「解放の日」以降の関税の答合せと内申点

「解放の日」関税の騒ぎから既に3ヶ月経っており、米国の貿易相手国に交渉の機会を与えるために一旦延期された関税の交渉期限が再び近付いている。

本ブログは4月の段階から「4/9から始まる90日間は基本的にローズガーデンで広げた風呂敷を畳むプロセスであり、逆ではない。ドタ勘では最終的にはトランプ政権の公約の一律10% +中国60% +安全保障に絡む品目の個別関税、という組み合わせの、せいぜい少し上に着地するのではないかと思っている」との方向性を示してきた。リスク資産への投資指針を決定する上でこの基本予想の方向性は大いに有益であったと信じている。

この3ヶ月の通商交渉を振り返ると、対中国の風呂敷がさっさと畳まれた以外、ディールは全くなかったわけではないが、通商関連のニュースはかなり少なかったように思える。以下ではまずディールや暫定ディールに到達したケースを整理する。

中国

一度はデッドロックに入ったようにも見える中国との報復関税合戦について、前回の記事で「中国政府は恥をかかないような降り方を探しているところであると推測できる」述べた通り、大方の予想よりも収束は素早かった。

先に電話すると負けた気がするという状態からようやく通商交渉が始まるのだが、交渉の場所も、米国まで呼び出される形を嫌がった中国政府のわがままでスイスになったと思われる。

いずれにしろ、5/12にトランプ政権はジュネーブで中国側の交渉担当者と共同声明を発表し、中国に対して125%まで引き上げた相互関税率を34%に引き下げた上で、うち24%の執行を90日間停止し、基礎関税の10%を適用する

ただし、

  1. 1974年通商法301条に基づく中国原産品への7.5~100%の追加関税(第一次トランプ政権から続いている分)
  2. 国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づくフェンタニルの流入防止を目的とした中国原産品に対する20%の追加関税
  3. 1962年通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミニウム製品や自動車・同部品に対する25%の追加関税

等は維持する。

トランプ政権は後に対中関税を55%と表現しているが、これは猶予期間の相互関税10%にフェンタニル関税20%、更に第一次トランプ政権で多くの品目に25%の関税を課しているためである

中国も米国原産品への125%の追加関税率を当初の34%に戻した上で、うち24%の執行を90日間停止し、追加関税率を10%とする。加えて、4月2日以降に米国に対して講じた非関税措置を停止、または廃止するために必要な行政措置を講じる。5/12から90日間なので、8/12に猶予期限がやってくる。

まだ正式なディールではないものの、中国への暫定関税は想像以上に甘い印象を与えた。本ブログでも公約通りの60%を想定しており、トランプ政権の55%というカウントの仕方を信じればニアピン賞と言えるものの、ヘッドラインに書かれる「フェンタニルを足して30%」という数字はかなり低いと言え、この暫定ディールは激しいリスクオンを招いた。フェンタニルの分もいずれ対策提示と共に撤廃されるとの観測もあるが、それで10%になるとはさすがに考えない方がいいのではないか。

世界で唯一相互関税への対抗関税を大々的に発表した中国が、さっさと暫定ディールに到達したことが、他国の通商交渉担当者の心理にも微妙な影響を与えた可能性がある。

イギリス

イギリスは最初にトランプ政権との間に「ディール」に到達した国である。

元々イギリスは対米貿易赤字国であるにもかかわらず10%の一律関税を課せられていたが、この10%の一律関税はディールでも免除にならず、イギリスは米国製品の市場アクセスの開放と引き換えに、232条に基づく自動車関税25%から「10万台の10%関税枠」を勝ち取ることができた

“Economic Prosperity Deal”と名付けられたこのディールは我々や、恐らくトランプ政権が当初思い描いて「関税を武器に通商面の有利な条件を引き出す」ディールにかなり近い形式である。またこのディール内容から10%の一律関税は何があってもなくなることはないことが判明したと言えるだろう。

ベトナム

「解放の日」に46%というかなり重い関税を課せられたベトナムも何とかディールに到達した。ベトナムは対米関税をゼロにする代わりに関税を20%まで下げてもらうことに成功した

ただし、前回の記事でも強調したように、トランプ政権が広範な国々への一律関税に踏み切ったのは、そうしないとどうせ中国からの迂回輸出が行われるからであるからだが、ベトナムはまさにその最前線であり、従ってベトナムは迂回輸出阻止に対して何らかのコミットを見せなければならなかった。

ベトナムはゼロ関税を提案して断られた後に様々な定性的な迂回輸出対策を提示したと思われるが、結局「迂回輸出と認定された商品は40%関税」という着地となった。どのような商品が何を根拠に迂回輸出(第三国からの積み替え品)と認定されるかについては明らかになっていない。

ベトナムが迂回輸出の最前線という特殊性もあるとはいえ、このケースからは、ディールに到達しても相互関税が10%まで下がらないことがあることが判明したと言えるだろう。

またしてもトランプが飽きる

7月初旬時点での進展はこの程度である。

「解放の日」関税を主導したピーター・ナヴァロなどは当初「90日間で90件の交渉が成立する可能性」を見込んでいたが、これはさすが実務に疎い思想家らしいとも言うべき短慮である。

インドをはじめとしてディールが近い国も10ヶ国程度あるようだが駆け込みでディールのヘッドラインが飛ぶ可能性もあるか(ただし筆頭のインドについては報復関税をチラつかせるなど、難航しているとの観測もある)。

大半の国が間に合わないことが判明するとベッセントも「重要な18ヶ国との交渉を9/1のレイバーデーまでに」とゴールポストを動かしたローズガーデン関税リストでは123ヶ国が10%の最低関税率となっていたが、ベッセントは約100ヶ国が10%で着地すると述べており、123ヶ国も100ヶ国も大して変わらない

一方、「解放の日」直前と同様の心理となるが、トランプ自身は自分で設定した締め切りが近付くにつれてまたしても煩雑な交渉に飽きてきたらしく、7月に入って間に合う数ヶ国を除く重要国には「20~30%の関税率」を提示する書簡を一方的に送り付けると言い出した6月時点は延期に前向きだったにもかかわらず、である。この書簡を受け取るのは10ヶ国程度となる。

更にトランプによるとこの書簡は作成済であり、10~12ヶ国に対し、8月1日発効の10~70%の幅広い関税率を、7月7日に送付することになっている。「延期」に関しても、ベッセントのフレンドリーなコメントをトランプ自身の言葉が否定した場合は、後者を準拠すべきなのが原則である。実際ベッセントも「われわれは大統領の意向に従う。貿易相手が誠実に交渉しているかどうか判断するのは大統領だ」とトランプに追従することになる

12ヶ国の内訳はさすがに明らかになっていない。8月1日までに駆け込み土下座も不可能ではないため最終解答ではないが、とにかく週明け以降、書簡を解読する時間帯に入る。

現時点のカテゴリー

整理すると、世界中の通商交渉の相手国は概ね以下のように分類されるのではないか。

① 一律10%で放免となる約100ヶ国
② 7/9までにディール成立(10ヶ国以内)
③ 9/1まで交渉延長を認める
④ 誠意が認められず、関税率の書簡を送りつけて交渉終了(10~12ヶ国)

①は主に対米貿易黒字額がほとんどない小国である。主要先進国については不透明な密室の中での進捗があるともあまり思われず、②のメンバーはあってもあまり重要でない新興国になるだろう。

主要先進国の大半は③になると思われる。問題は誰が④に含まれるかである。トランプ政権は「交渉の誠意次第」と内申点並みに曖昧で主観的な表現を用いているが、素直に考えればこの通商交渉ラッシュにまともに参加すらしなかった国々ということになる。

真面目に交渉を行ってさえいれば、関心・意欲・態度が下位12番以内に入ることはないはずだ。しかし、トランプ政権が書簡を送付する先として日本を例に挙げ、また「30~35%」という妙に具体的な数字を示したのが混乱を招いた。書簡組の具体的な関税率は素直に考えると「解放の日」への回帰になるはずだが、日本の35%が妙に高いのと、10〜70%というレンジの上限が「解放の日」の上限より高いところが気にならなくもない。

強硬な日本政府

実際、中国は別格として、今ラウンドの交渉で主要先進国の中で最も強硬で態度が悪かったのは日本政府である。

中国さえ含む大半の国は10%関税を既に所与として捉え、何かと引き換えに相互関税率の引下げ、また232条対象の自動車等についても免税枠の設定を追求してきた。それに対して日本政府は意外なまでに強硬であり、最後まで関税の完全撤廃を、少なくとも表向きには唱え続けた

少なくとも自動車に関してはそもそも「解放の日」関税ですらなく232条対象なので、232条関税の存在を認めた上で免税枠の設定や拡大を交渉目標とするのが定石であり、232条対象なのに日本相手だけ免除させるというのはさすがに想像しづらいというか、そのような要求は米国側の担当者を大いに困らせることになったのではないか。

日本側が出せるカードでまず思い付くのが農産物のアクセス拡大であり、トランプ自身も度々それをヒントとして提示してきたのだが、運悪く農林色の強い内閣に当たったことでそれも困難となり、そうなるともはやカードの交換ではなくただ「説明」を行っていたようである。

そうなるとトランプ政権側から見て7/9が迫る中で「説明を聞く」行為はもはや時間の無駄なので、日本との交渉を一旦打ち切って後回しにしたベッセントは日本との交渉の難航について「日本は参院選前だから」と述べており、言い訳とも、取りなしているようにも見える。その相手は当然、交渉の難航を見て激怒したトランプであり、ベッセントは日本を④から③に何とか持って行こうとしているようにも見えた。ただ、そう見えるところから「交渉の芸術」の一環だった可能性も否定されない。

元より多数の国から構成され意思決定が遅いと思われていたEUは早々と7/9までのディールを諦めている。EUは10%の一律関税はなくならないものと認識しており、その上で地理的に近いイギリスと似たような形で、米国への投資拡大と引き換えに自動車の関税軽減枠の獲得を目指している。また最終ディールがまとまらなくても暫定ディール(原則合意)と現状維持を求めていく。韓国も概ね同様であり、これらの主要国は③となるだろう。

いずれにしろ、今から米国の関税率は暫定一律10%から再び引き上げ局面に入ることが予定されている。とはいえ金融市場も「どうせ再延長だ」とは思っていても「どうせ一律10%だ」と織り込んでいるとも思われず、従って懸念材料としては「④にどれだけ先進国が含まれているか」が鍵となる

先進国の中でも日本がその先頭にいることはどうも間違いないが、そうは言っても大量の先進国の④堕ちは想像しづらい気がする。これは内申点と同じ、相対評価だからである。

やはり違法だったIEEPA関税

余談となるが、本ブログはかねてからIEEPA(国際緊急経済権限法)に基づく、貿易赤字を理由に関税を掛ける論法に無理があると考えており、「トランプ政権の中にも雑な論法を使っているという自覚はあるだろうから、ローズガーデンの関税率は”吹っ掛けてみた”に限りなく近い」と述べてきたが、果たして5/28に米国の国際貿易裁判所(CIT)はIEEPAを根拠とした相互関税に違法判決を出している

もっともトランプ政権は直ちに連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)に控訴し、CAFCは結論を出すまで関税の継続を認めたため、ゴールドマンが言うようにCITの違法判決は実効的には「ナッシングバーガー」であった。この裁判は1年以上かけて連邦最高裁までもつれ込む可能性が高く、そうなると連邦最高裁は保守系6名、リベラル系3名の判事から構成されるため共和党寄りであることが効いてくる。

もっとも共和党出身とは言ってもジョージ・ブッシュ大統領が指名した判事も複数存在しており、これまで確かに国家緊急事態法とIEEPAは濫用されており、議会報告も形骸化してきたものの、あえて正面から問われて合法との結論を出すのはかなり恥ずかしい行為である。何年かかってもIEEPA関税は違法行為であると示されるだろう。

もっともトランプ政権も――恐らく最初から怪しいと思っていたからこそ――プランBも用意しており、貿易赤字(!)対処のために15%までの関税を150日間課徴する権限を大統領に付与した1974年通商法122条で5ヶ月ほど時間を稼ぎ、その間301条を動員する調査を済ませるという算段を立てる

なお122条はこれまでに発動された前例がない。金融市場では1日でナッシングバーガー認定を受けているが、違法判決は通商交渉の遅滞にも少しは寄与したのだろう。最初から違法と分かっている関税を取り消してもらうのに、どうして米国に何らかの利益を与えなければならないのか。もっともこの判決でさえ232条関税には触れておらず、それだけ232条関税を他国が交渉で撤廃してもらうのは難しいということである。

要約

・「解放の日」以来イギリス、ベトナムだけがディール締結
・10%基礎関税はなくならない
・ディールは10%基礎関税のみになるとは限らない
・放免、ディール、延長、書簡の4組が存在する
・EUと韓国など主要先進国は基本線が「9/1まで延長」
・日本は主要先進国の中では最も態度が悪く、書簡に近い可能性
・基本的には主要先進国は書簡組に入らないだろう
・主要先進国が書簡組に入った場合は衝撃に備える必要
・IEEPA関税は数年後に違法との結論になる可能性が高い


編集部より:この記事は、個人投資家Shen氏のブログ「炭鉱のカナリア、炭鉱の龍」2025年7月7日の記事を転載させていただきました。