野党連携の幻想と「数合わせ」の限界

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公明党の斉藤鉄夫代表が13日、BS日テレの番組で興味深い発言をした。臨時国会の首相指名選挙で決選投票になった場合、野党候補への投票も「可能性のうちの一つ」だという。つい先日まで「野党の党首に投票することはあり得ない」と明言していた人物の言葉である。

政治の世界では、「あり得ない」ほど当てにならない言葉はない。

野田佳彦立憲民主党代表は「三つ(の議席を)足すと自民党を超える」と強調し、政権交代への意欲を示している。立憲、維新、国民民主の三党が連携すれば、確かに数の上では自民党を上回る。しかし、この発想こそが野党連携の限界を露呈している。

国民民主党の玉木雄一郎代表は、野田氏との党首会談に応じる意向を示しつつも、「足して2で割って間を取る話ではない」と釘を刺した。この指摘は本質を突いている。

問題は政策の根本的な違いだ。国民民主党や日本維新の会は、現実的な安全保障政策や経済政策を掲げ、穏健保守・中道路線を志向している。一方、立憲民主党内には安保法制の廃止や日米同盟の見直しを主張する左派勢力も存在する。エネルギー政策一つとっても、原発再稼働をめぐる立場は大きく異なる。

こうした政策の違いを「反高市」という一点だけで覆い隠そうとする試みは、無理がある。

2009年の民主党政権を思い出す。あの政権も「反自民」だけで成立し、政策理念の違いから3年3ヶ月で3人の首相が交代する混乱に陥った。「反○○」だけで政権を取っても、統治の現実に直面すれば必ず行き詰まる。有権者はそれを学習している。

一方、高市早苗自民党総裁の新執行部も深刻な問題を抱えている。

公明党との連立協議が難航し、臨時国会の召集日は当初予定の15日から21日へと後ろ倒しされる方向だ。自民党総裁と内閣総理大臣が別人という「総総分離」は、通例では数日で解消されるが、今回は2週間以上に及ぶ異例の事態となっている。

さらに奇妙なのは、石破茂首相がいまだに首相の座にあることだ。9月7日に退陣表明をしたにもかかわらず、重要な政策判断ができない「レームダック」状態のまま政権は存続している。ある側近閣僖は「総総分離のまま石破氏が首相を続ける流れを作っていきたい」と語ったというが、総裁選で敗北した人物が首相を続けることの正当性はどこにあるのか。

ネット上では、自民党・高市支持者が公明党との連立解消を歓迎し、「解散総選挙に打って出れば大勝する」という楽観的な声さえ上がっている。だが、自民党の衆院議席は196で、過半数の233には37議席も足りない。公明党の協力なしに選挙を戦えば、むしろ議席を減らすリスクの方が高い。

昨夜、ニュースを見ながら知人が呟いた。「また野党がくっついたり離れたりか」——その声には諦めがあった。これが有権者の実感だろう。

与党は分裂し、野党は数合わせに奔走する。誰も政策の中身を真剣に語ろうとしない。物価高対策、防衛費の財源、少子化対策、エネルギー政策——議論すべき課題は山積しているのに、聞こえてくるのは「数」の話ばかりだ。

ある識者は「立憲民主党の判断と行動に、すべてはかかっている」と述べた。だが、立憲民主党が大胆な自己刷新を行い、穏健保守層の受け皿になれる体制を整備できるかは、極めて疑問だ。これまでの10年間を見れば、その可能性は低いと言わざるを得ない。

真の問題は、政策理念を共有しない政党が「反高市」だけで手を組むことの危うさである。一時的に結束したとしても、それは有権者から「野合」と見なされ、かえって信頼を失う結果になりかねない。

先週、スーパーで年配の女性が小銭を数えている姿を見た。政治家たちが数合わせに奔走している間、庶民は日々の物価高に苦しんでいる。補正予算の年内成立が困難になれば、最も影響を受けるのは彼女のような人々だ。

日本の統治体制が正念場を迎える中、各政党に求められているのは、一時的な数合わせではなく、明確な政策ビジョンと実行力である。政局の行方は依然として混沌としているが、真に問われているのは、各政党が国民に対して責任ある政治を提示できるかどうかだ。

「また、か」——知人の呟きが耳に残っている。

同じ失敗を何度繰り返すのか。答えは、まだ見えない。

尾藤 克之(コラムニスト、著述家)

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