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はじめに:これほどの投資が、なぜ無効化され続けるのか
日本の少子化対策は、失敗しているのではない。
「なぜ失敗したのか」を制度として検証できないまま、成功した前提で更新され続けてきた。
日本の少子化対策は、長年にわたって「予算規模」という観点から語られてきた。
1990年代には育児休業制度の法制化と給付制度の拡充が進み、2010年代には保育所整備と幼児教育・保育の無償化、2020年代には児童手当の拡充や関連予算の大幅増額が行われている。少子化対策関連予算は、累計で数十兆円規模に達しているとされ、単年度でも数兆円規模が投じられている。
しかし、結果はどうか。出生率は長期的に低下傾向を続け、直近では過去最低水準を更新している。
これほどの資源投入にもかかわらず成果が見えないという事実は、直感的には「政策が失敗した」か「予算が足りない」かのどちらかに見える。
だが本稿が提示する視点は異なる。
少子化対策は失敗したのではない。失敗の原因を検証できない構造のまま、対策だけが積み重ねられてきたのである。
この構造的欠陥こそが、30年にわたる無効化の正体である。
1. 少子化は「意識の問題」ではなく「合理的選択の帰結」
少子化の原因として、若者の価値観の変化や結婚観の希薄化が語られることは多い。
「結婚したくない若者が増えた」「自由を優先する世代になった」といった説明は分かりやすいが、実際には説明力が弱い。
背景にあるのは、結婚や出産がもたらすリスク構造である。
日本社会において、出産はキャリアの中断や収入の不安定化を高い確率で伴う。加えて、一度中断したキャリアを同水準で回復することは容易ではない。これは個人の努力不足ではなく、雇用慣行や評価制度が前提としている構造の問題だ。
他国と比較すると、この特徴はより明確になる。
例えば北欧諸国では、出産後の職位復帰や短時間勤務が制度的に担保されており、出産が「人生の不可逆的転換」になりにくい。一方、日本では出産は依然として「一度踏み出したら戻れない選択」として認識されやすい。
この状況下で子どもを持たない選択は、無責任でも利己的でもない。
「産むことが構造的に不利になった社会に、人々が適応した結果」と捉える方が、はるかに合理的である。
反論として「意識改革が足りない」という主張もあるが、意識は構造に規定される。
構造を変えずに意識だけを変えようとする試みが、過去に成果を上げた例はほとんどない。
これは価値観の問題ではない。
出産が個人に集中リスクとして設計されている社会構造への、合理的適応なのである。
2. 少子化対策が失敗し続ける共通構造
これまでの少子化対策を振り返ると、ある共通点が浮かび上がる。
政策介入の多くが「出生後」あるいは「子育て期」に集中してきたという点だ。
育児休業給付の拡充はその代表例である。
女性の育児休業取得率は高水準に達しているが、同期間に出生率が回復したとは言い難い。これは制度が無意味なのではなく、出生判断の主因がそこにないことを示している。
比較のためにフランスを見ると、現金給付よりも保育・教育サービスの整備、就労継続の制度保障が重視されてきた。出生率の水準差は、給付額の大小だけでは説明できない。
ここで重要なのは、出生後の負担軽減と出生前の意思決定は別物だという点である。
多くの政策は「産んだ後の苦労」を軽減するが、「産む前の不安」には十分に応えていない。
反論として「まずは子育て中の家庭を支えるべきだ」という意見もある。
それ自体は正しい。しかし、それだけでは出生数を増やす効果は限定的であり、原因構造に触れない限り、同じ失敗が繰り返される。
3. 本当のコストは「金」ではなく「時間」と「可逆性」
子育てのコストというと、教育費や生活費といった金銭的負担が注目されがちである。
しかし、実態としてより重いのは時間と可逆性の喪失である。
第一子出産後、正社員として就業を継続できる割合は決して高くない。
複数の調査では、おおむね半数前後にとどまることが示されており、多くの家庭で雇用形態の変更や離職が発生している。
また、育児は可処分時間を大きく奪う。
突発的な対応、慢性的な睡眠不足、予定の不確実性。これらは金銭補助では代替できない負担である。
北欧諸国では、育児期の時間制約を社会全体で分担する設計が進んでいる。
一方、日本では育児の時間コストが家庭内、特に個人に集中している。
「一度踏み出したら戻れない設計」が続く限り、出産は高リスクな選択であり続ける。
金銭給付をどれだけ積み上げても、この認識を覆すことは難しい。
4. 雇用と評価の仕組みが少子化を内包している
日本の雇用・評価制度は、暗黙のうちに「家庭責任を持たない労働者」を基準としている。
長時間労働や突発的な残業への対応力が評価され、急な欠勤はマイナスに作用しやすい。
この構造のもとでは、育児との両立は個人の努力に委ねられる。
結果として、出産はキャリア上の不利と直結しやすい。
他国では、労働時間ではなく成果を評価する仕組みや、短時間勤務を前提とした職務設計が進んでいる。
日本でも同様の改革が議論されてきたが、少子化対策とは別の文脈で扱われてきた。
ここで明確にすべきは、少子化対策と雇用制度改革は切り離せないという点である。
では、どのような再設計が必要なのか。次章でその方向性を具体的に示す。
5. 省庁を作っても少子化が止まらない理由
ここで一度、制度設計の議論を「組織」という視点から見直す必要がある。
少子化対策を一元化する目的で新たな行政組織が設けられた。 しかし、組織の新設がそのまま構造改革につながるわけではない。
労働政策は別の省庁、教育政策も別の省庁、税制も別の省庁が所管している。 結果として、新組織の役割は調整と給付にとどまりやすい。
過去の類似例として、消費者庁が挙げられる。
設立当初は期待が集まったが、構造的権限が限定された結果、調整機能に収斂した経緯がある。
問題は組織の存在ではなく、構造変更に踏み込める権限設計の欠如である。
これを改めない限り、同じ問題は繰り返される。
6. 「対策」ではなく「再設計」が必要な理由
本当に必要なのは、個別対策の積み上げではない。
社会構造そのものの再設計である。
再設計の方向性としては、例えば次のようなものが考えられる。
- 育児期の短時間勤務を例外ではなく標準とする制度設計
- キャリア中断後の同一職位復帰を可能にする雇用ルール
- 労働時間ではなく成果を基準とする評価軸への転換
- 現金給付中心から、保育・教育の現物給付への重点移行
重要なのは、出生率という単一指標から離れ、可逆性・時間・回復可能性といった構造指標を政策評価の中心に据えることである。
おわりに:少子化対策が映し出すもの
少子化対策が失敗し続ける理由は明確である。
原因構造を放置したまま、対策だけを重ねてきたからだ。
この問題は少子化に限らない。検証不能なまま対策を積み重ねる政策形成の在り方そのものが、ここに集約されている。
なお、この問題は日本に固有のものではない。多くの先進国が少子化に直面している。しかし日本では、制度が一度導入されると、その前提が崩れても修正されにくい。評価と意思決定が分断され、失敗が制度上「なかったこと」にされやすい構造がある。この修正不能性こそが、少子化対策を長期的に無効化してきた最大の要因である。
この構造を改めない限り、少子化に限らず、
日本の政策は「正しさとは無関係に無効化される」という同じ運命を繰り返す。
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三塚 祐治
LFO DYNAMICS Structural Lab 代表。
制度設計・政策評価の構造分析を中心に研究・執筆。技術政策、社会制度、組織設計などを横断的に扱っている。






