日本の仏教の礎を築いた鑑真の眠る寺:奈良市・唐招提寺

奈良市に来ました。京都から近鉄京都線・橿原線に乗って降りたのは西ノ京駅。小ぢんまりとした駅ですが、特急も停まります。それはこの駅から徒歩圏内に世界遺産であり奈良を代表する観光地である唐招提寺、薬師寺があるから。今回はその2つの歴史ある寺院を訪ねるためにここにきました。

西ノ京駅から北に歩いて12分ほど。唐招提寺に到着しました。時間が早かったからかもしれませんが、観光客は比較的少なくゆっくりと寺の中を散策することができました。

唐招提寺は1998年、「古都奈良の文化財」の構成遺産のひとつとして世界遺産に登録されています。律宗の総本山であり、中国で生まれ、苦難の末来日を果たした鑑真大和上が、759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場をここに開いたことに始まります。1200年以上の時を経て今もなお日本の仏教の歴史の始まりを伝える寺としてここに鎮座しているのです。

南大門をくぐると正面に見えるのが金堂。8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。金堂は鑑真大和上の死没後、弟子の如宝により建立されました。多くの仏教寺院、仏像が鋳造され、仏教文化が華開いた天平時代を代表する建物です。

金堂の脇には蓮の花が飾られていました。

金堂の奥に建てられているのが講堂。平城宮から移築されたもので、平城宮時代の建物の様子を窺い知ることができる貴重な建物です。金堂もそうですが多くの火事や戦乱、大戦があった中で1200年余りにわたって残り続けたというのは奇跡というほかありません。

こちらは宝蔵。典型的な校倉造の建物で風通しを良くして建物内の宝物や穀物などの貯蔵品を湿度から守るとともに、高床式にして水害や鼠などによる被害も回避していました。今、その役割は唐招提寺東端にある新宝物殿に譲っています。

この奥にある新宝物殿は今は拝観期間ではありませんでした。

寺の北東、土塀の向こうの門をくぐると鑑真大和上御廟(開山御廟)、すなわち彼のお墓があります。森の中、しんと静まり返った場所にありどこか身が引き締まる思いがします。

蝉時雨だけが夏空に響き渡る。

蛇が出ることよりも、「で」が左の行に行っていることが気になる。職業病?

こちらが鑑真大和上御廟。夏は苔が美しい庭園をくぐった先にあります。故郷、揚州から贈られた瓊花(けいか)が植えられています。帰国することなく日本で布教を続けここで亡くなった鑑真大和上は死後の世界で故郷を感じることができているでしょうか。

唐招提寺内にはいくつか池があり、蓮が植えられています。この時期、見ごろを迎えており美しい花を咲かせていました。

どうも池によって咲き具合が違うようで、西の池は「不調」とされていました。

こちらが西の池。確かに不調…。

ちなみに童謡に「ひーらいたーひーらいたー なーんの花がひーらいたー 蓮華の花がひーらいたー」という歌がありますが、ここに出てくる「蓮華」は田畑に咲く「レンゲソウ」ではなく、この蓮の花のことです。蓮の花は昼頃には閉じてしまう。だからこのあとの歌詞で「開いたと思ったらいつの間にかつぼんだ」となるんですね。

奈良市西ノ京で1250年の歴史を越え今も静かに佇む唐招提寺。仏教のことは詳しく知らないですがそれでも長きにわたりここに鎮座し続ける仏像を拝むだけで心が静まり、なんだか救われたような気持ちになります。

昼近くなると観光客も増えますがそれでも敷地が広いのでゆっくりと回ることができると思います。是非一度、唐招提寺に足を運んでみてもらいたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年8月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。