江口寿史氏が盗用を認めた理由:天才イラストレーターが越えた一線

関谷 信之

しばらく前、人けのないファミリーレストランで、遅めの昼食をとろうとしたときのこと。メニューに描かれたイラストに目が留まった。写実的でカラフルな背景に、ファッショナブルな女の子が描かれている。

デニーズ プレスリリースより(メニューは24年時点のもの)

「江口寿史だ」

すぐに思い出した。子供の頃、雑誌でマンガを読んだことがある。脱線ばかりのストーリー。頻繁な休載。完結することなく打ち切られる連載。

「マンガを描くのがつらそう」
「マンガ家が合ってないのでは」

子供心にそう思っていた。

だが、目の前のイラストは秀逸だった。記憶にある作風を残しつつ、さらに洗練されている。嬉しかった。つらい連載から抜け出し、自分のペースでできる仕事を得られたのかも。他人事ながら安心した。

その後、江口氏のイラストは、1992年から1997年(及び2023年以降)のデニーズのメニューやポスターに採用され、イラストレーション展「彼女」は、2018年から2022年まで金沢21世紀美術館ほか全国8会場で開催された。近年はマンガ家より、イラストレーターとしての活動がめざましい。

その江口氏が、いま渦中にある。

他者がSNSに投稿した写真を、無断でそのままトレースし、広告ポスター向けイラストとして提供していたのである。トレースされた本人からの申し出があり、現在は承諾を得ているという。

だが、依頼主であるルミネ荻窪はポスターを撤去し、江口氏のイラストを採用していたデニーズやクレディセゾンも、使用を見合わせる事態にまで発展している。「他にもトレースした作品があるのではないか」。既にネットユーザーにより疑惑が複数指摘されている。

この流れには既視感がある。そう、東京オリンピックのエンブレム盗用疑惑だ。

佐野研二郎氏の対応

2015年9月、デザイナー(アート・ディレクター)佐野研二郎氏のデザインしたオリンピック・パラリンピックのエンブレムに盗用疑惑が生じた。訴えたのは、ベルギーのデザイナーであるオリビエ・ドビ氏である。自身がデザインした「リエージュ劇場」のロゴとの比較画像を公開し、盗用ではないかと訴えた。

「劇場ロゴは見ておらず、また、両者は似ていない」

佐野氏はこのように反論し、デザインコンセプトや制作過程を説明し、釈明を試みる。だが、説明で明らかにされた「デザイン原案」自体に別の盗用疑惑が生じたうえ、佐野氏のデザイン事務所が手掛けた別デザインが盗用であることが、ネットユーザーにより明らかになったこともあり、エンブレムは取り下げられた。

取り下げの理由は、「誹謗中傷から家族を守るため」という佐野氏からの要望によるものであった。エンブレム自体の盗用を認めたわけではない。

江口寿史氏の対応

一方、ルミネ荻窪の件について、江口寿史氏はあっさりと盗用を認めている。あまり罪悪感を感じていなかったのかもしれない。氏は、従来から写真を作品作りに用いているからだ。

これは氏に限ったことではない。イラストレーターであれ、画家であれ、写真を元に描く作家は少なくない(日本画家の池永康晟氏は、江口氏との対談のなかで「写真の方がライブ感がある」と、モデルを撮影した写真活用について言及している)。

1999年~2000年に漫画アクションに掲載された「美少女のいる街風景シリーズ」は、江口氏自身が、女性に声をかけモデルになってもらい、撮った写真を元に描いたものだ。

普段から、街を観察し、気になる女性を写真に撮り、これを元にイラストを描く。そんな江口氏にとって、SNSで流れてくる写真も「街の風景」のひとつだったのかもしれない。とはいえ盗用は許されるものではない。他者の作品は「素材」ではないのだ。

炎上の理由

改めて、本件に関する江口氏のコメントを見てみよう。

「中央線文化祭(ルミネ荻窪)のイラストは、インスタに流れてきた完璧に綺麗な横顔を元に描いたものですが、ご本人から連絡があり、アカウントを見てみたらSNSを中心に文筆/モデルなどで発信されている金井球さんという方でした」

江口寿史氏のXより(現在は削除されている)

反省の意や謝意が感じられない。それどころか、傲慢ささえ感じさせる。不要な言葉が多すぎるからだ。

「アカウントを見てみたら」「SNSを中心に」「という方でした」という言葉は、見下しているような印象を与える。“写真”という単語ではなく「完璧に綺麗な横顔」としたことは、写真を盗用した印象を薄めるためではないか、といった邪推を生む。

作品への敬意が感じられないこのコメントこそが、今に至るまで炎上が続く理由ではないだろうか。

江口寿史氏の今後

では、今後、江口寿史氏はどうなるのか。

先の佐野研二郎氏は、盗用疑惑後も多摩美術大学の教授であり、(盗用が明らかとなったトートバッグの発注元である)サントリーの広告も継続して受注している。盗用は、あくまで「疑惑」だったからだ。

一方、盗用が明らかである江口氏の前途は険しい。名前が表に出ることの少ないアートディレクションと異なり、イラストは作家の名前が前面に押し出される。広告主にとって「作家名」こそが最大の武器でもあるからだ。その名前の価値を失墜させた今回の盗用の影響は大きい。今後、大手からの受注は難しくなるだろう。

未完の帝王

休載・再開を繰り返した挙句、連載を投げ出すこと複数回。マンガ本編より、扉絵(マンガ連載の表紙)でイラストの技法を試すことに時間を割く。そんな江口氏にとって、イラストレーターという仕事は天職だったはず。作品を見る機会が減ってしまうことが残念でならない。

江口氏は各取材に対し「自分の言葉での説明はもちろんするつもりですのでお待ちください」と述べている。どうか、今後の作品作りにつながる誠実な回答をしていただきたい。