
こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。
今回は「政府は私たちの通貨に何をしたのか?」シリーズの第5回目です。
前回はこちらです。

中央銀行の誕生と、ジキル島の怪物
「中央銀行」設立をめぐる争いは、アメリカの建国当初から続く問題です。
アメリカの建国当時、アレクサンダー・ハミルトン率いる連邦派(フェデラリスト)は、アメリカ政府が大英帝国を模倣し、自前の「イングランド銀行」、つまりアメリカの中央銀行を持ちたいと考えていました。

アメリカ合衆国建国の父の一人、アレクサンダー・ハミルトン。
『ザ・フェデラリスト』の主執筆者。
これに反対したのは、トマス・ジェファソンなどの共和派たちです。
ジェファソンらは、「中央銀行は、政治的に繋がりのある少数者に利益をもたらす、危険な腐敗機関」だと理解していました。
両陣営は、勝利と敗北を繰り返しました。
ワシントン政権下で「第一合衆国銀行」が1791年に設立されましたが、ジェームズ・マディソン政権下で、1811年に廃止されました。
続いて、1815年には「第二合衆国銀行」が設立されましたが、1836年にアンドリュー・ジャクソン政権下で廃止されました。
ところで、アメリカの中央銀行よりも、「ドル」にはさらに古い歴史があります。
ドルは、もともと植民地で広く使用されていた「スペイン銀貨」に由来しています。
アメリカは独立戦争中に、金や銀に裏付けられていない紙幣の発行を試みました。
その結果、アメリカ大陸会議(当時のアメリカ政府のようなもの)は、不安定な通貨と引き換えに、国民から物資と兵役を得ることができました。
しかし、この通貨は最終的に価値が崩壊してしまいました。
こうして、1792年に金と銀を基準とする国家通貨が制定されました。
新設された米国造幣局は、愛国的なデザインの硬貨を鋳造しました。
そして、その銀の重量はスペイン・ドルと同じに保たれました。
当時、世界中の通貨が金や銀で裏付けられていたため、国際貿易は「古典的金本位制」と呼ばれるこの仕組みから恩恵を受けました。
この国際的な金本位制は、「政府によるインフレ政策を自動的に抑制する市場メカニズム」を提供していました。
たとえば、メキシコが紙幣を過剰に発行した場合を考えてみましょう。
外国の銀行が、そのメキシコ紙幣を正当な量の金や銀と交換することで、必然的に金がメキシコ国外に流出することになります。

このように、金(ゴールド)の国際的な交換は、各国政府に一定の規律を課しました。
しかし、それでも国内経済への政府の介入は、景気循環(好況と不況)を引き起こしていました。
しばしば、政府の特権を通じて、銀行は金で裏付けられていない紙幣を合法的に発行することが許されていました。
そのことが、本来なら採算の取れないプロジェクトへの投資を誘発し、その結果としてバブルの崩壊が起こったのです。
アメリカ南北戦争中に導入された不適切な銀行政策の結果として、1907年に特に深刻な金融危機が発生しました。
その後、ウォール街の大手銀行は、金融危機時に自らを救済してくれる新たな中央銀行の設立を推進することにしました。
ウォール街の銀行家たちと彼らと結託した政治家たちは、「新たな中央銀行という、これほど強力で危険な政府機関の設立を、アメリカ国民に納得させることは困難だ」と理解していました。
そこで、彼らはこの新たな中央銀行の創設を計画する際に、ジョージア州のジキル島などの秘密の場所で、偽名を使って会議をしました。
そして、あらゆる手段を用いて、国民や議員にこの計画を受け入れさせるための全国的な宣伝キャンペーンを企てたのです。

1910年に秘密の会議が行われた、ジキル島のホテルの「連邦準備」と名付けられた小部屋。
10日間の会議では、今のFRBの骨格となるアイデアが出そろった。
中央集権を嫌う国内事情から「中央銀行という名前は使わない」「金融危機時に最後の貸し手として機能するため、単一通貨を創造して管理する」ことなどが決まった。
1912年、ウッドロウ・ウィルソンは三つ巴の選挙戦で、得票率42%未満で大統領に選出されました。

第28代アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン
その一年後、ウッドロウ・ウィルソンは連邦準備制度の設立に署名し、これを法律としました。
その直後、第一次世界大戦の戦費のため、世界中の政府が通貨を大規模に膨張させることになりました。
そして、これによって金本位制は終焉を迎えたのです。
では、古典的金本位制がそれほど優れていたのであれば、なぜそれは崩壊してしまったのでしょうか?
それは、「通貨に関する約束を守る」という責任を政府に担わせたからです。
つまり、ポンド、ドル、フランなどの通貨を、「常に金(ゴールド)と引き換え可能とする」という、政府やその管理下にある銀行システムの約束が前提でした。
ところが政府には、「保持している金よりも大量の紙幣を銀行が発行すること」を許容するインセンティブがありました。
失敗したのは「金本位制」ではありません。
「政府は約束を守るだろう」と、愚かにも政府を信頼したから失敗したのです。
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最後までお読みくださりありがとうございました。
次回は、「金本位制の崩壊」について、詳しく見ていきます。
編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2025年11月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。






