
今年の6月に出て話題の書籍を読んでみたが、もやもやする気持ちが残ってしまった。思想史と統計分析という、正反対の研究者がコラボする共著はめずらしいし、よい点はいっぱいある。
出典表記が丁寧で、保守やリベラルにつき「誰がいつ何を言ったか」を辿れる学説史になっているのは、ありがたい。学術書相当の内容を、知恵を絞り新書で刊行した気概も特筆される。

新しいリベラル――大規模調査から見えてきた「隠れた多数派」 (ちくま新書 1861)
だが気をつけたいのは、題名が連想させる「私たちは新しいリベラルだ!」といった価値観に立つ人びとが、実体として存在するわけでは “ない” ことだ。これは著者も認めている。
新しいリベラルのなかで、自身を「リベラル」と位置づける人は2割程度であり、「保守」と位置づける人も2割いる。「わからない」と答えた人は3割もいた。
これはつまり、自分はリベラルだと思っていなくても、新しいリベラルのグループに分類される可能性があるということである。
同書、285頁(改行と強調を付与)
つまり「新しいリベラル」とは、質問紙調査の解析を通じて、あくまでも操作的に見出されたカテゴリーだ。相当苦労して、そうした成果を得られるよう工夫したことも、書かれている。
新しいリベラル的な価値観をもちながら、ふだんはその価値観を強く自覚することなく生きている人たちにも回答できる水準の質問を作ることで、初めて新しいリベラルは可視化できるのだ。
第6章で新しいリベラルを析出するための六つの質問を示したが、この質問が完成するまでに4年かかった。
331頁
もちろん、これ自体は悪いわけじゃない。全体を見渡して「潜在的にこんな傾向の人たちを、こう命名できませんか?」と提案することが、世の中の見通しをよくする例は多い。
問題はその手続きの内実、つまり質問の内容だ。まず著者自身の言葉で、見出そうとするグループの特徴を挙げると、
① 従来型のリベラルは「弱者支援」型の福祉政策を支持するのに対して、新しいリベラルは「成長支援」型の福祉政策を支持する。
② 従来型のリベラルは高齢世代への支援を重視するのに対して、新しいリベラルは子育て世代や次世代への支援を重視する。
③ 新しいリベラルは〈戦後民主主義〉的な論点には強くコミットしていない。
222頁
となる。①が少しわかりにくいが、福祉は “かわいそう” な人のためにあるんじゃなくて、本書で繰り返される「社会的投資」の概念、あらゆる人の能力開発に国がお金を出すプロジェクトとして捉えよう、みたいな趣旨だ。
問題は③である。平和ケンポーとか戦争のハンセーとか、そうした価値観に心動かされる人が減ってますよね、っていうのは、ぼくもよく書いてるように、体感としてはすごくわかる。
本書が依拠する世論調査は、「2022年7月の参議院選挙直後」にWeb上で行われた(239頁)。で、実はメインの「六つの質問」には、戦後民主主義に関する争点はそもそも入っていない。
まず主たる質問を通じて「新しいリベラル」層を炙り出し、彼らが補足的な質問にどう答えるかを見て、〈戦後民主主義〉との距離感を観察する、という順序である。それはいいのだが、
日米安保条約については、新しいリベラルの1割強しか、解消すべきだと回答していない。従軍慰安婦問題については、新しいリベラルの6割強が、日本政府は韓国政府が納得するまで謝罪する必要はないと回答している。
そして、これら二つの争点については、新しいリベラルと回答者全体とで、その回答傾向に大きな違いはない。
245-6頁
いやいや、2022年の調査ですよ? そりゃ、あたり前じゃないですか。
本書も触れるように(45頁)、むしろ保守派から批判を受けつつも、2015年に安倍晋三政権は「国費を拠出して、慰安婦問題を解決すること」で、韓国政府と合意した。そこから7年も後に質問されたら、多くの人は「日本はもう、十分やったんじゃないですか」と答える。

歴史教科書や靖国参拝について、または実際に今年大モメした「首相は戦争を反省する談話を、節目ごとに出すべきか」といった質問であれば、本人が(新旧を問わず)”リベラルか保守か” で、回答が割れた可能性が高い。
あえて “もう答えが割れなそう” な質問で、「ほらね? 新しいリベラルは、戦後民主主義とは関係ないんですよ」と言われても、浮かび上がるのは調査対象の実像というより、むしろ歴史にまつわる争点を無効にしたい質問者の意図の方だろう。
それは措くとして、では新しいリベラルをポジティブに特徴づける、「社会的投資」とはなにか。
本書の調査でメインとなる「六つの質問」(225-7頁)は、おおむね、
政府は社会福祉を、
① 受給する意思を示したあらゆる人に供給すべきである。それは未来への投資だから。
② 受ける対象として困窮者を優先するべきである。それが弱者支援というものだから。
③ これ以上供給する必要はそもそもない。自助努力が大切だから。
の3択になっている。むろん①を選ぶ人が「新しいリベラル」・②が古いリベラル・③が新自由主義的な保守になる(別のふるいにもかけて、著者は6パターンの政治意識を導いているが)。
でも、そういうのは2020年に、もう見た気がするんすよね(苦笑)。
新型コロナ禍での補償が問題になった同年4月、自民党の政調会長だった岸田文雄氏は、当初「困窮する減収世帯に30万円」の②の方針で対策をまとめた。が、ご記憶のとおり大ブーイングが起きて、「誰でも1人10万円」の①に切り替わった。
屈辱を忘れなかった岸田氏は、21年秋に総理となるや “カネカネ眼鏡” になった(苦笑)。子育て支援では「年収制限とかケチケチすんな。カネ!」と大サービスを決め、一方でウクライナ戦争の勃発を見るや、防衛費も「倍のカネを!」と叫ぶ。
岸田氏は、自民党内では “リベラル” だと目されてきた。2023年5月には、被爆地・広島でサミットを開催し、各国首脳の献花を実現した。あわせて翌月には、LGBT理解増進法も成立させる。
2022年7月の参院選に圧勝した、俺たちの岸田総理は、正しく “新しいリベラル政権” だった。で、いまそれは、支持されているだろうか。
福祉は弱者優先ではなく、”一律” じゃないとイヤだとする感性は、それを投資志向として前向きに捉える本書の論旨に反して、しばしば「俺以外がトクしたり、ラクするのは認めない!」という後ろ向きな発想につながる。
本書は新しいリベラルが、新自由主義的な「選択と集中」ではなく、「普遍的な仕方」での支援を望む点を評価する(284-5頁)。だがその裏面に貼りついた “俺損への不寛容” が暴走するリスクには、顧慮が払われていない。
実際に一律10万円を配ったコロナでは、「自粛警察」の形でそれが躍り出た。ぼくらがそのくらい、自分(とせいぜい家族)以外の誰にも共感しない “解体寸前の社会” を生きていることの危機感は、本書には見られない。
著者も認めるように、「新しいリベラル」は自覚されざるグループだから、いまのところそれを代表する政党はない。なので、作ればブレイクスルーになるんじゃ? と期待する声が、とくに今月のような政局では高まる。
ぼくの知っている人だと、たとえば宇野常寛さんがそうで、実際に
端的に言えば、僕は自民党は分裂するべきだと思う。……橋本努らが「新しいリベラル」と称している、最近でいえば消極的な石破茂支持層は今、政策的に合致する投票先がない。しかし自由民主党の反主流派が独立すればかなりこの受け皿になれる可能性が高い。
宇野常寛氏note、2025.10.10
と書いているが、そうした党ができない以上に、できた後続かないのが、問題の本質だと思う。
前にも書いたとおり、敗戦直後の焦土でもご近所で「共同炊事」ができず、誰もが「自分の飯」しか考えなかった日本人は、その点で意外なほど “個人主義” 的でもある。つまり実は、もともとバラバラな社会だ。
〈戦後民主主義〉や歴史の記憶とは、豆腐を固めるための “にがり” みたいなもので、添加することでアナーキーな豆乳状だった人びとの群れが反応し、なんとなく〈左・右〉っぽい形に凝固していた時代が、戦後だった。
その効き目が切れてきたのはしょうがないけど、本書は新しい “にがり” になれるものはなにか? を探しているようで、実は豆乳の一部を匙で掬って「これを見て!」と言っているように思う。
先日は表現者塾で、浜崎洋介さん・辻田真佐憲さんとも議論したが、戦後の日本は思想の代わりに歴史で〈保守か・リベラルか〉を決める、ふしぎの国だった。歴史が消えた後、代わりをするものは、まだ誰にも見えていない。

表現者塾での資料より
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






