自民党の総裁選前倒し騒動について感じること、真の敗因とは?

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「本の表紙だけ変えても、中身が変わらなければダメだ」

1989年5月の伊東自民党総務会長の記者会見:『総理のイスを蹴飛ばした男』国正武重より

※ 戦後最大の贈収賄事件とされるリクルート事件が大問題となり、1989年4月、首相・竹下登の退陣表明に発展した。後継を決める自民党総裁人事(=総理大臣)をめぐり、「政治とカネ」の問題を前に、清廉な印象の強い総務会長、伊東正義の起用論が高まった。だが、会津藩士の精神を受け継ぐ気骨ある政治家として名高い伊東は、誰もが望む総理の椅子を前に、「本の表紙だけ変えても、中身が変わらなければダメだ」と総裁就任を固辞した。

自民党の「総括」

この原稿を書いている翌日、即ち9月2日に、先般の参議院選挙についての自民党の「総括」が出る。中身は出てみないと分からないので、この段階で断罪するのも申し訳ないとは思うが、報道などから推測するに、どうも「そこじゃないんだけどなぁ」というものになりそうだ。

巷間言われているが、敗因として、

  • ① 政治とカネの問題についてのケジメが不十分で、その問題に対する反省と改善策が有権者に伝わらなかった
  • ② 生活に寄り添う政策が不十分で、手取り増・減税などを訴える他党との比較で特に劣後した
  • ③ 外国人に起因する事件・土地や企業買収等の体感的増加(データとしては必ずしも増えていないものもある)に対して、保守政党としての存在感が希薄であった
  • ④ SNSの活用などが不十分で、既存の応援勢力だけでなく、若者などへの訴求が足りなかった

などが「総括」の柱になる模様だ。

そして、特に焦点になるのが、「党首(総裁)である石破さんに、敗北についての責任がどれだけあるか」「それを「総括」にどこまで書くのか」ということである。メディアの関心も、印象ではそこに集中している。

というのも、結局、総括の内容より、それを受けて総裁選の前倒しが結局行われるのか、そして、石破政権は続くのか代わるのか、ということがメディアの、或いはメディアが忖度する国民の関心の中核になってしまっているからだ。

総括の内容より総裁の顔。石破総理は辞めるのか辞めないのか。つまり、本に例えれば、中に何が書いてあるかという中身より、その表紙に関心が向かってしまっている。冒頭の伊東正義氏のように、自民党内に「表紙より中身だ」と一喝する迫力ある政治家がいれば良いのだが、どうもそれも見当たらない。

真の敗因とSNS活用の本質

結論から書こう。私は、参院選での自民党の敗北の真因は、上記の①〜④のいずれでもないと思う。より正確に書けば、①〜④も敗因は敗因だが、メタレベルに立って見渡せば、①〜④について、かなり重厚に詳しく政策を書き連ねていたからといって自民党が勝っていたとは(或いは今後、各種選挙に勝てるとは)、到底思えないのである。

①〜④について、色々な案を策定し、それを実施するとしても、そもそも案も見えないし、それをやり切る迫力を自民党の誰からも感じない。それで、消去法的に、「そうであるならば、まだ、ボロボロになっても政権にしがみついている石破さんの方が良いではないか」という世論調査の結果になっていると思われる。

“迫力ある対案”なき単なる“引きずり下ろし”は、いじめのようにも感じられ、判官贔屓な日本人の国民性に鑑みて、自民党内と世論の乖離を産んでいるようにも見える。

政治には、政策を貫くには迫力が必要である。自民党の最大の敗因は一言で言えば迫力不足に他ならない。例えばSNSの活用が不十分だったということが良く敗因として挙げられる(上記④)。それは確かにそうなのだが、私に言わせれば、SNSの活用というのは、あくまで「迫力」があっての話なのである。

SNSの活用というと、直近の参院選では、党首の玉木氏に代表される国民民主党や、神谷氏が代表を務める参政党が良く取り上げられる。また、その向こう側には、泡沫候補から大統領にまで駆け上がったトランプ氏が有名だ。

ただ、良く考えて欲しい。彼らが、ネット上で「バズった」のは、果たしてSNSに精通していて、その戦略に長けていたことが主因であろうか?

私見ではネット戦略云々以前に、ネット「商材」としての価値、すなわちバズるだけの「迫力」が、主演する人物にあるのが大きいと考える。勢いを持って、分かりやすい言葉で、必死に国民に訴えかける「迫力」ある人材があってこそ、ネット上でバズるわけである。順番を間違えてはいけない。

SNSというものがまずあって、戦略上必要なので、何かを仕方なく訴えるのではない。訴えたい何か、それを伝えたいと強く思う人物がいて、ツールとしてのSNSを活用するわけである。その中身と訴える人物が無ければSNS戦略も何もあったものではない。

戦略というのは、戦う人や武器があって初めて考えられるものである。如何に偉大な戦略家であろうとも、人材と武器無しには戦えない。幾多の戦争、命がけの戦いを経験してきたナポレオンやアレクサンダー大王が残したとされる有名な言葉に、「1頭の獅子が率いる100頭の羊の群れは、1頭の羊が率いる100頭の獅子の群れよりも強い」というものがある。

今の自民党と野党を比べた時に感じるのは、確かに自民党には、獅子とも言える優秀な良い若手が沢山いる。それに引き換え、国民民主党や参政党には、そうした人材は少ない。党首たちもそのことを自覚しているし、また、国民もそれが分かっているので、各種世論調査を見ても、政権交代までは望んでいない。

ただ、国民民主党や参政党が、まさに1頭の獅子に率いられる羊の群れであるのに対して、自民党は、1頭の羊に率いられる100頭の獅子の群れになってはいまいか。野党が政権を担う能力に欠けているのをいいことに「まだマシだ」という状態に甘んじていて良いのだろうか。「総括」をして、「戦略的」に取り組もうとも、迫力ある人材もいなければ、武器としての確固たる改革案も見当たらなければ、それは「総括」にはならないのではないか。

「迫力」を産むためには

改めて書くまでもないが、迫力というものは付け焼刃では出てこない。声が大きければ良いというものでもない。信念から来る強い主義主張がなければ生み出せない代物だ。トランプ氏があそこまでSNSの活用などをうまくやったのは、まず根底に、信念から来る強い主義主張があるからだ。

トランプ氏が泡沫候補として大統領選に名乗りを上げた際、すなわち、共和党の中ですら泡沫候補に過ぎなかった頃、世界はオバマ的価値観、SDGs的価値観に満ちていた。環境を大事にしてCO2を極力減らし、人権を尊重して移民を大切にし、脅しや武力には、脅しで立ちむかうのではなく、対話で臨むのが主流であった。

私は個人的にはオバマ氏的世界観の方が好みであるが、良し悪しは別として、トランプ氏は筋金入りの信念で、そうした世論に対して敢然と主義主張をぶつけた。そしてその迫力は、結果として多くの人を動かすこととなり、世界は一変した。

最近のネット用語では「薪」(たきぎ)と言うらしいが、過去の主義主張はやがて「燃料」となることがある。すなわち、たとえその瞬間は見向きもされない言説であっても、信念を貫いているうちにやがて世間が注目するところとなり、遡上する形で過去に言ったり書いていたりしたものが「薪」となって、ポジティブに「炎上」することがあるそうだ。

この観点から今の自民党に必要なのは、今、ネットでどうバズるかを考えることではなく、確かな人材をリクルートし、育てることに他ならない。急がば回れである。そうした人物の信念があってこそ、SNS戦略も成立する。

もちろん、人材というのは、政治家だけではない。きちんと政策が作れるシンクタンク人材、党のマネジメントが出来る経験豊富な人材、政治とカネの問題などにきっちり対処できる秘書人材のプール(そうした人達を各議員の秘書に付けられるような党の体制)、なども含む。

こうした自民党改革について信念を持ち、具体策を練り、それを訴えられるような人。上記の➀〜④について、たとえ敵が出来ようとも自説を丁寧に訴えられる人。そうした迫力ある人材こそが求められている。

表紙だけではなく、中身を変えることが自民党に求められているし、日本の今後のためにも必要だ。中身を体現する上で、もっともふさわしい表紙は誰なのか。検討すべき順番を間違えてはいけない。