政府がラピダスにまた6315億円を追加出資し、支援額は合計2兆3500億円に達した。このプロジェクトへの投資は最終的には官民で10兆円になるといわれるが、半導体業界でも成功するという人はほとんどいない。この分野はTSMCが世界市場を独占し、今から参入しても価格競争力がないからだ。通産省の時代からおこなわれてきた官民の大型プロジェクトは、1980年代以降はほとんど成功例がない(唯一の例外がルネサス・エレクトロニクス)。だがプロジェクトを起案した官僚は人事異動するので、失敗したときはだれも責任を取らない。
このため失敗の原因が総括されず、10年ぐらいたつと失敗を忘れ、同じような話を持ち出す。高市政権の「戦略17分野」に並んでいる産業政策は、過去に失敗したパターンばかりだ。
TRONという「日の丸OS」の失敗
そういう産業政策の最大の失敗例が、第5世代コンピュータとTRONである。BTRONは坂村健氏(当時は東大助教授)が通産省に売り込んだものだ。工業用のITRONは使われていたので、組み込みシステムとして地味にやればよかったのに、MS-DOSに対抗する「日の丸OS」をつくるとぶち上げた。
だまされた官僚がメーカーと文部省を引っ張り込んで学校用コンピュータの標準にしようとしたが、MS-DOSと互換性のない国内規格をまじめに開発する企業はなく、物を実際に作っていたのはパソコンで出遅れた松下だけだった。
セールストークは派手だが、設計は凡庸で、BTRONの中身はMacOSの物まねにすぎない。CPU(Gマイクロ)も、互換性がないのだからせめてRISCにして処理速度を上げればよかったのに、平凡なCISCで結局、商品にはならなかった。

BTRONの試作機
BTRONは「張り子の虎」だった
当時「BTRONマシン」として発表されたのは、80286によるエミュレーションで、デモだけが動く「張り子の虎」のようなモックアップだった。当時の日経産業新聞(1989/6/13)はこう伝えている:
BTRON仕様のOSを開発したのは松下1社だけで、他の11社は松下から調達した。しかし関係筋によると各社の試作機に多くのバグ(ソフト上の誤り)があって、改良に手間取り、88年度中に完了する計画だったCEC(コンピューター教育開発センター)の内部評価もまだ終わっていない状態だ。
計画の遅れの原因を単純化すれば(1)コンピューターの実績に乏しい松下依存のOS開発(2)トロン協会の仕様書が大ざっぱだったこと(3)坂村氏個人のリーダーシップの欠如――に尽きる。[….]こうしている間に教育現場からは「すでに10万台も導入済みのパソコンとの継承性を最優先すべきだ」という声が再度強まっていた。そこへUSTRのトロン批判が加わり、CECが標準規格づくりを断念したわけだ。
USTR(アメリカ通商代表部)がTRONを「不公正貿易慣行」としたのは誤解だった(TRON協議会にはIBMなど外資系企業も入っていた)が、USTRが要求したのは「学校用のパソコンに特定の規格を強制するのはおかしい」ということで、これは当時の文部省の主張と同じだった。
「口先標準」にすぎないBTRONを全国の学校に配備することなど、できっこなかったのだから、米国の脅しは、いやいや参加していたメーカーが手を引く絶好の口実だったのである。結果的には、TRONは制裁対象にはならなかったのに、あっという間に消えてなくなった。
役所に「おつきあい」した国産メーカー
ラピダスと似ているのは、国産メーカーがみんな「おつきあい」で出資したことだ。NECでさえ、最後まで公式にはTRONに反対だとはいわず、TRON協議会に入ったばかりか、CECにTRON仕様のパソコン(もちろん松下のOEM)を納入までしているのだ。撤退の経緯について、本書にはおもしろいことが書いてある。
松下は、BTRONから撤退するにあたって、BTRONが通商摩擦を引き起こし、海外のパナソニック製品の売り上げに影響することを理由にした。これは、日本語でいうタテマエだった。松下は、BTRONに未来がないと公式に宣言することによって、坂村と自社の顔をつぶしたくなかったのである。(p.145)
坂村氏は、とにかく目立ちたがり屋である。マスコミが大好きで、CPUもOSも何もない段階で、NHKに「TRONの特集番組を作ってくれ。カネはTRON協議会の参加企業が出す」と売り込んだ。
「マルチメディア」でもうけようとしたNHKがまんまとだまされて、1億円以上の赤字を出した。支援しているはずのメーカーが、1社もカネを出してくれなかったからである。要するに、TRONは役所につきあう保険にすぎなかったのだ。
ラピダスにも半導体メーカーから自動車メーカーまで数十億円ずつ薄く広く出資している。これもTRONと同じ保険で、いつでも逃げられるようにしているのだ。
歴史を偽造して教訓を学ばない産業政策
「日本発の国際標準」となるはずが通商交渉で米国がスーパー301条の制裁対象の候補にしてつぶしたというのは、坂村氏がいまだに繰り返している嘘である。
こういう経緯は、当時の関係者はみんな知っており、坂村氏が知らないわけがない。それなのに、昔のことをよく知らないマスコミに嘘をついて、失敗を外圧のせいにするのは、歴史の偽造であり、政府が技術開発に介入すると失敗するという真の教訓を見失わせる。
TRON計画の残骸であるITRONが生き延びたのを「TRONは外圧に負けないで成功した」と思っている向きもあるようだが、ITRONはPDCという携帯電話の日本ローカル規格の「おまけ」にすぎない。これはPDC端末にブラウザをつけるインターフェイスとして使われただけだ。
PDCもITRONも、PC-9800のような過渡的な規格であり、むしろ国際標準化の失敗の産物なのだ。「日本発」などということは、標準を選択する際の基準にはなりえない。TRONの宣伝番組で1年もつきあわされた被害者として断言するが、BTRONがものになる可能性は万に一つもなかった。
追記:本書の原型はスタンフォード大学の博士論文である。これを書いたスコット・キャロンは官民プロジェクト、ジャパンディスプレイ(JDI)の社長になったが、2025年、JDIの業績不振の責任をとって辞任した。






コメント
池田氏の本論である「官製プロジェクトはなぜ失敗するか」という構造的批判には、相当程度うなずける。仕様だけが先行し、市場や実装との接続を軽視した国家主導の情報技術政策が失敗しやすいという指摘は妥当だし、ラピダスへの累計2兆円超の投入に対する懸念も理解できる。メーカーが薄く広く「おつきあい」で出資し、いつでも逃げられる構えをとるという構図の指摘も鋭い。
ただし、その「最大の失敗例」としてTRONを持ち出す際の論法には、技術的にも歴史的にも単純化が過ぎる部分がある。
第一に、BTRONを「MacOSの物まね」と断ずるのは粗い。BTRONには実身/仮身モデルやTADといった独自の設計要素が仕様書レベルで明確に存在し、データ表現・連携の思想において当時の一般的なPC用OSとは異なる発想が盛り込まれていた。GUI表層に当時の他OSとの共通点があったことは事実だが、設計思想まで丸ごと模倣と断じるのは無理がある。もちろん独自性があったことと市場で勝てたことは別問題だが、技術史としての評価は正確であるべきだ。
第二に、TRONチップを「RISCでなかったから駄目」と切るのはやや後知恵的である。坂村氏自身の回顧では、Intel系との親和性のためにlittle-endianやピン互換を求めたがメーカー側事情で実現しなかったと説明されている。問題の本質はRISC対CISCという命令セット論より、既存PC市場との非互換や事業戦略の不整合にあった。
第三に、BTRON頓挫の原因について「米国に潰されたは嘘」と言い切るのも、逆方向の単純化である。開発遅延、エコシステム不足、NEC PC-98とMS-DOSの既存資産という内的要因が大きかったことは池田氏の指摘通りだ。しかし、1989年のスーパー301条で正式に優先案件とされたのは衛星・スパコン・林産物の三分野であり、BTRONが「制裁対象の候補」だったという書き方も正確ではない一方、USTR側の文書でBTRON調達が監視対象として言及され、米側圧力が政策判断に影響したこと自体は確認できる。正確には「内因と外圧の複合作用」と見るのが最も無理が少ない。
第四に、最も問題なのは、BTRONの失敗をTRON全体の失敗へと拡張している点だ。池田氏はITRONを「PDCのおまけ」「過渡的規格」と片づけるが、これは事実と乖離している。ITRONは携帯電話だけでなく、航空宇宙、産業機器、車載、家電など幅広い組込み分野で数十億台規模の採用実績がある。2023年にIEEEが「TRON Real-time Operating System Family, 1984」をマイルストーンとして認定したのは、まさにその実績に対してである。BTRONはPC市場で敗北したが、ITRONは組込み分野で大きな足跡を残した。この二つを分けずに「全部失敗」とまとめるのは、批評としては鋭くても技術史としては雑だ。
官製プロジェクトの構造的問題を論じること自体は重要であり、その点で池田氏の問題提起には価値がある。しかし論証の素材として用いるTRON評価が不正確であれば、技術史としては雑である。