カール・マルクスは1867年に『資本論』を刊行したが、その第1巻は数百部しか売れず、第2巻以降は草稿のまま残された。これは彼の寿命によるものと思われているが、彼が死んだのは1883年である。
その16年間に膨大な草稿が書かれたが、彼はそれを公刊できなかった。その死後に草稿を第2巻・3巻として編集したのはフリードリヒ・エンゲルスだが、そこにはマルクスの苦闘の痕跡がある。彼は自分の理論に致命的な矛盾があることに気づき、それを解決しようとしたが挫折したのだ。

『資本論』はなぜ未完に終わったのか
マルクスが依拠したリカードの労働価値説は、プラトン的である。「価格」という現象の背後には、労働時間で決まる本質的な「価値」が実在する。価格は毎日変動するが、それは交換を通じて労働時間に等しい価値に収斂すると考える。しかしこの理論では現実の価格を説明できない。
もし「価値=価格」だとしたら、労働集約的な(労働時間の多い)商品の価格が上がるのでもうかり、機械化した商品は赤字になるはずだが、現実は逆だ。機械化で労働時間を短縮したほうが利潤が上がる。労働価値説では資本の価値を無視するので、機械工業の効率性が説明できない。
マルクスが直面した転形問題は、こういう矛盾だった。価値が労働時間だけで決まるとすると、機械化が進んだ市場で労働時間から価格を導き出すことはできない。マルクスもこれに気づいていたが、労働価値説に依拠する限り、この矛盾は解決できない。
その答は簡単である。価格は需要と供給で決まる。価格を決めるのは消費者の限界効用であり、投下労働時間とは無関係である。マルクスは『資本論』でベイリーという経済学者の限界効用説に言及したが、それを否定した。
価格が商品の相対的な関係なら、その絶対的な価値を決める尺度がないというのがマルクスの批判だったが、それがまさに彼が指摘した物神性である。価値に絶対的な尺度はない。それは人々の心理に依存するバブルなのだ。
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