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玄関のドアを開ける。靴を脱ぐ間もなく、猫が廊下の向こうから走ってくる。しっぽがまっすぐ天井を向いて、ピーン!と立っている。
これを見た瞬間、一日の疲れが半分くらい消える。大げさじゃない。本当に消える。あのピーンには、そういう力がある。
『猫ラブ:あの子の気持ちがもっとわかる本』(Dr.Kitty 著)きずな出版
「おかえり!」と言っているように見える、とよく言われる。実際その通りだと思う。飛びついたり大声で鳴いたりはしない。猫はそこまで騒がしくない。でも、しっぽを全力で立てて駆け寄ってくる。あれが猫なりの精一杯の「待ってたよ」だ。
面白いのは、このしっぽピーンが子猫時代の名残りだということ。母猫のところに走っていく子猫は、しっぽをピンと立てる。「お母さん、ここにいるよ!」「大好き!」という意味だ。つまり大人になった猫が飼い主にしっぽを立てて近づいてくるのは、子猫の気持ちがそのまま残っているということになる。
人間でいえば、いい歳した大人が実家に帰ると甘えた声になる、あの感じだろうか。ちょっと違うか。でもまあ、そんなようなものだ。いずれにしても、その気持ちをこちらに向けてくれていると思うと、たまらない。
しっぽの先にも注目してほしい。まっすぐ立ったしっぽの先端が、くるんと小さく曲がっていることがある。これは「とびきりうれしい!」のサイン。にっこり笑いながら手を振っているようなもの、と表現した人がいたが、言い得て妙だ。
さらに上級者向けの話をすると、しっぽを立てたまま小刻みに震わせる猫がいる。ブルブルブルッと。これは「あなたに会えて感激!」という強い喜びの表現らしい。マーキング行動に似ているので、オス猫だと「おいおい、本当に出ないだろうな」とヒヤヒヤすることもある。でも大丈夫。飛ばしているのは愛だけだ。たぶん。……たぶん。
このしっぽ立ては、人間に対してだけじゃなく、仲良しの猫同士でも見られる。信頼できる相手に近づくときにしっぽを立てて歩いていく。逆に、信頼していない相手にはしっぽを立てない。つまり、あなたに向けてピーンとなっているしっぽは「あなたは家族」「特別な存在」という証明書のようなものだ。
話が変わるが、もうひとつ書いておきたいことがある。
猫と長く暮らしていると、目が合っただけで気持ちがわかる瞬間が出てくる。声を出さなくても、「あ、お腹すいてるな」「遊びたいんだな」「ただ横にいたいだけだな」と、なんとなく伝わってくる。これは不思議だ。言葉が通じない相手なのに、目を見ればわかる。
猫の瞳孔がまんまるに開いているときは興奮や好奇心。細くなっているときは集中や警戒。やわらかく細めているときは安心や愛情。毎日見ているからこそ、その微妙な変化を読み取れるようになる。
でもこれ、猫に限った話じゃない。
たとえば長年連れ添った夫婦がレストランで目を合わせただけで「そろそろ帰ろうか」が通じる。職場で仲のいい同僚と、言葉を交わさずに「あの件、わかってるよね」とアイコンタクトする。母親が子どもの顔をチラッと見ただけで、今日は元気がないなと察する。親しい間柄では、目だけで会話が成立する。
猫とのあいだにも、それが起きている。
「以心伝心」なんて大げさな言葉を使いたくなるが、要はそういうことだ。長く一緒にいると、言葉がなくても通じ合えるようになる。しっぽのピーンも、まなざしの機微も、全部ひっくるめて——猫は体全体で「好き」を伝えている。
問題は、こちらがそれに気づけるかどうかだ。
忙しい日は見落とす。疲れた日はスルーしてしまう。でも猫は毎日、律儀にサインを送り続けている。しっぽを立てて、目を合わせて、まばたきして。
だから、せめて玄関で出迎えてくれたときくらいは、ちゃんと目を見て「ただいま」と言ってやりたい。しっぽのピーンに、ちゃんと応えてやりたい。
まあ、言ったところで猫はそっぽを向くかもしれないが。それはそれで、愛なのだ。さっき説明した通り。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■ 採点結果
【基礎点】 39点/50点(テーマ10点、論理構造9点、完成度10点、訴求力10点)
【技術点】 20点/25点(文章技術10点、構成技術10点)
【内容点】 22点/25点(独創性11点、説得力11点)
■ 最終スコア 【81点/100点】
■ 評価ランク ★★★☆ 水準以上の良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
獣医師の実践知に基づく説得力:日々猫と向き合ってきた獣医師としての経験から導かれた記述には、データでは伝わらない生々しい説得力がある。「現場を知っている人の言葉」が持つ重みが、本書全体の信頼性を支えている。
読者の共感を引き出す構成:「じーっと見つめてくる」「しっぽがピーン」など、猫の飼い主なら誰もが経験する日常の場面を入口にしている点が巧み。専門知識を押しつけるのではなく、読者の「あるある」から入って理解を深めさせる導線が自然に機能している。
テーマの訴求力:猫の行動の意味を「愛情表現」として読み解くという切り口は、飼い主の日常に直接響く。実用性と情緒性を兼ね備えたテーマ設定であり、幅広い猫好き層に訴求する力がある。
【課題・改善点】
エビデンスの不足:獣医師の経験知が本書の魅力である一方、動物行動学の研究や論文への参照がほぼ見られない。学術的裏付けが加われば、説得力がさらに増す余地がある。経験談と科学的根拠のバランスが取れれば、類書との差別化も明確になるだろう。
対象動物の限定:内容の質と読みやすさを考えると、同様のアプローチで犬版を展開するポテンシャルは十分にある。猫特有の行動に特化している点は強みだが、シリーズ化を視野に入れた構成にしておけば、より広い読者層を取り込めたのではないか。個人的には犬版を期待したい。
■ 総評
著者の経験が、平易でありながら温かみのある文章に結実している一冊である。現場の肌感覚から導かれた「猫の気持ちの翻訳」には独自の価値がある。視線、まばたき、しっぽといった日常的な行動を「愛情のサイン」として丁寧に読み解く構成は、飼い主にとって実践的かつ情緒的な満足感をもたらす。構成パターンの単調さやエビデンスの補強といった改善の余地はあるものの、猫との暮らしをより豊かにしてくれる良書として推奨できる。








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