
参政党が経済社会政策で何をめざしているのかについて、公約に記された方針をそのまま実行すれば、世界の自由経済から離脱し、中南米の社会主義政権に近い体制を志向することになるのではないか。その意味で、皇室や道徳観はともかく、経済については、共産党がめざす国家像と意外に近い面もあるかもしれない。
まず、税金や社会保険料の負担を下げ、国民負担率を現在のヨーロッパ並みの46%から、アメリカや韓国並みの35%程度まで将来的に引き下げるとする。もちろん、国債の償還や年金などの既存の支出義務は残るため、実現には相当な時間を要するだろう。
税制については、消費税を段階的に減税し、最終的には廃止を目指すというが、支出のどこを削減して財源を確保するのかは明確でない。
防衛政策については、日米同盟を維持しつつも、米軍基地の縮小と米国製兵器の購入抑制を志向しているようだ。一方で、中国との関係改善や、中国も含むアジア版NATOの創設といった構想もあり、自衛隊の増強や国防意識の向上を図る意図も読み取れる。
一部では徴兵制を意図していると見る向きもあるが、公約には書かれておらず邪推だが、貧弱な装備であっても、国民が心を一つにして国を守るという方向性は感じられる。しかし、実際には米軍基地の抑制、自衛力のみによる防衛、装備調達の縮小という方針が、周辺国からの脅威を防ぎ得るという前提は非現実的で、空想的だ。
農業政策については、自給率100%を目指し、有機農業の徹底を掲げている。しかし、有機農業は一般に収量が低くなるため、どの作物をどの程度増産して自給率を高めるのかは不明である。
さらに、農協解体に反対し、農業者を公務員化する方針もうかがえる。これは、ソ連型のソホーズやコルホーズのような集団農場を想起させ、かつての農村共同体を巨額の政府援助で再現するか、社会主義的農業体制を指向するものと映る。
WTOの枠組みの中で、こうした保護政策を強行すれば、他国からの報復措置や、WTOによる是正命令を招くことは避けられず、特に米国やオーストラリアといった輸出国からは、自動車の輸入差し止めなどの対抗措置も想定され現実性は薄い。
公共事業については削減の方針は見られず、むしろ維持・拡大を掲げ、過剰な民営化の見直しにも言及している。結果として、採算性の低い公共事業が増加し、談合や政治利権の復活といった懸念もある。
郵政民営化に否定的な立場から、再公営化の可能性を探っているようにも見えるが、民営化以前の郵政事業には、サービスの悪さや財務省の規制を回避した不透明かつ反社会的な運用が少なからず存在していた。それを正当化するのは問題である。
水道事業への民間、特に外資系企業の参入に対して否定的な立場を取っているが、高度技術が求められる現代の水道事業において、有能な企業を排除すれば、国民にとって大きな損失となり得る。なぜなんらかのかたちの民営化が必要かを理解していない。
こうした懸念に対し、「外資に金が流れるくらいなら、日本人同士で多少不公正で価格が高くてもよい」といった意見も支持層には見られるが、市場経済のメリットを過小評価していると言わざるを得ない。
何より、高度成長期において、公共事業や農業、郵政に多額の無駄な支出が可能であったのは、世界最強の輸出産業という「寄生先」が存在したからにほかならない。現在の日本に、そのような産業は存在しない。
今後有望な外貨獲得手段といえば、観光や外国人による不動産投資程度だが、参政党はこうした分野さえ排除したいとする。そのため、今後はいっそう無駄な支出が許されない状況になる。
外国人労働力についても、特殊技能を持つ者は歓迎する一方で、単純労働者は排除するとしている。しかし、実際には日本人が担いたがらない分野を外国人が支えている現実があり、単純労働の制限は、社会サービスの質の大幅な低下を招くのは避けられない。
財源については、当面はインフレを抑制しつつ国債の増発によってまかなう方針のようだが、成長の見込めない経済モデルと財政赤字の拡大を市場が容認するとは思えない。
松田プランによる財源確保については、別稿で論じたとおりだが、構想としては興味深いものの、限定的な試行によって有効性が確認されるまで、その効果を楽観視するのは尚早である。
いずれにせよ、市場の信認が得られるかどうか、また恣意的な輸入制限や企業活動への規制を国際社会が受け入れるとは、通常考えにくい。トランプ政権下のアメリカのように、他国に圧力をかける力を日本が持ち合わせているわけではない。
結局のところ、こうした政策の行き着く先は、中南米の左派政権のように世界経済から孤立し、次第に貧困化していく姿である。最たる例がキューバであり、それはむしろ日本共産党の政権下で起こると想定された事態と重なる部分が多いようにも見える。






