先日、オンライン会議で討議をしていた際、私が「当地での許認可取得には非常に手間暇がかかる」と発言したところ、アジアでご活躍されたことがある方から「こちらでは袖の下ではかどらせることはできないのですか?」と聞かれ心の中で「こんな着想がまだ残っていたのか」と感慨深いものすら感じました。1993年ごろ、当地での開発事業に関し、許認可取得で苦労していた私らに対して香港で長く勤務経験を持つ上司が会議の際に「袖の下でどうにかならないのか」と発言しカナダ人のコンサルが「なんということを言うのだ」と怒りまくっていた記憶が蘇ったからです。
もちろん、北米で賄賂や汚職がないのか、といえばそんなことはありません。しかしケースは非常に少ないと思います。基本的にはフェアネスの発想があり、はかどらせるには交渉力がモノを言うことは多く人にとっての基本道徳だからかと思います。
東大大学院の教授が賄賂で逮捕されました。接待漬けの挙句に二度とひと様に顔向けできないような恥ずかしい形で世の中から消えるのです。どうやらこの教授が賄賂を要求していたようで贈賄側はやむに已まれずずっと続けてきたとされます。似たような話はごまんとあり、それこそ旧大蔵省の評判を心底落とし込んだ「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件も結局カネと女とスケベ心を満たしたい役人の悩める心の隙をついたものとも言えます。

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ゼネコン勤務の頃、バンクーバーにメインバンクの担当者が時折出張に来ておりました。本社から囁かれたのは「銀行員は人の目を気にするので海外出張に行くと突然羽目を外し、とても開放的になるから気をつけろ」でした。まぁ、当地ではいくら頑張っても日本の銀行屋さんが喜ぶようなところはほとんどないので「心配無用。酒で酔わして寝かせます」で終わらせました。
中国の習近平氏は2013年にトップの座に就いて以来一貫して言い続けたことがあります。「腐敗撲滅」。あれから13年。各方面での汚職はコンスタントに続き、まるでゲームのモグラたたきのように改善される気配が見えません。最近では中国人解放軍の幹部の汚職摘発が続き、ついに最高指導部にまでそれが広がりました。今回の摘発を通じて中国軍最高指導部の会議のメンバー7名のうち、5名が失脚し、残りは習近平氏と最近昇格した人物だけという実質的に人民解放軍司令部の崩壊となりました。
特に今回は部下の昇格の見返りに多額の賄賂があったとされるケースもあり、「地位はカネで買ってでも得る」という中国的なダイレクトな発想が見て取れます。
お隣韓国では前大統領の尹錫悦氏への厳しい司法の姿勢がみられ、検察側の死刑求刑に対してソウル地裁は懲役5年の判断を下しました。ですが、私はむしろ尹氏の夫人、金建希被告が統一教会から数々の金品をもらったことに興味があります。確か今日、判決だったと思いますが、なぜ統一教会は夫人に賄賂を渡したのでしょうか?渡せば尹氏に必ず伝わります。「統一教会から貰ったの」と。貰ってしまった賄賂は返しにくいことと尹氏なら正義感があったかもしれませんが、夫人ではコントロールの限界もあり「しょうがないな。あまり派手にやるな」ぐらいの会話ではなかったかと察します。当然、尹氏は統一教会に一定の気を使うことになります。これがポイントです。
なぜアジアに賄賂と汚職が多いのでしょうか?私の仮説は「アジアには真の民主主義が育っていないのではないか?」という点です。中国は権威主義です。ではなぜ韓国かといえば儒教が邪魔していないか、という気がするのです。日本でもそれに近いのですが、先輩や上司第一主義であり、国、社会、会社、組織内といった様々なルールに縛り上げられているのが日本社会の典型ではないかと思うのです。おまけに市原悦子のドラマような社会の目というのもあります。
権威主義だろうが、儒教だろうが、社会の仕組みだろうが、人間、縛られるとどうしても解放されたいという気持ちを持ちます。実力で解放されるなら結構。ですが、耐えられないほど苦しければちょっとずるをしたい気持ちは出てくるものです。
再び東大大学院教授。多分、給与は年間で1200万円ぐらいでしょうか。地位の割に国立大学の先生の給与は安いのです。それに普段は研究続きで大学の先生は雑用も多く、会議も頻繁にあります。つまり非常にストレスフルで時間拘束が長い職業なのです。そうなると楽しませてくれる贈賄者がいれば容易に乗っかかりやすいとも言えなくはありません。
もう1つの着眼点は地位が人の行動を制限するというものです。以前、新任の社長の秘書をしていた際、社長との雑談の中で「昔はパチンコにも行ったものですが、社長になるといけないのですよ」とぼやきました。つまり地位が自由を奪うというわけです。「そんなわけないだろう」と思うかもしれませんが、人の目もあるし、社長がパチンコに興じていること自体自分自身に説明がつかないのです。市長がラブホに出入りしてはまずいのと同じです。だからこそ、連れて行ってくれる人がいると自分に言い訳が出来て行けてしまうのです。
賄賂と汚職は宗教心と結び付けたいところですが、それは違うのかなと。なぜなら韓国もフィリピンも熱心なキリスト教なのです。結局社会がより硬直的であればあるほどそのようなズルが起きやすいのだろうと思います。硬直的社会と民主主義の関係は一度、深く検証してみても面白いと思います。つまりギリシャ時代から言われる理想の民主主義は現代のアジアでは相当形を変えているということではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年1月28日の記事より転載させていただきました。






