参院選があぶり出した本当の危機とは?世代間対立以上に深刻な分裂

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1. 私なりの参院選の総括

まずはお詫びから。

参院選については、半年以上前から、与党の過半数割れもささやかれていたが、私はさすがにそこまでは負けないだろうと見ていたし、投票1〜2か月前の時点で、ギリギリ50議席は確保と予測して、自身そのように発信していた。結果としては過半数に3議席少ない47議席と相成った。不明を恥じる他ない。外してしまい、申し訳ありませんでした。

1か月前の時点でも、私は各所で、与党は14+12×3=50で、何とか50は確保、と申し上げて来た。それが投開票まで1か月を切るあたりから、特に参政党の勢いが強くなり、専門家や調査してるメディアによっては、与党で30台という獲得議席予測も有力となった。

反省も込めて、上記の14+12×3=50をレビューすると、最初の14は1人区(当選者が1人だけの選挙区。与野党の激戦)での自民党の獲得議席であり、これは、結果として丁度14となった。

後ろの12×3は、3つの12議席ということだが、一つの目の12は、自民党の比例での獲得議席で、これも予想どおりドンピシャの12となった。

二つ目の12は、複数区(当選者が2名以上の選挙区。13ある)での自民党の獲得議席で、これは、結果として13となった。ほぼ的中した。

外したのは最後の12議席で、これは結果として8議席にとどまった。公明党の獲得議席である。公明党は悪くても11議席は行くかと思っていた。埼玉、神奈川などで議席を失い、比例も振るわなかった。言い訳になるが、公明が11議席であったら、ちょうど50議席で与党が過半数を何とか確保、となっていた。

ただ、これも、非改選議席(3年前の選挙で自公が獲得した議席)が75議席あっての過半数なので(75+50=125)、3年後は今の感じだとそれだけの議席を獲得するのは望み薄である。既に大きな流れとして、自公で安定的に議席を確保という鉄板の安全シナリオが崩壊の序曲を奏ではじめていることは間違いない。

今回は、裏金問題などにお灸を据える要素があり、次回以降はまた自民党に票が戻るという見方や、また、「野党が盛り上がって(時に政権奪取までして)、国民の失望を招いて、結局は自民党となる歴史」の繰り返しから(※日本新党、民主党、維新ブーム、希望の党ブーム…)、いずれまた自民党に票が戻るという見方も有力である。私も、もちろんそうした見方に異を唱えるつもりはない。

しかし、同時に、大きな変化の胎動も感じている。自民党の敗北(今回の改選議席は52→39で25%減)、それ以上の公明党の敗北(14→8で約43%減)、更には共産党の崩壊のはじまり(7→3で約57%減)などを見ると、組織票を基盤としてきた政党の後退が著しい。つまりは、組織票選挙の終焉が見えて来た、ということである。

自民党は特に、石破総理を引きずり下ろすとか下ろさないとかの前に、この現実に直面して、どのように政党のガバナンスを考えるか(議員や職員の採用や任用、広報PR体制・シンクタンクを含めた内部統治のあり方。要は組織としての経営のあり方)を議論しなければならないはずだが、けじめをとるべきとか、裏金議員が何を言うかとか、薄っぺらい議論しか見えてこないのが気がかりだ。それなくしては(本質的議論なくして)、本来は、石破さんが良いとか他の誰かが良いとかの議論に正解が出ない。次代を担う青年局あたりは、こうしたガバナンスや党の在り方についての緊急提言をまとめるべきであろう。

話を元に戻そう。今回の参院選を通じて、組織票選挙の終わりをもたらしたものは、裏側から言えば投票率のアップである(約52%→約58.5%)。それは期日前投票の一般化や長期化による部分もあるが、大きくは、これまで、自民党が「寝ていてほしい」と本音では願っていた都市の無党派層・浮動層が、国民民主党や参政党などに代表される新たな政党に流れたことが大きい。

相対的に組織票の存在は小さくなる。もちろん、そもそも高齢化等で、これまでの集票マシーンの力が衰えて来ていることも見逃せないが、多党化の中で、各党や各候補者のショート動画などをスマホで見る機会が激増し、無党派層・浮動層が投票に行くことになったことが大きく影響していると考えられる。

この無党派の潜在票(浮動票)は、基本的に右派的である。かつては①自民党安倍派(安倍氏)に流れ、そこから少し前は②維新に行き、そして最近は③国民民主党に向かい、特に今回は④参政党に集まったと見ることができる。

この流動的保守票が最近の選挙の死命を決していると言っても過言ではないが、①〜④へのサイクルの速さ(安倍政権の発足から12〜3年程度。安倍政権の終わりから5年程度)を思うと、また、SNS全盛時代で「飽き」が早くくる流れを考えると、今後、更に新たな動き(参政党の次?)が出てこないとも限らない。既に今回、本来は国民民主党がもっと吸収出来た票を、参政党が取って行ったという面は否めない。山尾氏の擁立問題その他での「自爆」の面はあるにせよ。

「顔」「焦点」となる政党は選挙のたびにどこになるかは分からないが、いずれにせよ、こうした流動的保守票の顕在化・結集を前に、今後の選挙、それを受けての今後の日本社会はどうなるのであろうか。

2. 対立の先鋭化:実は大きな都市 vs.地方

多くの報道で見られるのは、今回の選挙があぶり出したものは、世代間の違い・対立である、というものだ。確かに、各種調査で明らかになってるのは、若い世代になればなるほど、国民民主党や参政党の支持率が高く、参政党はいわゆるロスト・ジェネレーションと言われる「不遇世代・不満世代」の40代〜50代の支持率も高く、逆にバブル期以前に就職等をしている60代〜80代などに行けば行くほど自民党の支持率が高いという構造だ。

そして同時に、そうしたロスジェネ・若年の不満層、自分の生活や人生がうまく行っていないのは、悪い政治や政治家のせいであり、そこさえうまく行けば自分の生活も好転すると安易に考えている層の“多く”が低所得者であり若年層に“多い”ことから(注:全員ではない。所得が高くて参政党などを応援している人も少なからずいる)、貧富の差による分断を強調する向きもある。

つまり、所得が高い層(中高年以上に多い)は、リベラルで外国人との共生を考えていて財政を気遣っており、所得が低い層(ロスジェネや若い層に多い)は、外国人排除に共感して財政など何とでもなるのだから消費税を無くしてお金を配りまくることを望む、という分断・対立である。そして、この分断はこれから益々激しくなり、日本社会もアメリカのような分断に向かって進んでいくという見立てが多い印象がある。

これらの説明は分かりやすいし、真実であることは間違いない。しかし、私は実は今後より深刻になるのは、実は都市 vs.地方という分断であり、政治や社会を意識する中で、そのことを強く心配する必要があると考えている。

今回の選挙で顕在化し、国民民主党や参政党に大きく流れた「これまでの無党派浮動票」の影響が強まれば強まるほど、消費減税への圧力や、年収の壁を上げることへの圧力が強まることは間違いない。

石破政権が続くにせよ代わるにせよ、消費減税の議論・年収の壁の議論は顕在化するであろう。そして、こうした動きが加速すればするほど困るのは、実は地方財政である。例えば2023年度の税収実績を基にした場合、消費税が廃止されると、都道府県の減収額は8兆5000億円と見込まれている(総務省試算)。

年収の壁(103万円の壁)の75万円の引き上げによる地方財政への影響について、かつて全国市長会は、地方の歳入は4兆円程度の減収を見込んでいた。国費による補填ゼロということにはならないと思うが、国全体として「ない袖は振れぬ」状況にあるのもまた事実で、今後、無党派浮動票層の声が大きくなればなるほど、実は、地方自治体が困るのは目に見えている。

つまり、裏返して言えば、これまでの自公政権は、こうした都市の無党派浮動票層の圧力をかわしつつ、地方やそれを支える組織(建設業とか農業などの地域を支える各種業界団体)に行きわたるように自治体を介して交付税等を流してきたわけである。都市の無党派的浮動票層の大きなうねりの前に、つまりは不満の爆発によって、ついにダムが決壊しつつあるというわけだ。

短絡的に考えれば、地方を維持することによるコストが大きすぎるので、そんな無駄なお金を流すのではなく、消費減税などをして、こうした都市の生活に苦しんでいる層にもっとお金を流すべきだ、という議論には迫力があり、現に今回の参院選の結果も明らかにそういう流れになっている。

ただ、そうした都市の無党派浮動票層/流動的保守票を支える人たち、もしくはその親たちを産んできて育てて来たのは、実は日本の「各地」であり、あまり極端にその流れが進むと、それは天に唾する行為にも思える。

私見では、都市に全員が集住して、地域を切り捨てて、この国・社会が持続的に伸びていくとは思えない。ありたい日本の姿でもないと思う。経済的合理やコスパだけで考えると、大きなしっぺ返しを食うというのが私の基本的な考え・スタンスだ。「多極分散型社会の日本」、「各地にリーダー(始動者)や主導的企業が存在する日本」、がどのようにしたら構築できるか、我々、青山社中の旅は続く。

3. 終わりに

私は前回のメールマガジンのエッセイにおいて、政治は、しょせんは「分配」の話であり実は今の日本の危機の本質ではなくなっている、と勝手に喝破した。確かに、消費税をどうするとか、ガソリンの暫定税率をどうするかとか、年収の壁をどうするかなどの話は大切で大きなことだが、「分配」の割合の話であり、それで日本社会が本質的に大きく改善することは無いとみている。

実は外国人の問題も「分配」の話と見ることができる。社会や経済の維持や発展のため、どこまで外国人・外国企業の権利を認め、どこまで認めないかという話であり、それはすなわち「分配」だ。日本人や日本社会が大きく伸びている時代は、要すれはパイ全体が拡大すれば、実はさほど問題にはならない。

つまり、分配以上に大きな問題は、日本全体のパイが世界の中で総体的に縮んでしまっていることであり、ここをどうするかである。これは、実は、基本的には個々人や企業や各地が頑張るしかない話であり、政治ですぐにどうこうなる話ではない。

政治や行政が打ち出す成長戦略が大事でないとは言わないが、明治期を見ても戦後の成長期を見ても、まず、国民や企業などの頑張りというベースがあっての成長戦略(富国強兵策や高度成長期の産業政策など)だ。

厳しい現実だが、国民一人一人が、かつての日本人や今成長している外国の人たちに比べて頑張っていない(もしくは、頑張り方・チャレンジが足りない)という事実に向き合うことが大事である。一人当たりGDPでG7で最下位(イタリアより下)。アジアでもシンガポールの半分しかなく、韓国や台湾にも抜かれ、間もなく40位台になろうとしている(38位)。先進国とは言えない状態になりつつある。端的に言って、負けているわけだ。一人一人が頑張る、また、頑張り方を工夫するしかない。

そうであるのに、消費税さえなくせば、外国人さえ排除すれば、日本経済は右肩成長をして、国民生活が滅茶苦茶に楽になるような言説がはびこっている。残念ながら、そのような簡単な解・夢物語は無い。

各個人、各企業が大きく羽ばたいていくチャンス・ベースが実は地域には沢山ある。むしろ、地域こそがフロンティアではないかと考えている。我々の先人たちは、素晴らしい自然、食文化、祭り、歴史的建造物などを有形無形に残してくれている。そしてそれが世界の注目を集めつつあり、インバウンドという形で花開いている面もある。

日本をより多極分散型にしていくため、各地で稼げる人たち・稼げる企業を多く生み出していくため、弊社が前々から論考等にまとめていた令和版の日本列島改造、令和版の企業城下町という発想とその実現力が今こそ求められている。

石破総理とは今年になって3回お会いしただけで、それまで全くお会いしたことがなく、面識がなかったが、その点で、地方の重要性を大きく理解していたと感じる。今後、いかなる政権、いかなる与党になろうとも、地域の重要性を強く認識して頂きたいと感じる今日この頃である。ちょっとした分配以上に、このことこそが、政治が取り組む課題のように思える。