岐路に立つ日本の大学経営:ざっくり2割は経営危機で名門大学も募集停止

ある日本の大学の学長と2時間ほど膝を突き合わせて話し込みました。この先生とは数年来の付き合いで教育界の様々な表の話も裏側の話も聞かせていただいています。ゴシップ話というわけではありませんが、学校経営の難しさを感じました。特に各種指標重視の理事長をトップとする学校経営側に対して教育理念を掲げ、教授陣のトップに立つ学長とは対立関係も珍しくなく、時として起こる理事長や学長へのクーデターはそのあたりの三文小説よりはるかにリアリティに富み、「今でもそんなことが起きているのか?」という衝撃すら与えます。

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このところ私は大学の先生方との打ち合わせや懇談が多く、「お前は一体何をしているのか」とご指摘を受けそうですが、この教育の世界が未だに自分で消化も理解もできず、ビジネス的感覚の尺度では何とも理解しがたい研究者同士の独特のバトルにある意味、「こりゃ手に負えん」と思わず降参したくなるのです。

ビジネス経営者はシンプルなのです。それは数字がモノを言うからです。売り上げ、利益、その過程を示す様々な推移とその変化率といった具合で多くが数値化され、それが経営者の成績表となり、外部からの評価を含め、わかりやすい判断材料となります。

一方、研究者というのは研究テーマを論理的に追及することにあり、それはある意味、世の中の行方がどうであれ、自分の信念ともいえ、方向転換しにくい堅物を作り上げやすいとも言えます。わかりやすい例で言うと「円安と円高、どちらが良いのか?」という議論を対局にいる学者同士に論争させればそれぞれがエビデンスを示すので一般人からすれば「どっちが正しいねん?」となります。ここで大事なのは論破した方が学術的に正しかったかどうかは全く別問題という点です。結局、アカデミアの世界も派閥に近い発想があり、いかに対峙するグループを引きずりおろすかを考えています。そこは必ずしも学術論争という正攻法だけではなく、裏の世界で「マジでそんなことをするのか?」という嫌がらせをする一方、自分のボスには付け届け、すり寄り、揉み手を伴うこともあります。

なぜそうなるのか、それはひとえに大学教員の身分の不安定感と給与が安いからでしょう。ポストを得るには力のある先輩教授を拝み倒してでも「今後もよろしく」としない限り「〇〇先生、申し訳ないが、来期は予算がないので本学では難しい。ただ、系列の△△大学が☓☓県にあるからそこでどうだろうか?」となるのです。決してドラマの話ではなく、実話であります。

私が教育や学校経営に関心を持ってたぶん5年ぐらいになると思います。書籍による知識よりもむしろ様々な先生方との交流を通じてこの世界との接点を持ち続けました。そして私の母校の校友会などの活動を通じて大学経営の「定点観測」ができることも実態面での理解につながっています。

日本に大学は800ほどありますが、ざっくり2割は経営危機とされます。私の中では国公立上位50大学は大学のネームバリューがあるが、それ以外は大学名については何処でも同じだと考えています。よっていかに大学がユニークな教育方針を持ち、学生の個性を引き出せるかがポイントになります。

今夏、私の会社でインターンシップとして受け入れた日本の学生と話をしていたところ、「自分は経済学部なので日本語の授業だが、工学部に行った同期は全部英語の授業なので今や、英語アレルギーがなくてペラペラしゃべっている(ように聞こえる)」といったのが非常に印象的でした。学生の才能をいかに引き出すかが大学経営の要となりそうです。

その中でちらちら見えてくるのが大学のM&A。M&Aが起きるのは経営不振になった大学を救済目的で買収することも多いと思います。名前は言えませんが、ある大学が医学部進出を狙い、既存の医大買収を画策しています。また同じM&Aでも大学全部ではなく、一部の学部が欲しいというケースも出てきそうです。

一方、大学のM&A的価値とは何か、これを数値化するのは案外難しいのかもしれません。あるターゲット大学の買収価値はいくらかを計算するには所属学生数から割り出す方法が一般的かもしれません。ただし、それには今いる教授陣の体制が維持され、学生数に影響がないのか、という点と新経営陣がどれだけ投資余力があるか次第であります。

海外の大学の場合、卒業生が多額の寄付行為をします。富裕層ならば卒業大学への億円単位の寄付は驚く話ではありません。我が母校にもある方から10億円規模の寄付が入ったりしています。それは卒業生が社会人として成功し、その恩返し的な意味合いがある訳です。ですが、極端な話、Fランク大学だとそれがほぼ期待できないとも言えるのです。とすれば大学経営側の投資余力には限界があるとも言えそうです。

女子大賛否論も面白いと思います。経営難の大学の一部では女子大を共学化する動きがあります。「背に腹は代えられない」というわけです。一方、女子大は使命を終えたか、といえば私には女子大ならではの強さがあると思うのです。かつては女子短大が花嫁修業予備校と揶揄され、短大閉鎖が相次ぎ、4大に統合化するなど経営の効率化を図った大学も多くなっています。また4大の新設学部では看護科など女子学生をターゲットにした学部が増えています。一方、女子大の理工新設といったユニークな方針を打ち出すところもあり、二極化しそうな勢いです。

現在女子大は78ほどあるかと思いますが、最終的には1/3-1/5ぐらいまで絞られ、その時点で質の高い女子大が生き残るのでしょう。驚きは日本最大の女子大である西宮の武庫川女子大が共学化を発表したことでこれは学校関係者に衝撃を与えました。また京都の女子大御三家の一角、京都ノートルダムが募集停止の発表にも関係者からため息が聞かれたようです。

企業経営も大変だけど大学経営はもっと試練の戦いになりそうな気配がします。多分ですが、教育理念ばかりではなく、ビジネス経営的にノウハウの導入も必要になりそうです。大学経営陣には銀行出資者が幅を利かせているところもあり、我々の知る大学のイメージは大きく変わりそうな気配があります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年9月24日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。