黒坂岳央です。
マスメディアやネットニュースで「若者の〇〇離れ」という言葉を頻繁に見かける。酒、車、恋愛、読書、果ては海外旅行に至るまで、消費社会における停滞の責任を若者の嗜好変化や経済力の低下に求める論調が支配的である。
しかし、表現としてその多くが正しくはない。「離れ」というからには「一度はくっついた」実績が必要だが、若者は最初から興味を示していないことも多いからだ。たとえば「若者の黒電話離れ」とは言わないだろう。
そう考えると、実は若者ではなく、40代〜50代の中年こそが離れているものは数多く存在する実態が見えてくる。

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中年の飲み会離れ
「今の若者は飲み会に来ない」という嘆きは、中高年層の常套句である。しかし、最近では若者は積極的に飲み会に参加を希望する動きがある一方、飲み会を最も敬遠しているのは実は中年である。
かつての中年にとって、飲み会は「社内政治」や「情報収集」のための投資としての要素が強かった。しかし、働き方改革の浸透やリモートワークの普及により、その投資対効果は劇的に悪化している。特に管理職層にとって、部下との飲み会は、説教にならないよう気を遣い、高額な会費を多めに負担し、挙句の果てに翌日のパフォーマンスを低下させる「極めてコスパの悪いイベント」へと変質した。
若者の飲み会離れがここに来て意外に意欲的な動きがあるのに対して、中年のそれは「長年続けてきた習慣からの明確な拒絶」である。彼らは「若者が来ないから」という大義名分を隠れ蓑にしつつ、本音では面倒な人間関係のコストから逃避しているのである。
中年の読書離れ
文化庁の「国語に関する世論調査」や文部科学省のデータを精査すると、驚くべき事実が判明する。1ヶ月に1冊も本を読まない「不読率」の上昇幅や、読書時間の減少率は、デジタルネイティブである若年層よりも、むしろ40代〜50代の中年層において顕著であるケースが少なくない。
若者は電子書籍やSNS、Webメディアを通じて「テキスト」には日常的に触れている。対して中年層は、かつての「紙の本を嗜む世代」という自負を持ちながら、実態としては通勤時間や就寝前の時間をスマートフォンのニュースサイトや動画視聴に奪われている。
これは単なる媒体の変化ではない。深い思考を要求する「書籍」というパッケージから離れ、受動的に流れてくる断片的な情報に依存する「知的離れ」が、中年層において加速している。彼らは「若者の活字離れ」を嘆く一方で、自らがタイパ至上主義的な情報摂取の波に飲み込まれ、教養の源泉であったはずの読書から脱落しているのだ。
総務省の通信利用動向調査では、趣味や娯楽目的でのPC利用時間が中年層で減少しており、彼らもまた「スマホ一台で済ませる」簡便さに屈している実態がある。
中年のIT離れ
テクノロジーへの適応能力においても、中年層の「離れ」は深刻である。TikTok、BeRealといった新しいSNSプラットフォームや、生成AIの活用において、40代を境に受容率が急落する傾向がある。
若者はツールの特性に応じて複数のプラットフォームを使い分け、情報のアップデートを常に行っている。しかし中年層は、一度慣れ親しんだLINEやFacebookといった既存のツールに固執し、それ以外の新しい技術を「若者の遊び」や「難しそう」と敬遠する。
このIT離れは、単なるスキルの欠如ではなく、新しい概念を理解しようとするエネルギーの減退、すなわち「知の硬直化」を意味する。情報のアップデートを停止した中年層が、社会の変化を「若者の変化」として捉えることで、自らの相対的な退化を正当化している構図が見て取れる。
中年のギャンブル離れ
レジャー白書の年代別参加人口を分析すると、パチンコ・パチスロ市場を支えていたメイン層である40代〜50代の離脱が顕著である。
若者は最初から「コスパが悪いギャンブル」を選択肢に入れていないが、かつて日常的にホールに通っていた中年層が、規制強化や余暇の多様化、そして小遣いの減少によって市場から退場している。
この層の離脱こそが、産業の衰退を決定づけている主因である。
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以上の論考から明らかなように、「若者の〇〇離れ」とされる事象の多くは、実は中年層における「静かな変節」と「習慣の放棄」がもたらした結果である。
中高年層が若者を批判する際、そこには「自分たちの若い頃はこうだった」という過去の残像がある。しかし、その比較対象である「現在の自分たち」もまた、かつての自分たちから離れている。
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