「穏やかな老後」に憧れる人ほど、介護が早く来る

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今回紹介する本の著者は福祉の仕事を30年以上やってきた。これだけは確信しているそうだ。「穏やかな老後」を夢見る人ほど、介護が早く来る。

なぜか? 動かなくなるから。考えなくなるから。人に会わなくなるから。

それだけだ。

介護されない未来を自分の手で作る」(上野利惠子 著)青志社

昭和のおばあちゃんは、なぜ元気だったのか

著者が子どもの頃——近所のおばあちゃんたちは、みんな元気だった。縁側でお茶飲んで、孫の面倒見て、近所の人とおしゃべりして。

「ああ、これが理想の老後だな」と当時は思ってたそうだ。

でも今になって気づく。あれは「のんびり」してたんじゃない。家族がいて、やることがあって、会話があった。つまり、「刺激」があった。

かれこれ半世紀以上前の時代は、三世代同居が当たり前。高齢者の面倒をみる人が家の中に何人もいて、手間も時間も自然と分担されてた。食事の支度、掃除、買い物、通院——全部、家族の中で回ってた。

おばあちゃんは座ってただけ? 違う。孫を叱り、嫁と喧嘩し(失礼)、息子に小言を言い——つまり、毎日「関わってた」んだ。

それが、刺激になってた。

時代は変わった。

令和の時代、「老後は穏やかに暮らしたい」「ストレスから解放されたい」——こういう声を、福祉の現場で何度も聞く。気持ちはわかる。わかるけど、危険だ。

なぜなら、今の「穏やか」は昭和の「穏やか」とは違うから。

核家族化が進んで、独居高齢者が増えた。家族との同居は減り、毎日会話する相手がいない。やることもない。予定もない。

つまり、「穏やか」じゃなくて「孤独」なんだ。

でも、本人は気づかない。「自由でいい」「誰にも気を使わなくていい」——そう思ってる。最初のうちは。

動かない、考えない、会わないはNG

動かない。考えない。誰にも会わない。

この三つが揃うと、人は驚くほど早く衰える。医学的にも証明されてる。活動量の低下は、筋力の低下、認知機能の低下、意欲の低下を招く。

で、あなたはどうする?

ただ一つ言えるのは、「今日から」始めないと意味がないってこと。

明日から? 来週から? そういう人は、やらない。絶対に。

今日、窓を開けて深呼吸する。今日、近所を10分歩く。今日、友人に電話する。

それができないなら、もう何も言わない。

老後は「人生の第二章」——そう言われる。

綺麗な言葉だ。でも、第二章を楽しむには、動くしかない。

それが、現実だ。

尾藤 克之(コラムニスト、著述家)

22冊目の本を出版しました。

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