黒坂岳央です。
新幹線で肉まんを食べていると、他の乗客から注意されたというニュースが話題になっていた。
【報告】実業家、新幹線で豚まんを食べていたら「ダメだろ」隣の客に注意されたと告白https://t.co/qTou7FcDZE
河原由次氏は551の豚まんを食べていると「新幹線で食べちゃダメだろ」と言われ、「何言ってるの?」と返したという。「価値観をいきなり他人に押し付ける人、どう思う?」と投げかけた。 pic.twitter.com/qXDBnSGpQa
— ライブドアニュース (@livedoornews) March 5, 2026
これは難しい問題だ。まず断っておきたいが、筆者はこのニュースの当事者を責める意図も、注意した客の肩を持つ意図もない。あくまで中立的な視点から、現代日本におけるルールとマナーの衝突という「構造的課題」について論じたい。
筆者も新幹線で駅弁を食べることがあるが、もしそれが肉まんであれば同様のトラブルに発展していた可能性は否定できない。「弁当は許容されるが、肉まんは忌避される」という境界線の曖昧さを、個人の良識だけに委ねるのには限界があると感じる。

kazoka30/iStock
公式ルールではOK
まず前提として、新幹線では飲食は禁止されていない。むしろ新幹線は、もともと車内での食事を前提とした交通機関である。
駅弁を車内で食べる文化があり、軽食や弁当の持ち込みが一般的である。各座席に大型のテーブルやドリンクホルダーが備わっている点を見れば、新幹線が中長距離の移動中に「食事をすること」を物理的に許容し、設計に組み込んでいることは明らかだ。近年のワゴン販売の削減・終了は、利便性の低下ではあるが、持ち込み飲食自体を否定するルール変更ではない。
そのため、肉まんを食べること自体を禁止する規則は存在しない。規則ベースで考えるならば、注意した側に強制力はゼロである。鉄道会社が禁止していない以上、隣席の客に「食べるな」と強制する法的・規則的な権限はない。
あくまで「個人の感情に基づく要望」に過ぎないという点は、論理的に明確にしておく必要がある。
肉まんはルールではなくマナーの問題
ただし、問題が全くないわけではない。争点になるのは「臭いの拡散」である。弁当は冷えて匂いを出しにくいが、肉まんはそうではない。これがマナーに抵触しやすい。
さらに「匂い」は人によって感じ方が全く違う。「いい匂いだな、おいしそうだな」と肯定的に捉える人もいれば、まったく何も感じない人もいる。一方で乗り物酔いを起こしやすい人もいるだろう。
つまり、騒音などと同じで「困る人もいるので配慮しましょう」というマナーに入ると考える人が出てくる。結果、肉まんは食べだと注意を受けるケースが出てしまうのだ。
マナー社会の限界
このニュースに対して「ルールを破っているわけではないからいいのでは?」という意見もあれば、「マナー違反なのだからダメだ」という意見もある。
しかし、これは日本人だけで閉じた問題である。なぜなら今はインバウンドで多くの訪日外国人がいるからだ。滞在者これは日本社会が長く採用してきた「マナー依存型ルール」の限界を意味する。
利用者は、ほとんどが日本人だった時代であれば、周囲に配慮することを求める事もできた。しかし現在は状況が大きく変わっている。
海外に目を向けると、公共空間における飲食の扱いは二極化している。欧米諸国では、移動時間を個人の合理的な時間と捉え、強い匂いを放つハンバーガーなどの飲食も「個人の自由」として許容される傾向が強い。一方で、シンガポールや台湾のように、車内飲食を法的に厳罰化(罰金刑など)して徹底排除している国もある。
共通しているのは、日本のような「ルールでは許されているが、空気感で自粛を求める」という曖昧なグレーゾーンが存在しない点だ。明文化されたルールか、完全な自由かのどちらかであり、「マナー」という空気に秩序を依存している日本は、グローバルスタンダードから見れば特殊な環境といえる。
◇
こうした「マナーという名の曖昧な同調圧力」に秩序を依存し続けるのは、多文化共生が進む現代においては非効率だ。
情論で互いを消耗させるのではなく、鉄道会社側が「完全飲食禁止車両」と「飲食自由車両」を明確に分けるなど、物理的・制度的なゾーニングを行うのが良いのではないかと思う。
■
2025年10月、全国の書店やAmazonで最新刊絶賛発売中!
「なめてくるバカを黙らせる技術」(著:黒坂岳央)








コメント