国民の信を問え:核保有論議と解散総選挙

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高市政権の安全保障政策担当幹部による核保有発言が波紋を広げている。木原官房長官は「個別報道についてコメントは控える」としつつ「政府としては非核三原則を堅持している」と述べた。野党各党は即座に更迭を要求し、立憲民主党の野田代表は「早急に辞めてもらうことが妥当だ」と断じた。

だが、ここで問うべきは更迭の是非ではない。この論争が示しているのは、日本の安全保障政策の根幹に関わる国民的合意が、もはや存在しないという現実である。

野党が「罷免に値する重大な発言」と糾弾するならば、高市政権は逃げずに解散総選挙に打って出るべきだ。

非核三原則は1967年に佐藤栄作首相が表明して以来、半世紀以上にわたり日本の国是とされてきた。しかし、その間に東アジアの安全保障環境は激変した。北朝鮮は核ミサイル開発を進め、中国は急速な軍拡を続けている。台湾海峡の緊張は高まり、ロシアは核の威嚇を辞さない姿勢を示す。

こうした現実の前で、非核三原則を金科玉条のように扱い続けることが、果たして日本国民の生命と財産を守る最善の道なのか。この問いに対する答えは、もはや永田町の論理だけでは出せない。

野党が官邸幹部の発言を「許されない」と断じるのであれば、それは国民多数の意思を代弁していると主張しているに等しい。ならば、高市政権はその主張の正当性を選挙で問えばよい。

解散総選挙の争点は明確だ。「変化する安全保障環境の中で、日本は非核三原則を堅持し続けるべきか、それとも議論の余地を認めるべきか」。この問いに対する国民の審判を仰ぐのである。

政権がここで更迭に応じれば、それは野党の圧力に屈したことを意味する。同時に、安全保障政策における本質的な議論から逃げたことにもなる。一方、解散に打って出れば、高市政権は自らの政策的立場を国民に直接問うことができる。

核保有の是非を議論すること自体をタブー視する時代は終わりつつある。問題は、その議論を密室で行うのか、公開の場で行うのかである。

野党が更迭を求めるなら、政権は解散で応じる。これこそが民主主義の王道である。

国民の信を問わずして、日本の安全保障政策の未来は語れない。高市政権が真に国家の安全を憂うるならば、今こそ解散総選挙に打って出る時である。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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