牙を抜かれたヴィーガニズム? 思想で読む人口肉市場 --- 秋山 卓哉

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ヴィーガニズム(完全採食主義)を単なる食習慣ではなく思想として定義するとき、最も影響力の大きい定義の一つがVegan Societyのものである。そこでは、ヴィーガニズムは「可能かつ実行可能な限り、食料、衣類、その他いかなる目的のためであれ、動物に対するあらゆる搾取および残虐行為を排除しようとする哲学であり、生き方である」とされ、食はその一部に位置付けられる。

つまりヴィーガン食とは、倫理的・政治的コミットメントの具体化であり、健康志向の一類型として還元しにくい構造を持っている。

ヴィーガニズムの倫理的中核がフードシステム批判につながるのは、畜産中心の生産・流通・消費が、動物搾取の常態化、気候・土地・水・生態系への大きな負荷、労働や地域への負担の偏在といった論点を抱えるためである。フードシステム全体では、人間活動起因の温室効果ガス排出量の約3割を占め、動物性食品は多くの場合、植物性代替より環境負荷が高い。

今日、環境倫理的観点からヴィーガンに転向する人も存在するが、重要なのは、Vegan Societyの定義にあるとおり、ヴィーガニズムは「環境に良い食」一般ではなく、動物搾取を倫理的に拒否する運動・実践(反搾取/反残虐)として形成されてきた点である。

一方で、日本で流通するヴィーガンやプラントベース食の新商品・新メニューのPRは、健康、利便、多様性、インバウンド対応、サステナブルといった「安全な語り」で構成されている。

プラントベース冷凍食品の外食向け展開は「多様化する食のニーズ」や訪日客対応として語られ、ヴィーガン向けコラボメニューも実際には健康志向層の注文が多かったと紹介される。需要の想定は「倫理的主体としてのヴィーガン」から「健康・トレンド関心層」へと移っている。

別の事例でも、ベジタリアン向けの食事は「身体に優しい」「選ぶ楽しみ」と説明される。ここで中心となるのは社会運動としての対抗理念というより、ホスピタリティ産業におけるサービス設計思想である。

現状として、ヴィーガン食は政治性を抜かれた「配慮メニュー」に転換されているといえる。

これは日本に限らない。Vegan Societyは、ヴィーガンが「声高で反体制的で押し付けがましい」と受け止められることを避けるため、「プラントベース」というラベルが選ばれやすいと指摘している。非ヴィーガン層にとっては後者のほうが購買魅力度が高いという研究報告もある。

これは思想の話にとどまらない。

人口肉(プラントベース代替肉や培養肉)に多額の投資が注ぎ込まれたのは、「肉」という巨大市場を置き換える期待があったからだ。

しかし培養肉分野への資金流入は2021~22年をピークに急減している。金利環境、規制の不確実性、スケールアップの難度が短期的なリスク・リターン計算を難しくした結果と読むのが自然である。

2025年には、老舗プラントベースブランドの終了、培養肉企業の操業停止、Beyond Meatの人員削減などが相次ぎ、人口肉市場の成長に陰りが見えた。

折しも米国では「リアルフードを食べよ(eat real food)」と、加工されていない自然食品(whole foods)を中心とした食生活をせよ、と説く新たな食事ガイドラインが打ち出された。人口肉は超加工食品であり、そうした懸念を抱えながらも人々が選んできた背景には、健康以上に「環境や動物にやさしい」という大義があった。

健康食品化によって、プラントベースが「もう一つの選択肢」として定着する道はある。

だがそれは、政治的・倫理的運動論としての強みを失った、いわば「牙を抜かれた」ヴィーガニズムである。健康食品として消費されるほど、社会全体の畜産依存を下げる力は弱まり、「肉中心の規範を問題化し、置換を迫る」ことはできなくなる。

政治的・倫理的な強みが薄まると、市場でのポジションは「肉の代替」から「健康カテゴリー内の競争」へと移る。人口肉スタートアップはプロテインや機能性食品の市場で戦うことになろう。

投資家から見えるストーリーも変わる。培養肉のように高設備投資・高規制対応・長期的時間軸を持つ技術は、動物倫理や気候変動、食料安全保障といった社会的必要性と相性が良い。しかし人口肉が健康食品として政治性・倫理性を失えば、「社会変革の必然」ではなく「次の健康トレンド」として評価され、投資魅力度は低下する。

思想が弱まると市場も弱まるのである。

健康・多様性を前面に出す現在の語りは、当事者に選択肢拡大という実利をもたらしつつ、思想としてのヴィーガニズムが持っていた既存フードシステムへの対抗力を、市場拡大のための安全策へと骨抜きにしている。

ヴィーガニズムが夢想し、人口肉スタートアップが期待してきた「肉を置き換える未来」は、健康という「無害な物語」の延長線上で本当に実現するのだろうか。

秋山 卓哉
食農倫理研究所 代表。食と農をめぐる価値対立や政策・産業の倫理を専門に研究。食にまつわる自由、環境倫理、動物倫理、公衆衛生、食文化、消費者選択を軸に国内外の動向を分析・発信。