書籍を読むには、的確なモニタサイズや形状や素材というのは、明確にあるのではないだろうかと、最近思うようになっている。
3月に、Kindleが、iOS向けに英和辞書を搭載したことで、私の英語の語学力は、自慢できるほどではない私でも、原書を読むのが圧倒的に楽になった。
私が、英語を本気で勉強するようになったのは30歳過ぎてで、海外のゲーム系のカンファレンスに行くようになってからだ(なので、今英語が苦手だと思っている方も十分追いつけますよ)。今でも、自分に関連する分野であればニュースは比較的楽に読めるが、原書をすらすら読むほどのスキルはない。
便利なKindleだけどiPadだと何か読みにくい
2007年のKindle初期バージョンも持っており、英英辞書で読んでいたのだが、かなり限界があった。まず、カーソルを単語にまで持っていくのが面倒で、その上、結果のレスポンスが遅い。しょうがないので、Macに標準で搭載されている英和辞書に、いちいち不明な単語が出てくると入力して読んでいたのだが、どうにも長い本はおっくうだった。ところが、Kindleに英和辞書によって、圧倒的に簡単に読めるようになった。だけど、そうなると今度は読みやすい環境を求め始めた。
Kindleは、大半の本が9.99ドルで、当たり前だが購入後1分後には、iPadに送られてくる。そもそもお試しで1章は公開されるのが基本なので、それだけでも相当情報を得られる。これは便利だと、以前以上のペースで買うようになっている。さらに、すでに物量によって破滅気味の書斎の本棚を占領してくれないので、これまた助かる。
それで、iPad版Kindleで、基本的に読んでいたのだが、実はどうも読みにくいと思っていた。iPad版はiPhone版より4倍以上文字が1画面に表示される。本来のハードカバーの読書体験に近いはずなのに、何でだろうか、と不思議に思っていた。最近、新幹線の移動中に、iPadで原書をずっと読んでいたのだが、途中で苦痛になり放り出した。それで、ふとiPhone版のKindleで読み始めたのだが、驚いたことにとても読みやすい。結局、数時間その状態で読み続けた
以前、青空文庫の夏目漱石「こころ」を、iPhoneのアプリ「i文庫」で読んでいたときには、苦痛で投げ出したことがある。一方で、iPadでは通読できた。その偏見があって、これまでiPhoneでは、原書を積極的には読んでこなかった。狭いから読みにくいだろうと。
距離と重さと横書きと
何が読みやすい条件を決めているのだろうかを考えてみたのだが、私の場合、「モニターと眼との距離」と「ハードの重さ」が重要だと思い至った。一方で、「縦書きか」、「横書きか」という違いも大きい。
私は本を読むときには、右手だけで読む。親指と小指で本を開き、残りの指で背面をおさえる。で、めくるのは左手。これは長年から、自然とできた行動様式で、よほどの重くなければ、それで読める。そのときの本と、眼との距離が15センチくらいに自然になっている。
逆に、iPadは重いので、両手で支えるか、新幹線の座席の棚の上に乗せて読むしかない。その状態なので、眼とのiPadのモニターとの30センチ以上とそれなりに距離が生まれる。これは、自分が普段、本を読むときあまりに違う読書スタイルであるため、読みにくいと感じるのではないかと気がついた。一方、iPhoneだと片手で眼から約15センチのところに置いて読める。普段の読書スタイルにより近いのがiPhoneということなのだろう。片手で持ち、英和辞書は親指で選択できる。そして、眼とモニターの距離が15センチ。
英語のニュースをパソコンで読む際も、自然と顔をモニターに近づけて読んでいることに気がついた。英語慣れしていない私の脳が、文節に分けて英文を理解するために、的確な距離が存在するのだろう。
また、縦書きと横書きの違いにも気がついた。iPhone版「i文庫」で書籍を縦書きで文章を読むには、苦痛極まりなかった。そこで、横書き設定にして、文字サイズをKindleの英語サイズに近い「大」に変えてみた。明らかに読みやすくなった。ディフォルトの「中」では、モニターがちらちらしてディフォルトのサイズでは長文を読み続けるにはきついと感じていたようだ。私のiPhoneは4なので、Retina対応にも関わらずだ。坂口安吾「明治開化 安吾捕物」の一つのエピソードを読んでみたが、普通の文庫本を読んでいるような気分に近い感覚で読了できた。
もしかすると、スマートフォンやタブレットで読書をするには、長年の慣習である縦書きは必須の条件ではないのではないかという気持ちさえしている(このページだって横書きだ)。縦書き対応への実現に苦労している点が、日本でe-Book Readerが普及する上での障害の一つと言われているが、それは本当に必要なのだろうかという疑問も感じる。ただし、横書きで読んだ、小説の読書体験は少し変化したようには感じはしている。何が変わったのかは説明できないのだが、この変化に出版社も、こだわっているのだろう。
ハードを物色するものの
先月アメリカ出張の際に、大手書店BARNES & NOBLEを訪れた際、同社のKindle対抗ハードのNookが店頭の目玉として置かれていたが、ラバーで6インチのE InkのNook Simple Tabletが、軽くて、とても、持った感じが良かった。反応も私が持つKindleよりはるかに良く、買って帰ろうかと悩んだぐらいだ(結局、日本での利用は面倒くさく、また、英和辞書は乗らないようだったので諦めた)。帰国後、Kindle Touchの購入を考えたが、Amazonのページでは利用を想定した写真のうち4枚のうち2枚が、結局膝の上に置いているので、どうも判断ができない。来月発表されると噂のiPad miniへも期待するのは読書のしやすさだが、現状のiPadと同じ素材ならば見送るだろう。
ただ、読書に向いているデバイスってのは、やっぱりタブレットPCとは、別物なのだろう。もちろん、これは私個人のケースなので、大きく個人差があると思われるので一般化はできない。ただ、電子デバイスでも読書をするには、いろいろ的確な条件というものが存在するとは感じている。結局は、そのハードを使って一冊読んでみないとわからない気もするので、なかなか判断が付かない。
とりあえず、当面、私の場合、原書はiPhoneで読むことになりそうだが、本読みとしては究極の読書デバイスを求め続けるに違いない(=無駄な買い物を続けるに違いない)。
新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT) @kiyoshi_shin
「めるまがアゴラ」にて「ゲーム産業の興亡」を連載中