実は隠れた被害者がいます。

店の売上は1800円ですが、私(客)は540円しか支払っていません。残りは誰が支払うのでしょうか?

残りは「公金」から支払われます。公金とは、国民が納めた税金です。

これが、「自己負担3割」の、実際に起っていることです。

残りの7割は、強制的に徴収された税金から支払われています。

国民は、赤の他人のラーメン代(の7割)の支払いを強制されているのです。

もう少し詳しく考えてみます。

ラーメン代の3割しか支払わなくてよいなら、つまり、360円でチャーシュー麺が食べれるなら、もともとラーメン好きな人にとっては最高です。毎日でもラーメンを食べに店に通う人もいるかもしれません。

しかし、世の中にはラーメンが嫌いな人もいます。ラーメンが嫌いな人は、いくら安くても食べようとは思わないでしょう。

消費者(客)には、様々な人がいます。ラーメンが大好きな人も、普通の人も、嫌いな人もいます。

しかし、税金は、ラーメンが好きかどうかにかかわらず、強制的に徴収されます。

何がおこるかというと、ラーメンが嫌いな人からも徴収した税金が、ラーメン好きな人が食べたラーメンの支払いに充てられる、ということです。

一方、店側の立場を考えてみましょう。

ラーメン好きな人が、毎日通ってくれるようになり、大儲けです。

餃子もセットで注文が入るようになり、さらに売上が上がります。

そこで、杏仁豆腐(300円)も、おすすめメニューに載せることにしました。客は、3割負担(7割引)なので、杏仁豆腐を90円で食べることができます。杏仁豆腐もバカ売れするようになりました。

本来であれば、塩ラーメン(800円)を選んでいた客が、「チャーシュー麺(1200円)と餃子(600円)と杏仁豆腐(300円)」を注文してくれるようになりました。店の売上は、800円から、2100円に増えたのです。

以上、ラーメン屋で例えてみましたが、大雑把に言って、これが日本の医療(3割負担)でおこっていることです。実際は1〜2割負担の人や、0割負担(無料。生活保護など)の人もいます。

そして、とても健康でほとんど病院へ行かない人もいます(ラーメンを嫌いな人が、ラーメン屋に行かないようなものです)。

これは、患者(ラーメン屋の客)にとっても病院(ラーメン屋)にとっても、非常に「お得な」仕組みです。どちらも、赤の他人に強制的に支払いを押し付けることで、利益を得ることができるからです。患者も病院も、「公金チューチュー」なのです。

しかも、他の補助金などと違って、医療の「公金チューチュー」は、回数制限がありません。同じ人が何回でも「公金チューチュー」可能なのです。一回の金額は大した額ではないかもしれませんが、毎日でも病院に通うことはできます。そのたびに、その人は自覚はなくとも「公金チューチュー」しているといえます。

病院側立場では、「でも我々は、各種検査などの金額を自由に設定できない。不当に安い金額を押し付けられている」という不満もあるでしょう。それはそのとおりだと思います。

しかし、病院側は、医師という専門家の立場から、「この検査も必要ですよ」「この手術をしたほうがいいですよ」と、患者に勧めることができます。患者は、全額(10割)自分で支払わなければならないなら、その検査や手術を希望しなかったかもしれません。「安いから、一応検査してもらっておこう」と患者が判断することをわかっていて、それを勧めるならば、その病院も「公金チューチュー」そのものだと言えます。

今回の記事は「3割負担」の部分にフォーカスし、ラーメン屋という誰もがイメージできる店で、単純化した話です。実際には日本の社会主義的な医療体制は、さまざまな問題を抱えており、複雑怪奇なものになっています。

私は、患者や病院を批判したいわけではありません。私も、自分が病気になったときは病院に診てもらいに行きます。つまり、「公金チューチュー」しに行っています。他に選択肢がないからです。

「公金チューチューというなんて、なんて失礼なんだ。自分はそんなこと本当はしたくない」と思う病院や患者さんもいるかもしれません。でも、今は他に選択肢がほとんどありません。この日本の医療制度を変えるために、活動している人もいます。この問題について、一緒に改革の声をあげていただけると嬉しいです。

今回、私が医療分野について記事を書いたのは、日本は福祉国家であり、医療など含めた福祉に根本問題があると考えているからです。どんどん税金が増え続け、政府が大きくなり続けています。そして、政府の歳出の大きな割合は社会保障(医療と年金)です。特に、医療は聖域で、制度は複雑怪奇で、実際に現場で働く医療関係者もさまざまな人がいることから、非常にやっかいな問題になっていると思います。

そして、今回書いた「自己負担3割」よりも、当然ですがもっと酷いのが「自己負担2割、1割、0割(無料)」です。病院によく行く高齢者は1~2割です。まずは、これを止めて「全員一律3割」というのが政治改革の現実の進め方としては妥当だと思います。私もそれに賛同しています。

しかし、そもそも、個人の受けたサービスを自分で全額(10割)払うのは当たり前のことなのです。ラーメン屋で全額自分で払うのと、本質的には全く同じことです。

政府支出を減らし、政府の介入を減らし、「小さな政府」を目指す自由主義の立場から、医療分野は避けては通れない重要なことです。

医療制度の問題は、自由市場・財の希少性の話や社会主義経済の道徳的な問題点の話など、非常にたくさんあります。それらについては、今後も自由主義の視点から、わかりやすい記事を書いていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2025年4月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。