米国内ではリベラルなメディアから批判され、こき下ろされることが多いトランプ米大統領にとって、イスラエルはオアシスだろう。トランプ氏は13日、ガザの停戦とイスラエル人の人質解放という実績を引っ提げて、イスラエル国会(クネセト)で演説した時、議員たちからスタンディングオベーションで迎えられ、国会内は熱狂に包まれた。

イスラエル国会で演説するトランプ米大統領、2025年10月13日 ホワイトハウスHPより
トランプ氏が行く先々にはトランプ氏の写真が大きく飾られ、路上には「トランプ、あなたは新しいクロス大王だ」とヘブライ語で書かれたバナーが目に入る。議員たちから賛辞と感謝の言葉を受けたトランプ氏は気分を良くし、「中東の歴史的な始まりだ」と宣言している。
イスラエル国会のアミール・オハナ議長は、「トランプ氏は単なる米国の大統領ではなく、ユダヤ史における偉大な人物だ」と強調し、「2500年前のクロス大王と並ぶ人物だ」と持ちあげている。
このコラム欄ではクロス大王については何度か紹介した。少し復習する。イスラエルという呼称は、ヤコブが天使と相撲を取って勝った褒賞として神から与えられた呼称で、「勝利者」を意味する。そのヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年間、捕虜生活をした後、モーセに率いられ出エジプトし、ヨシュアとカレブと荒野で生まれた2世が神の約束の地カナンに入る。士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代に入ったが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝國の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャの支配下に入る。その後ペルシャ大王クロスはBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させる。
ペルシャのクロス大王は聖書の中で、イスラエルの捕虜をバビロン捕囚から帰還させた偉大な解放者として描かれている。イスラム過激テロ組織「ハマス」から20人の人質を解放したトランプ氏はイスラエル国民の目にはクロス大王とオーバーラップする。その結果、トランプ氏は新たなクロス大王として称賛されるわけだ。
ただ、神学者の間では「BC538年、捕虜から解放してくれたクロス大王と人質解放を実現したトランプ氏を同列に置くことは、神学的にも政治的にも疑問がある」といった声が聞かれる。
例えば、ミュンスター大学の旧約聖書研究教授、オリバー・ディマ氏は「福音派の間では、クロス大王とトランプ氏の比較が長らく行われており、大統領自身もそれを楽しんでいるようだが、福音派中心のイスラエル政策はユダヤ教には全く関心がなく、むしろキリストの再臨という特定の期待に焦点を当てている」と説明。現在の政治家を聖書の人物と同一視することで、「イデオロギー的に悪用され、疑わしい政策を正当化するリスクが出てくる」と警告している。
ところで、指導者の神話化傾向は米国だけの現象ではない。ロシアでも見られる。ロシアのプーチン大統領はその分野ではトランプ氏に負けていない。モスクワの赤の広場前には聖ウラジーミル像が建立されている。モスクワ生まれの映画監督、イリヤ・フルジャノフスキー氏によると、「プーチンはクレムリン前にキーウ大公の聖ウラジーミルの記念碑を建てた。聖ウラジーミルはロシアをキリスト教化した人物だ。クレムリンの前に聖ウラジーミル像を建立することで、ウクライナもロシアに属していることを意味するのだ。プーチンは自身を聖ウラジーミルの転生(生まれ変わり)と信じている」と説明している。
トランプ氏は支持者から「新しいクロス大王」と見られ、プーチン氏は自身を「聖ウラジーミルの生まれ変わり」と信じている。米露の指導者は、どういうわけか、「神話の世界」に安住の地を見出しているのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






