介護崩壊社会「介護がゼイタクになる日」

Heiko119/iStock

この1、2年、目を覆うような介護殺人や介護遺棄の報道が相次いだ。あまりのことに、ブラウザで記事のタブを開いたままタイトルだけ立ち上げ、筆が止まってしまったほどである。

その間にもホスピス型有料老人ホーム各社の不正請求、ホームヘルパー報酬引き下げに伴う事業所の撤退・廃止など、介護事情は悪化の一途をたどっている。このままでは「介護などしてもらえない、介護は贅沢になる」時代が現実味を帯びてくる。

読むだに胸が痛む事件ばかりだが、あえて触れられる範囲でまとめてみよう。

数年前、川崎の大手有料老人ホームで相次いだ入居者の転落死は、実は施設職員による犯行で、死刑判決が出た。

富山では93歳女性が殴打され死亡し、息子は「軽く叩いただけ」と主張。

90歳女性が自宅で便尿にまみれ低体温で死亡し、60代の息子は介護しきれなかったにもかかわらず介護サービスを利用していなかった。

千葉の有料老人ホームでは給与不払いで介護職員が一斉退職し、朝食はヨーグルト1個、風呂は2週間に1度、オムツ交換もできず入居者が悲惨な状態に放置された。

さらには福井で老夫婦が閉鎖された火葬場の焼却炉で焼身自殺。妻は認知症だったという。

最近は、熱湯浴での死亡や虐待の報道も続く。そして数日前には、102歳の母を71歳の娘が絞殺した事件の裁判が報じられた。

家族介護・介護職が限界を迎える構造

介護保険制度は「介護の社会化」「介護はプロへ任せる」と言うが、特に在宅介護では家族介護者の献身を前提にしているに等しい。

公的介護施設は入居待ちが長く、民間の有料老人ホームは不正請求の問題も多く、入居者はカモにされかねない。低所得者は自宅で家族介護を強いられる現実がある。

一方で介護職は、心身ともに過酷な労働にもかかわらず、夜勤をしても手取りは20万円前後で、全産業平均より大幅に低い。そのため若者は介護職を目指さず、離職も多い。とくにホームヘルパーの平均年齢は60歳に迫ると言われる。

こうした悲惨な事件は、疲弊する家族介護者と介護職の姿を映し出し、「介護破綻社会」到来の予兆である。

介護保険制度の前提が崩れた

もう一つの問題は、介護保険制度の根本にある「家族介護」という前提の崩壊だ。

制度が創設された2000年、65歳は1935年生まれで、親は大正・明治生まれ。三世代同居も多く、家族介護が成り立っていた。平均寿命も今ほど長くなく、胃瘻も普及していなかったため、現在のような盲目的延命もなかった。

しかし四半世紀後の現在、少子高齢化と核家族化で老老世帯や独居が増え、家族介護力は失われた。にもかかわらず、介護保険のサービス体系や資格制度、待遇改善はほとんど進まず、内容は制度創設前の公的介護時代と大差ない。

家政婦紹介所がヘルパー事業所へ転じ、短期間の講習で資格を取得でき、無資格でも介護職として働けるが、その代わり待遇は低く、年収は全産業平均を下回る。その結果、若い世代が介護職を選ばなくなった。

家族介護者が減り、介護職も減る。十数年前、居酒屋で「家族を養えないから介護を辞める」という声を聞いたことを思い出す。

死生観の喪失と盲目的延命の問題

さらに深刻なのは、死生観の喪失と盲目的延命である。

戦後しばらくまで医者にかかるのは特別だった。国民皆保険や老人医療費無料化が長寿をもたらした一方、死生観に関する文化的継承は途絶え、武士道精神や覚悟の文化も薄れた。かつての白虎隊士や特攻隊員が残した辞世の句など、今では想像もできない。

現代では、アドバンス・ケア・プランニングを「人生会議」と薄味にし、死を直視する機会を避け続ける。厚労省調査では8割が延命処置を望まないと答えるのに、現実は8割が延命処置を受けている。理由は「成り行き」「何となく」。こうして“胃瘻エイリアン”が生まれる。

筆者は約10年、介護職養成講師を務め、「看取りカフェ」を開催したこともあるが、重すぎるとの理由で中止になった。超高齢化で病院は治療で手一杯となり、看取りは介護施設や在宅介護が担うしかない状況にもかかわらず、介護職ですら死から目を背ける。

その結果、死期が近づくたびに救急搬送し延命を繰り返し、不死身のような寝たきり長寿が増える。要介護者は増え重度化し、介護職は減る。

——「誰がケアするのか?」という根源的な問いに、日本社会は答えを出せていない。

介護崩壊を早める制度劣化と政治の停滞

悪徳ホスピス型有料老人ホームの不正請求の余波で介護報酬が引き下げられ、在宅介護の要であるホームヘルパー事業所の撤退が相次ぎ、「ヘルパー介護難民」が出始めている。要介護になれば「自宅で暮らす」ことはほぼ不可能になりつつある。金で介護を頼もうにも、働き手そのものが足りない。介護は贅沢品となりかねない。

解決策は外国人労働者に頼ることだ。しかし排外的な高市政権の姿勢からすれば受け入れは後退するだろう。八方塞がりだが、これも民意の結果である。せめて火葬待ちなどは解消してほしいが、NIMBY(迷惑施設反対)もあって難しい。要介護ケアは、団塊世代や富裕層の特権になってしまいかねない。

戦後は「生きたくても生きられなかった」時代だった。それが経済成長により寿命を延ばしたのは良いとして、精神性が追いつかず、盲目的延命の果てが介護虐待・遺棄・殺人・心中の地獄であるなら本末転倒だ。

学生時代、図書館で「終末期の平均寝たきり期間は二週間」と読んだ記憶がある。まさに“ピンピンコロリ”である。外国人労働者を介護職に育成するにも数年かかる。
であれば、今できることは、国と「声の大きな人たち」が避け続けてきた 要介護予防と認知症予防 しかない。

正義の言霊獣、イイフラシ