高市総理ニコニコ予算案、さて?:各省庁の要求にポピュリズム的な大盤振る舞い

高市政権で初となる26年度予算案が発表になりました。122.3兆円は25年度に比べて7兆円増。但し、その増分は国債費とか社会保障費の増大という比較的制御しにくい部分の増大となります。まぁ、一言で言えばせっかく企業景気の回復による法人税と個人所得増に伴う所得税の税収増、更には金持ち高齢者の死去に伴う相続税増収という「儲け」があっても利払いに消えるという自転車操業に近い予算案であります。

高市首相 首相官邸HPより

中身を概括すると各省庁の要求に対してポピュリズム的な大盤振る舞いが目立ちます。また医療費については医療従事者に3.2%アップを認めていますが、これは片山さつき氏が医療関係者に飲み込まれたともされています。

教育無償化も進んでいますし、給食も無償化を進めています。先般のガソリンの暫定税率の廃止など基本的には耳障りの良い財政政策が強く出た形となっています。

野党は国民民主が全面的に賛意ですが、立憲民主は「一応、文句を言っておかないと野党の面目丸つぶれ」という立ち位置に見えます。つまり年明けの国会の審議で大荒れになることはなさそうな気配です。

これに対して日経は社説で「責任の視点欠く過去最大の予算案」とぼろくそに近い評価です。経済評論家やインフルエンサーがいろいろ意見をしてくると思いますが、事業を営む者の目からの評価というと総花的でビジョンが良く見えない気がします。多分、評論家やインフルエンサーは過去最高に膨れ上がった予算や国債発行額などを踏まえた財政の健全性を様々な見地から評論するのだろうと思います。私はそうではなくて日本をどういう国にしたいのだろうという国家論があってその上で予算は決まるのだろうと考えています。

例えば起業家が上場する目的はとにかくIPOで資本を得るためだ、としてとりあえずビジネスの体裁はつくるけれど究極の事業方向性が定まらず、とりあえず人材もいるから経費予算は多めにとっておこう、という場合、株主の方は賛同するでしょうか?しませんよね。ある事業目的を明白に持つことでメリハリある予算支出にする、これが大事だと思うのです。

例えばガソリン税廃止、あるいは給食費や教育費無料になると多くの方は「助かる」と言います。では助かったそのお金は何処に行くか、ここはあまり追求しないのです。コメが高いからおこめ券を配ると言ったら結局おこめ券ではなく、各市町村バラバラの対応となり、それを配った政府は「竹下登型バラマキ」をやったね、と言われても仕方がなかったと思います。ある特定の声のでかい人たちの要求に「うまく乗り越えたぜ」という感じにしか私には見えないのです。

日本の20年後、30年後を考えたメリハリとは何でしょうか?社会保障費、特に医療費負担が問題になります。「医者の処方箋の方が市販のクスリより安いからねぇ」という話は当たり前に聞くのですが、こんなバカな話がまかり通っていること自体がおかしいのです。都会に行けば医者も人の子、決して儲からないのに街中〇〇クリニックばかりとなれば医療のレッドオーシャン化。だけど地方に行けば医者がいない、という実態をどう捉えるのでしょうか?それこそ医者に地方移住したら〇万円ぐらいのアイディアが欲しいものです。

防衛装備品の拡充。結構です。しかしもっと基本は自衛隊に入る人が少なくて防衛そのものが成り立たなくなりつつある現実はどう捉えるのでしょうか?私には地上戦なんて逆立ちしても想像できない時代にいると思います。それよりビデオゲーム顔負けの近代戦でしょう。原子力潜水艦を作るのに必要なのはSMRの技術。だけど原発アレルギーの日本にはそれの具体案すらできないのです。

少子化は当面止まりません。仮に「産めよ増やせよ」という時代が再び来ても平均移動線という考え方からすると人口が今の半分に向かっていくトレンドに歯止めはまずかからないのです。ならばコンパクトシティと社会インフラの再配置が必要なのです。だけど未だに新幹線を延伸させる話はあちらこちらにあります。なぜと聞けば「役人の仕事が無くなるじゃない。予算要求も出来なくなるし」と。本末転倒ですよね。申し訳ないけれどフルスペックの新幹線が地方に必要だとは思いません。時速200キロの準新幹線の議論がようやく出てきましたが、それで全然問題ないはずです。

要は何処に成長を求め、何処で現状の「インフラの店じまい」をするか、食糧自給の発想は今後もカロリーベースで行くのか、世界の物価との差異から今後5年程度で諸物価が5割上がる前提に立って何をどう対策するのか、という大所高所からプランされたものである必要があります。

もちろん、「5年後の話より今夜の飯」と言われれば元も子もありません。しかし、今の日本が置かれた状況は決して悪くないと思います。ただ富が高齢者に偏り、若年層が苦しむ傾向は強く、仮に日本の富(=アセット)を50歳代以下に限定した場合、どれだけ低くなるのか、そして生産年齢人口が生み出す収益(=フロー)が日本の将来像に見合うものか、この議論が欠落している気がしてならないのです。

別に高市氏を批判しているのではないのです。歴代総理は誰もそこを説明して政権の予算案を作らなかったのです。「どうせ巨額の赤字だし。俺が総理の代に何かできるわけじゃないし。日本は潜在的に金あるし」なのでしょう。でもそれが責任ある積極財政なのか、私にはよくわからないのであります。

予算を作るには国の大方針と10年後、20年後の日本をどう見据えたものかを語ったうえでの予算政策であるべきではないでしょうか?その点は私にはアメリカも中国もわかりやすいポリシーがあるように感じます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年12月29日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。