
石破研究の前に
石破茂は、2007年の参院選で自公両党が参院の過半数を割ったとき、当時の安倍晋三首相の続投を批判した。こればかりか、2009年のいわゆる麻生おろしで麻生太郎首相批判が盛り上がる中、石破は反麻生勢力の署名に参加して退陣を要求した。ところが首相となった石破は、昨年の衆院選、今年の東京都議会議員選挙、参院選と大敗を喫しているにもかかわらず続投を表明している。
石破率いる自民党と彼の政策に対して民意がノーを突きつけ、党内からも批判の声が幅広く上がっている。あれだけ安倍と麻生に厳しく迫っておきながら、なぜ彼は辞任しないのだろうか。
政治家としての在り方や、その正当性の在り方として石破が繰り返し語ってきたのが、「御心がこの世になりますように」「過ちばかりの私ですが、どうぞこれを正してください」「どうぞ御用のためにお用いください」という神への祈りの言葉だ。
なお「御心がこの世になりますように」とは、「神の意志が、天におけるように地においても実現されますように」という意味だ。このため「私を使ってください」と石破は祈ったのである。
我が国には信教の自由があり、首相がクリスチャンであるのは何ら問題ない。また全てのクリスチャンが石破と同じ態度を取るわけではない。だが、自らの過去の言動と正反対の態度で、民意として突きつけられた首相としての正当性のなさを無視して、政権続投を表明する様子は今までにない政治家のタイプといえ、彼の精神性を知るため信仰に着目してみた。
結論
石破茂は参院選敗退後、まず日米関税交渉など懸案の解決を、続いて懸案に加え南海トラフ地震の可能性を、さらに「一切の私心を持たないで国民のためにあるいは国の将来のために身を滅してやるんだ。自分を減してやるんだということなんじゃないんでしょうか」と内心の問題を続投の根拠にした。
その内心を探ると、数々のクリスチャン政治家としての発言が無視できないものであるのが分かった。
石破が政治と信仰を語るとき、「政治と信仰の軸」と「自らの意志と願いの軸」が存在した。そして両軸が交わる位置つまり内心の中核部分に「神様の前に自分の至らなさ、誤っているところをお詫び申し上げる」「過ちを正してください」「ご用のために用いてください」という祈りがあった。

この構造のうち「信仰のみ語るセクション」のないものが、続投発言である。

「一切の私心を持たない。身を滅してやる」は、「ご用のために用いてください」という祈りから宗教色を脱色した表現と言ってよいだろう。
首相である正当性は神が担保していると、石破は理解しているのではないか。
以下、上記の根拠を説明する。
石破を取り上げた宗教メディア
石破茂の政治と信仰を知る上で参考になる資料を紹介する。
キリスト教系メディアの石破茂への期待が並々ならぬものであるのが、彼にまつわる記事の件数と内容に表れている。そして石破もまた「国家晩餐祈祷会(2000年から始められた「日本の国のため、各界の指導者や関係者のために祈る」クリスチャンの集い。クリスチャンの国会議員、教会やビジネス、教育などの指導者を中心に毎年開催)」にたびたび登壇し、抱負と信仰を語っている。
・クリスチャントゥデイが石破茂を扱った記事の一覧(Googleのサイト内検索を利用)
・クリスチャンプレスが石破茂を扱った記事の一覧(Googleのサイト内検索を利用)
いずれの記事も興味深いが、2025年7月27日に掲載されたクリスチャントゥデイの『「自民党の石破茂元幹事長があいさつ 第17回国家晩餐祈祷会(1)』では、約1800文字のあいさつ全文が掲載されている。

2018年の総裁選前には、クリスチャンプレスが『【インタビュー】衆議院議員・石破茂氏「自分だけが正しいのではなく、お互いを受け入れ合うことが争いをなくす第一歩」』と題したインタビュー記事を掲載している。

同記事のインタビュー部分を抜き出して整理すると次のようになる。

キリスト新聞も石破の祈祷会出席を報じるなどしている。
・石破を扱った記事の一覧(Googleのサイト内検索を利用)
上掲の一覧を見てもわかるように、同紙には政治色の強い記事が多い。たとえば原発再稼働反対や国連女性委への拠出金停止への抗議、神社参拝への抗議などである。



マスメディアではないが、石破の個人ブログにも信仰にまつわる引用、用語が散見され、クリスチャンの信徒がコメントを残している。こうした中、ストレートに「福音」をタイトルに用いているのが以下の投稿だ。なおこの投稿は、イスラエルのガザ攻撃とアメリカの外交姿勢を、アメリカ全人口の3割を占める福音派とからめて語る内容となっている。ちなみに石破はプロテスタント、カルヴァン派の長老派信徒だ。

石破茂は何を語ったのか
クリスチャン政治家としての抱負を読み取る
気をつけなければならないのは、石破茂がキリスト教メディアや祈祷会でどこまで本心を語っているか分からない点だ。クリスチャンからの期待が大きい彼は、教会関係者や信徒に耳障りの良い言葉を語っているかもしれない。
また政治性の強いキリスト教メディアや信徒から、石破は日和っていると見られているのも事実だ。これが原発再稼働反対や国連女性委への拠出金停止や神社参拝への抗議記事、ブログでの信徒からのコメントに表れている。
これらを総合すると、公開されている石破の発言は、それなりに当人の本心に近いと考えてよいのではないか。いずれにしても、こうした事情があるのを頭に入れたうえで、石破の言動について考える必要がある。
では、2018年の総裁選前に行われたクリスチャンプレスのインタビューから、石破の発言を抜き出して内容を検討しようと思う。
このインタビューは議員として(総裁選を前にして)「神様の前に自分の至らなさ、誤っているところをお詫び申し上げる」とした上で、「過ちを正してください」「ご用のために用いてください」と語っている象徴的な内容だ。
このインタビューから石破の発言のみ抽出して形態素解析(言語を意味のある最小の単位に分解して品詞や文法的な情報を分析する自然言語処理)を行なった。ただし、発言の量(文章に書き起こされた量)が少ないため、後述する2つの手法を併用した。
語られた内容の傾向
「政治と信仰の軸」と「自らの意志と願いの軸」を設定したのには根拠がある。

上掲の図は、クリスチャンプレスのインタビューで石破が語った「語」の類似度を表している。
石破が語った「語」と、「語」同士の距離がバブルの位置で、バブルの大きさは出現頻度を表している。ただしX軸、Y軸の意味を統計データが答えてはくれないので、石破の回答を精査・検討すると、「政治と信仰の軸」と「自らの意志と願いの軸」であるのが読み取れる。

たとえば日韓関係についての発言は、信仰ともっとも距離が置かれていると考えられる。
では石破の中で政治と信仰が完全に分離しているかというと、クリスチャン議員としての抱負を聞かれて「神様」「自分の至らなさ」「過ち」等と語っているので、これが政治と信仰の中間に位置する「語」として表示されている。
また、「世の中は争いが絶えない」ことから「いかに互いが神の前には無力」かと言い、「祈ることができるか」と問いかけ、祈りを「共有したい」とも語られている。これは石破の意志であり、児童虐待の話題は願いと言ってよい。
以上から、石破は神から選ばれし議員や首相という意識に基づいて政治に取り組み、世界のクリスチャンと祈りを共有したいと考えているのが分かる。例示された日韓関係については、カトリック信徒の文在寅と協調する重要性が説かれていると考えるべきで、その鍵が「韓国と日本が過去にどういう関係にあったのか」なのである。
回答はどのように結びついていたか
異なる性質のものが混ざった回答の中から、互いに似た性質のものを集めてクラスターにまとめてみた。
会話や文章は、いくつかの異なる題材について語られながら、一つの意味を成している。クリスチャンプレスのインタビューでは、それぞれの問いに石破が回答しているが、全体はインタビューのテーマである「政治観」を表している。
似たもの同士の語でグループ分けをすると以下のようになった。それぞれのグループ(クラスター)は「話題」を形造り、樹形図でそれぞれの結びつきが表現されている。

クラスター分析
樹形図が行き着く先は、「いかに互いが神の前には無力であることを共通認識し、自分だけが正しいという思いを持たず、弱い人のために働き、祈ることができるか。それをできるだけ共有したいと思っています」で、これがインタビューの核心部分なのが分かる。
インタビューは、このように石破にとっての政治と信仰の関係を具体的に語る内容だった。つまり、石破政治は福音政治だったといえる。
そして、それぞれの話題の中で「語」は、次の図のように結びついて使われていた。

共起ネットワーク
(以上が石破のクリスチャン政治家として抱負を語ったインタビューの解析結果だが、発言の量が少ないため、「。」句点で区切られる文を集計単位にした統計と、段落を集計単位にした統計で、それぞれ解析を行なった。この結果、文を集計単位にしたもののほうが、発言の実情にあった解析結果になったので、こちらを採用した)
宗派とガザ攻撃
石破の個人ブログから投稿「福音派など」を解析してみた。
「語」の類似度を検討してみたが、文を集計単位にしても、段落を集計単位にしても縦軸と横軸の意味が読み取れなかった。

多次元尺度法(文を集計単位にした)
これは予算委員会についての感想から、金融・経済問題についての意見へ、さらにイスラエルのガザ攻撃へと取り留めなく話題が変化している要領を得ない文章だからだ。
取り留めなく話題が変化している要領を得ないのはクラスター分析の結果にも表れている。

クラスター分析
そこでタイトルに書かれた「福音」と直接関係するイスラエルのガザ攻撃について書かれた段落以降のみを抽出して、再度解析処理を行なった。

多次元尺度法(文を集計単位にした)

多次元尺度法(軸を設定)
すると「パレスチナ自決と日米同盟の軸」と「政治と信仰の軸」があると分かった。ただし本文を流し読みするだけでは文意が分かりにくいのは、結論がない、なぜそのテーマが取り上げられるのか脈略に欠く語り口といった、いわゆる石破論法で終始するからだろう。
クラスター分析を行うと以下のようになった。

クラスター分析
自分がどのように判断すべきか石破に答えがないのは、キリスト教福音派に対する批判にクリスチャンとして躊躇しているのが原因のように読み取れ、ぶつぶつと独り言を言っている印象そのままの結果になった。
それでも石破が「パレスチナ自決と日米同盟の軸」と「政治と信仰の軸」でイスラエルのガザ攻撃を考え、信仰について第三者的立ち位置を取れず、クリスチャン政治家としていかに振る舞うか検討しているのは分かった。
石破発言に立ち返って
参考資料を掲載したのは、解析結果と結論だけでなく原典を読んでもらいたいからだ。
形態素解析によってアウトプットされる統計データは客観性が高いが、データの解釈と、これを伝える言葉から主観性を完全に排除するのは難しい。
だが当記事で解釈した通りでなかったとしても、原典を読めば石破茂の精神性の中核にキリスト教の信仰があるのは間違いないと分かるはずだ。
また石破の祈りとは別に、彼の決断と行動は、キリスト教やプロテスタント、長老派といった宗教が教えるものとまったく同じとは言えない。したがって石破の言動をもって、これらを同一視して批判するのは慎みたい。
だが無関係ではない。これが当記事の結論である。
編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年7月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。






