新教皇、トランスヒューマニズムを批判

ローマ教皇レオ14世は10日、サン・ピエトロ広場での一般謁見で‘トランスヒューマニズム‘の思想に言及し、テクノロジーによって永遠の命を得ようとする一部の裕福なアメリカ人の考えを批判した。

米国人教皇レオ14世、トランスヒューマニズムを批判、バチカンニュース、2025年12月10日

レオ14世は「真の人生とは、地上での人生が私たちを永遠へと導くという意識を持って生きることである。トランスヒューマニズムは、生来の不死性を約束し、テクノロジーによって地上での生命を延長することを理論化してきた」と指摘する。そして「死は本当に科学によって克服できるのか」、「科学は、死のない人生もまた幸福な人生であると保証できるだろうか」と、トランスヒューマニストに問いかけている。

トランスヒューマニズムは普段聞きなれない言葉だ。テクノロジーを駆使して現在の人間(ホモ・サピエンス)の限界を超え、新しい存在形態(ポストヒューマン)へと進化することを最終目標としている。日本語では「超人間主義」と訳される。

また、ChatGPTによると、トランスヒューマニズムとは、科学技術(遺伝子工学、AI、ナノテクノロジーなど)を用いて人間の身体能力や認知能力を向上させ、老化や病気、さらには死といった生物学的限界を超越・克服し、より優れた「ポストヒューマン」へと進化しようとする哲学的・科学的運動だ。

単なるSFではない。具体的には、遺伝子編集、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)、AIとの融合などを通じて、身体能力(視力、筋力など)や認知能力(記憶力、知能)を高める「人間の能力の拡張」(ヒューマン・エンハンスメント)、老化や死を克服し、肉体を機械と融合させたり、意識をデジタル化して保存(マインドアップロード)し、永遠の生命を目指す。人体冷凍保存(クライオニクス)といった技術も近未来の研究対象だ。

しかし、問題も指摘されている。倫理的・社会的な課題だ。先ず、人間間の格差の拡大だ。高度な技術は高く、利用できる人とできない人の間で新たな階層が生まれる。そして「人間」の定義にも変化が出てくる。テクノロジーによる変化が、人間の本質や尊厳を変えてしまう可能性が出てくる。また、開発中の技術の安全性、悪用リスクなども考えなければならない、といった具合だ。

レオ14世は「死の神秘」と、「生と永遠への渇望」を主題として語っている。キリスト教の観点からいえば、死は生の反対ではなく、むしろ永遠の生への移行として、生の不可欠な一部ということになる。

現代社会では、死はしばしば「タブー、避けるべき出来事」とみなされる。人間は(動物とは異なり)死の必然性を知っている。そして「死」に対して無力だ、という思いがこれまで強かった。人間の人生は、英国哲学者トマス・ホッブズ(1588~1679年)が嘆願したように、一般的に「不快かつ野卑で短い」ものであった。

それが科学技術の急速な発展によって、我々は、現在の限界および我々の存在の惨めな不満の大部分を乗り越えられるようになってきた。人類は、望むのであれば自己を超越することができるというわけだ。

ちなみに、イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)は独週刊誌シュピーゲル(2017年3月18日号)のインタビューで、「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で将来、科学技術の飛躍的な発展によって“神のような”存在『ホモ・デウス』(Homo Deus)に進化していくだろう」と述べている。そして「人類は長い歴史を経ながらさまざまな進化を重ねてきた。ネアンデルタール人、ホモ・エレクトス 、ホモ・デ二ソワ人を経て、ホモ・サピエンスが生まれ、今日まで生き残ってきた。人類の進化は続いている。科学技術の発展によって、人類は神のような存在に進化していく」と主張している(「人類は‘ホモデウス‘に進化できるか」2017年3月26日参照)。

人類は“ホモデウス”に進化できるか
世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)が独週刊誌シュピーゲル(3月18日号)のインタビューに応じている。ハラリ氏(41)は「人類(ホモ・サピエンス)は現在...

旧約聖書の創世記第1章によれば、「神は自分のかたちに人を創造された」というから、ハラリ氏が言う神のような存在「ホモ・デウス」という表現は正しい。「神がそうであるように、あなたがたも完全になりなさい」という聖句がある。「ホモ・デウス」は人類が願う本来の姿を表現したともいえるわけだ。

ところで、旧約聖書「創世記」第3章には、「主なる神は言われた。『見よ、人は我々のひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない』と述べ、神は、人を追い出して、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎の剣とを置いて、命の木の道を守らせられた」という聖句がある。

「創世記」にはまた、天まで届く塔を建てて有名になろうとしたが、神は傲慢な彼らの言葉をバラバラにして意思疎通できないようにした‘バベル(ヘブライ語で「混乱」を意味する)の塔‘の話がある。

現代のトランスヒューマニストは「死」を克服し、永久に生きるために、ケルビムと回る炎の剣をかき分けてエデンの園に再び入ろうとしている。彼らの試みが神の怒りを買って‘第2のバベルの塔‘となるだろうか。それとも、第2の神(ポストヒューマン)となるだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年12月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。