世界で最も豊かな国を食い物にした英国の植民地支配

新著『国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)では、その前半で、中東、ロシア、インド、中国を同時並行で扱ったので、インド史でふつうはあまり脚光が当たらない時代も眺めてみた。その中で世界でもっとも豊かな国だったインドに英国植民地主義がいかに酷いことをしたかを改めて痛感した。

マディソンという経済学者による、購買力を基準にした世界各地域のGDP推計がある。私は実態との乖離が大きく評価していないが、広く使われているのでその内容を紹介しておく。世界史のほとんどの時期において、インドがトップ、中国が2位とされる。

キリスト紀元のころはインド33%、中国26%。1000年には28%と22%。1500年ごろは拮抗していたが、1600年ごろには一時的にインド22%、中国29%と、明がムガル朝のインドを上回った。1700年には逆転したが、やがてイギリスに植民地化されて急降下し、19世紀末にはインドがイギリスに抜かれ、20世紀初頭にはアメリカが中国を抜き世界一になったとされる。

ヨーロッパでもインドはとてつもなく豊かな国と認識されていた。繊維産業と香辛料・宝石・金属加工品は世界最高とされ、北部にはガンジス川やインダス川が流れ、西はアラビア海、東はベンガル湾に良港が多かった。

南部のデカン高原も高峻な山地はなく、牛を主体に馬や象による輸送が安定していた。商業都市も栄え、行商人ネットワークも機能していた。カースト制度は国境を越えたネットワークを生み、金融や宗教を背景とした信用度も高かった。学問も数学・天文学で世界最高水準にあった。

イギリス東インド会社は、産業革命で生産された安価な綿織物を売り込んだのに対して、インドでは統一政府がなかったため、輸入規制や関税改革もできず、単なる綿花供給地に転落した。イギリス統治は世界で最も豊かなインド経済を破壊し、貧しい農業国にしたのであるから、世界で最も醜悪な植民地支配の一つだったことは間違いない。

ただし、最近のインド経済の発展の基礎を与えたのも事実である。世界最高クラスの鉄道網の建設、議会政治や司法制度の導入などであった。何よりもマウリヤ朝やムガル帝国などごくわずかな期間しか実現できていなかった南北インドの統一枠組みを実現した。また、英語という統一言語や通貨制度、度量衡を与えた。

植民地時代の傷跡が残るインド Nikada/iStock


国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退

【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造

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