「友達を損切りするフレフレ現象」は本当に問題か?

黒坂岳央です。

「友達をコスパで損切りする時代が来た」そんな論調のニュースが話題になっている。

「フレンドフレーション」略して「フレフレ現象」と名付けられたこの動き、物価高で交際費を削る人が増え、友人関係にまでコスパの視点が持ち込まれているというのだ。

SNSでも賛否両論が巻き起こり、「人間関係まで株用語で語るな」「損得で付き合う友達は友達じゃない」といった批判が相次いだ。

筆者はこの報道について違和感を覚えた。考察したい。

「新現象」ではない

まず確認しておきたいのは、これが今急に始まった話ではないということだ。

人間関係に優先順位をつけ、時間とお金をかける相手を選別することは、人類が社会を形成して以来ずっと行われてきた普遍的な行動である。

筆者はデフレ真っ只中で青春時代を迎えた。マクドナルドのハンバーガーが数十円、牛丼200円時代で物価が安かったが、そんな時でも「この人と会うのは楽しい」「あの人と会うと疲れる」という経済的メリットの外側の基準で付き合いを選んでいた。

また、物価安は雇用不安定とセットであるため、当時は物価は安くても財布の紐が今より固かった記憶がある。デフレ期も物価安に反して財布の紐は固かった。交際費の減少を物価高だけに帰因させるのは単純すぎる。そのため、交際費が家計を圧迫するようになったから突然始まった、という因果への疑いが強い。

総務省の家計調査で交際費が長期的に減少しているのは事実だが、それはスマートフォンの普及、SNSによるコミュニケーションの代替、コロナ禍による対面機会の激減など、複数の構造的変化が重なった結果だ。物価高はせいぜいその一因に過ぎないだろう。

アメリカの調査で「44%が費用を理由に友人とのイベントを断った経験がある」というデータが引用されていたが、これも当然の話だ。参加したくないイベントや予算オーバーの誘いを断ることは、物価高以前から普通に起きていた。

「友達」の名を借りた強制コスト

「フレフレ現象」より真剣に問うべき問題は別にある。それは「なぜ日本人は長年、本来取引関係に過ぎない付き合いを友達と呼び、断れない状況に置かれてきたのか」という問いだ。いや、日本人特有の現象というより、もしかしたら米国などを含めた現代人の問題といえるかもしれない。

筆者はベンチャー企業で「社員はみんな家族、親友みたいなもんだ」と言われて、引っ越しの手伝いに呼ばれたことがあった。また「友達だろ?話聞いて」とネットワークビジネスの勧誘を受けたこともある。

ハッキリいってこれらは友達でもなんでもない。金の切れ目が縁の切れ目が待っている関係とは友達ではなく、取引先である。「友達」という言葉を使うことで、断りにくくする構造が意図的に、あるいは無自覚に埋め込まれている。

こうした「友達という名の強制コスト」が日本社会に広く存在してきた。職場の飲み会、義理のプレゼント交換、惰性で続く同窓会。これらから離脱することを「損切り」と呼ぶのは、そもそも的外れだ。最初から友達ではなかったのだから。

友達の定義がズレている

問題の根本はここにある。「フレフレ現象」を語る議論では、友達と取引関係が混同されている。

行動としては理解できるが問題は「友達を損切り」というワーディングチョイスだ。それは友達を切ったのではなく、友達と呼んでいた別の何かを整理しただけだろう。

友人関係を成立させているのは「一緒にいると楽しい」「話を聞いてくれる」「価値観が合う」といった、経済的リターンの外側にある非経済的メリットである。

筆者は先日、子供を公園に連れて行った。そこには中学生、高校生と思しき子供たちがいたが、彼らはゲーム機やスマホでワーワー騒ぎながら楽しそうに過ごしていた。彼らの遊びにお金はかかっていない。コンビニなどで買ったと思しきジュースくらいだろう。

その気になれば一人でも遊べるデバイスを、わざわざ友達と集まって騒ぐということは、一人より多数の楽しさに拡大するレバレッジがかかっていることは明らかだ。

もちろん友達と食事や旅行でお金がかかることもある。だがその場合も、経済的メリットではなく、一緒にいる楽しさが主目的となっているはずだ。

一方、相手から得られる経済的リターンや社会的利益を計算して付き合いを続けるかどうか判断する相手は、ビジネスパートナーか利害関係者だ。そこに「損切り」という株式用語を使うのは、概念として整合している。取引先なのだから損切りもあり得る。

もちろん、取引先でも友達のように仲良くなることはあり得る。筆者は家を購入する際、担当してくれたZ世代の若い方に非常に世話になったので、お礼に果物セットをプレゼントしたし、その人物から個人的な見解なども頂いた。だが、一緒に旅行にいったり個別に会う関係にまではならない。あくまで親密な取引先である。関係の温度と関係の種類は別の話だ。

つまり「友達をコスパで損切り」という言葉が成立するとすれば、切られているのは友達ではなく、友達と呼ばれていた取引関係である。これは損切りではなく、関係の正確な再分類だ。

メディアはこの混同を放置したまま「衝撃的な社会問題」を演出する。だが実態は、長年曖昧にされてきた関係性の輪郭が明確になっているだけに過ぎない。

闇雲に友達の定義を広くしすぎて「こちらは関係を心地よく感じるが、相手は義務感を覚える」といった非対称的な関係性まで「友達」と定義するからおかしくなる。

友達に金銭的メリットを求めるようになったら、それはもう友達ではない。最初は違っても途中からそうなったのなら、取引先にダウングレードしたと解釈するべきだろう。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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