黒坂岳央です。
長く人生を生きていればいろんなことがある。だが、青天の霹靂のような幸運も不幸もあまりない。実際には小さなサインが先にたくさん出て、その後、大局的にゆっくりと悪い方向へと進んでいくことに気づく。重要なのは「兆し」を見抜き、早い段階で軌道修正することではないだろうか。
個人的に人生の大局が悪い方向へ向かうサインを取り上げたい。

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1. 行き先がわからなくなる
「自分は5年後、10年語、どうなっていたいか?」という問いは会社員の頃によくされた。当時の自分はこの問いに対してしっかりとした答えを持っており、淀みなく整合性を持った進路を答えられたものだ。
だが、途中から答えに詰まるようになった。本当に自分はこの道のプロを目指したいのか?と。悩みに悩んだ挙げ句、数年後、自分は会社をやめて独立していた。
あのまま、漠然と行き先の再定義をしていなければ、ダラダラと人生に迷いながら緩やかに下降していったはずだ。
はっきりとした人生の行き先が見えなくなった時、それは後退するサインかも知れない。
2. 成長より楽する道を選ぶ
人生には数多くの選択肢があるが、ざっくり二分できる。すなわち、「楽な道と成長する道」である。
楽な道の代表例が「現状維持や後退」である。気持ちや肉体的に楽だが、この世は競争社会で相対的評価から逃れられない本質を考えると、こちらの道を選ぶと確実にジリ貧コースだ。直ちに貧困層行き、といった極論を言うつもりはない。だが成長する道との「相対比較」において劣後するのは確実である。
人は感情から老いる。「このくらいでいいか」と妥協が見えた時、人はそれまで選んでいた成長コースではなく、楽な道を選ぶように変化する。
3. 他責になる
物事がうまくいかない理由を常に「会社」「社会」「他人」に押し付ける人間は、自己改善の機会を失う。根っから他責思考の人は最初から変わらないわけだが、ここでいう他責に「なる」とは、それまで自責だった人が他責へ変化するケースだ。
自分は他責そのものを全体的に否定するつもりはないし、自責すぎると心を病むリスクもある。0-100思考でどちらがダメで良い、といった浅い議論も好まない。
ただ事実として他責になると人生は上向くことが少なくなる。自責の良い点はたとえ、ネガティブな経験からも教訓を引き出せる点にある。他人から不誠実はことをされた時、悪いのは100%先方だが「自分の見る目がなかったので、次からここに気をつけよう。リスクヘッジ機能を持たせよう」と考えることで、人を見る目も鍛えられるはずだ。
だが、人生の何もかもが他責だと、あらゆる経験が「教訓」から「記憶に残らないカロリーゼロの出来事」に変わってしまう。
4. 感謝や希望より愚痴が増える
普段の会話が感謝やこれからの展望が多い人、愚痴や批判ばかりの人にわかれる。もしも後者に変化した時、その人は人生を「可能性」ではなく「諦め」の中に生きているといえる。
見方を変えれば、人生は自分の力で変えようがない運命のようであり、もう半ば諦めているという姿勢が透けて見えるだろう。そうなると今後も展望の期待値も減少する。
人生は自分でなんとでもできる!と考える人は、愚痴の代わりに行動するからだ。
◇
人生は細部ではなく、大局の方向性によって決定づけられる。未来を描くことをやめ、成長を放棄し、責任を手放し、不満に沈み、閉じた人間関係に安住する。これらの予兆が揃ったとき、人は気づかぬうちに「人生の下り坂」を転がり始めるのだ。
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